わにわに

朝山実が、読んだ本のことなど

『伯爵夫人』の著者インタビューをして思ったこと。

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週刊現代」誌の取材で、『伯爵夫人』(新潮社)で三島由紀夫賞を受賞した蓮實重彦さんを取材したのは、ひと月ほど前のこと。取材は編集者からの、問い合わせの電話があったとき、作品は未読だったが受賞の記者会見が話題になっていたのは知っていた。

「答えません」
「くだらない質問はやめてください」

 会見場に集まった新聞記者たちの「受賞された、いまのお気持ちを聞かせてください」という定型の質問に、いきなり、うっちゃりをかますような返答を繰り返すのを見て、大笑いするとともに、ジブンが記者席にいて質問する側だとしたら冷や汗もんだなぁなどと思いながらネットの動画をチェックしたのは、取材を引き受けてからのことだった。笑ってばかりもいられない。

 何がそんなに不機嫌にさせているのだろう。受賞じたいを嬉しくは思っていないというのは独特のポーズととるか、言葉どおりなのか。予想に反して紳士的な振る舞いで、笑顔ではないが、声をあらげたりするわけではない。表情からはどちらとも解釈も可能に思えた。まあ、切り出しの「いまのお気持ちを」の問いかけが、蓮實さんならずとも気になった。記者さんたちにとっては、いつもどおりの質問、ダンドリだったに違ないだろうが。

 いつごろからなのか。
「いまのお気持ち聞かせてください」お立ち台の野球選手にインタビューするような質問を、誰彼かまわずテレビのアナウンサー?たちがするのを目にするようになったのは。「とりあえずビール」みたいなものというか。とにかく「お気持ちを」といえばすむというか、聞き手が何の準備もしないでも相手から話を聞きだせる魔法のような質問方式である。

 週刊現代(8/20・27号)誌面「書いたのは私です」欄のソデにある恒例「私のいちばん」の蓮實さんの「10の質問」の答が面白いのだが、たとえば「いちばん好きな音楽は?」に対して、「音楽が好きになったことなどない」と返している。
 山下和美の漫画に登場する「天才教授」のようでもあり、記者会見の席での「答えません」も、蓮實さんにとって氏なりの良識とウィットを交えた対応だったのかも。

 週刊現代のインタビューは、夕刻を過ぎた頃に行われた。
 都内のご自宅を訪問した。閑静な住宅街の中の、樹の茂った趣のある家。応接間と書斎を兼ねた部屋に通されると、「まあ、どうぞ」。まず一服してからにしましょうと、ご用意いただいた珈琲とペリエの大瓶、ひとり一人にカップとコップを運んでこられた。おかまいできないので、あとはご自分で注いでください。「カメラマンさんの分はこちら置いておきます」と、離れたテーブルに置かれる。
 奥さんはご不在らしかった。詳しいことは聞かなかったが、部屋は奇麗に整頓され、面白げな小物などが本棚の各所に置かれ、言われたように「一服」、部屋をぐるっと見回すだけで落ち着いてくる。
 威厳のある長机の後ろの壁に飾られた、少女の絵に目をひかれ尋ねると、「家内です。彼女の父親が画家だったもので」との説明。きれいなひとですねというと、軽く頷かれる。インタビューのテーマとは無関係だが、いいひとだなぁと思った。

 取材の日まで、一週間ほどの猶予があった。
 蓮實さんの映画評論は読んだりしたことはあったが、その他の著書は代表作を含め読んではない。読んでもわからないから。とはいえ、ここは付け焼刃は承知で、対談や評論など10数冊ちかい本を図書館から借りて読んでみた。評論はすこしページを繰ると瞼が落ちる…。こんなことで大丈夫かオレ。文学について書かれた本は早々に降参してしまった。

「答えません」と言われたらどうしょう…。

 頼りとしたのは、インタビューの対象である『伯爵夫人』だ。おそるおそる手にした。

 あらま(笑)、出てくる女性たちが隠語を連発。ポルノチックな場面が満載にして、大笑いしてしまう。猥褻なんだが、べたついてなくて、おかしい。合間にスパイ小説のパロディのような軽妙さもあり、唐十郎の芝居のような場面、石井隆のエティックバイオレンスを想わすシーンもあり、主人公の置かれている情況が夢か現か混然としているのも面白い。付箋を貼っていくと、モヒカン頭のようになる。

 聞きたいと思うことは付箋の数だけはあるから、問いには不自由しない。まあ「答えません」はないだろう。そう願いたいし、そんな事態に陥ることがあれば、それはそれとハラを決めながら、分厚く純白の『論集 蓮實重彦』工藤庸子編(羽鳥書店)を念のためと買って読んだのがまずかった。

 蓮實さんの業績について、いろんな人が語っているのだが、吉本隆明の本を間違って手にしたときを思い出すくらい、これが難解だった。自分の不勉強さを痛感し、ああ、となる。

 そんなこんなで、ペリエを目にしたときは、ほっとした。

 インタビューの中でも答えられていたが、蓮實さんのフィクションを書く際の姿勢として、登場人物の「心理」は書かない。「心理なんてものは犬に食われてしまえと思っている。読者のみなさんがご自由に解釈なさればいいことなのです」と話されたのが印象に残っている。

 記者会見のときに蓮實さんが不機嫌だったのは、「あなたは読んでどう思ったのか」。蓮實さんがいちばん聞きたかったのは、そこだったはずだ。

 けれども、自身の感想を語る記者はひとりもないまま、「お気持ちは?」に始まり、作品の意味を問われるばかりの一方通行で、立場を置き換えれば、もやっとするのも当然だ。

 記者たちの中には、作品をまったく読んでないひともいたようだが、読んでいる記者もいて、そうした記者からの細部の描写についての質問には蓮實さんも丁寧にこたえられていた。週刊現代の取材でも質問した、擬音に関する問いは、張り詰めた場を一瞬なごやませていた。

 お立ち台の野球選手にたとえるなら、「7回の、あの打席の球はスライダーでしたね」と具体的な場面を出して質問するのにちかいだろう。いうまでもないことだが、「受賞のいまのお気持ちを」の質問はザツすぎる。

 週刊現代の誌面では容量が限られていることもあり、印象に残ったものの割愛してしまったのが、「作中の登場人物のことばを鵜のみにしてはいけない」というハナシ。主人公が真実を語っているとは限らない。心理を書かないかわりに、その場の細部を描き込んでいく。そのような説明があった。
 心理なんてものは一つではないし、本人がどう答えようが、心理は数学のようなものではない。「答えません」「バカな質問はしないでください」には、そんな意味も込められていたのだろう。

『伯爵夫人』の冒頭に、主人公がなくなった兄の三つ揃いを着て、映画館に出かける場面がある。主人公は、二朗という。兄の名前は最後まで出てこないし、亡くなった事情にふれられることはない。ただ、読むにしたがい、兄の「三つ揃い」がワタシの脳裏で膨らんでいき、二朗と兄との関係について自分なりに感じたことをインタビューの冒頭、蓮實さんに述てみた。じっと耳を傾けられたあと、
「それは意図していません」
 決め球と思った質問は、いきなりキャッチーの頭上を越えていった。しかし、そのあと、
「でも、読まれたあなたがそう思われたのなら、それはご自由です」と答えられた。

 そこから、小説のあの場面この場面について質問をすると、蓮實さんは丁寧にひとつひとつ答えられた。二朗が親友とキャッチボールをする、そのボールにルー・ゲーリックのサインが入っているのだが、なぜゲーリックなのか。ベーブ・ルースではないのかなど。返答はどれも具体的だった。

 耳にしながら、ある映画監督にインタビューしたときのことを思い出した。たとえば、机の上に筆記具があるとシナリオのト書きにあったら、それはボールペンなのか、万年筆なのか、鉛筆なのか。小さなことだけど決まっていないといけない。それは監督の仕事だと。そんなハナシだった。

「ゲーリックには瀟洒な印象があり、そこにサインの入ったボールが置かれていることで、その友人の家の様子が伝わる」。蓮實さんの説明だった。

 インタビューは60分間。頓珍漢な質問をいくつもしたが、断らないでよかったと思っている。

 

付き人だったひとが語る、ドキュメンタリー映画「健さん」

 

respect-film.co.jp

『健さん』(日比遊一監督)というドキュメンタリーがこの夏ロードショー公開される。
 俳優・高倉健について、マイケル・ダグラスマーティン・スコセッシ山田洋次降旗康男といった映画監督や俳優をはじめ、20人以上の人たちが語る声を集めた評伝集のような映画だ。
 なかでも面白かったのは、40年あまり付き人だったという男性。むかしは大部屋俳優だったのかなぁ。すでに映画の世界から遠ざかり、京都のガソリンスタンドを経営している。カメラは男性が仕事をするスタンドの事務所に入っていく。

 駅のホームで、健さんと二人で立っていると、「あんたら兄弟やろ。わかるわ」キヨスクのおばちゃんに声をかけられたという。ガソリンスタンドの社長だという男性の、顔つきや物腰からして似ているようには思えないのだが、これまでもう何回ともなくひとに語ってきたのだろう。健さんも「うちの兄です」とこたえていたという。

 あの高倉健と、ウラカタとして40年連れ添った相棒とはどんな男なのか。
 カメラに向かってしゃべる男は、押し出しのつよい、関西の町工場の社長タイプ。あの高倉健から繊細な男を勝手に想像していたものだから、どうしてまた彼を始終行動をともにする付き人にしていたのか。途中からは、その一点の謎で95分の映画を観続けたといっても過言ではない。

 途中、実妹が登場し、きょうだいの視点で「高倉健」でない健さんについて語る場面もよかった。母親と並び、頭をなでなられている幼い頃のビデオ映像も映される。将来、自分が高倉健になろうとは考えてもいなかっただろう。ただただお母さんの傍にいられるのが嬉しくてたまらない少年の姿である。

 付き人の男性の語りは、何回かに分けられている。ここからはネタバレになるかもしれないが、後半、男性はこんな思い出話をする。
 母親の命日に欠かさず健さんは墓参りをしていた。付き人の男性に電話してきて「不思議なことがあるもんだなぁ」と、墓がきれいに掃除にされていた。誰なんだろうかとその様子を語る。「奇特なひともいるもんですなぁ。ほんまですなぁ」と男性。おまえじゃないのか。水を向けられても、わかってるでしょう、自分はそんなことをするような気のまわる人間やないですよと笑い返していた。

 そういう判で押したようなやりとりを何年が続き、健さんから名前を呼ばれ「いつもありがとうな」といわれたという。試写を観てから日が経っているから言葉のやりとりなどは精確ではない。
 ただ、名だたる映画監督や俳優さんたちの賞賛の言葉はおぼろげだが、語っている男性の楽しそうな顔つきはいまも鮮明だ。それに、男性の息子の結婚式で挨拶する高倉健のビデオ映像も印象に残っている。

 もう一点、健さんらしいといえば、元妻だった江利チエミがなくなったときに、葬儀の会場の近くまで行きながら、なかには入らず、人目につかないようにして黙って手をあわせて還ったという。そのときの心中を忖度して語っているのもよかった。「付き人」だった男性の名前は、西村泰治氏という。巨匠監督と同列に扱っているのがこの映画の素晴らしさだ。

インタビューライター・朝山実 近著 『父の戒名をつけてみました』(中央公論新社) 『アフター・ザ・レッド 連合赤軍兵士たちの40年』(角川書店) 『イッセー尾形の人生コーチング』(日経BP社)etc. 不定期連載 「日刊チェンマイ新聞」"朝山実の、という本の話" http://www.norththai.jp/