わにわに

朝山実が、読んだ本のことなど

「書いた人」で、『マチビト』の石原まこちんさんをインタビューしたときのこと

 

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 石原まこちんさんを「書いた人」(「週刊朝日」2017年8/4号)で取材したときのこと


 小学館の担当編集Nさんからインタビュー場所に提案してもらったのは、多摩川のお好み焼き店だった。仕事場か喫茶店とかホテルのラウンジが定番だが、夕方のお好み焼き店というのは初めてだった。

 時間のすこし前に到着すると、お店からNさんが出てこられた。石原さんがコドモの頃からのなじみの店で、営業時間前にもかかわらず場所をつかわせてもらうことになった。そうしたことはNさんが、すでにダンドリしてもらっていた。
「どうぞとうぞ」とお店のおばちゃん。最初はウーロン茶、しばらくして「これサービス。クルマじゃないよね」とお盆に白い泡の盛り上がったジョッキを4人分出されて恐縮してしまった。せっかくなので「孤独のグルメ」の原作者さんみたいに「泡のある麦茶」ということで、美味しくいただかせてもらいました。

 このお店を選んだのは、石原さんが「中学時代、近くの学習塾の前に寄っていた」というのが理由だとか。どうやら、石原さんとNさんの二人で、写真撮影もある、どこがいいのか考えた結果らしい。そういうのを聞くと、取材を受けてもらったことがすごくうれしくなる。尚且つ、インタビュー記事にも書いたけど、作品に向き合うふたりの関係が「相棒」みたいでうらやましい。

 お店も、すごく居心地がよかった。石原さんが、お店のおばちゃんに対しても「です」「ます」調で話すのを聞いていて、漫画では、ニートな若者たちのちょっとだらしないしぐさを描くことの多い石原さんの、意外なほどのマジメさ加減もうかがい知れた。Nさんとの相談したなかでドッグカフェという案もあったらしいが、「おしゃれすぎるよね」というので、お好み焼き店になったらしい。

 誌面に掲載された写真は、両手にコテをもち、お好み焼きを焼いているところ。カメラマンの慎芝賢さんは、「これって、たぶん使いませんよね。グルメの本でもないし」と消極的で、ワタシもおそらくインタビュー前に撮影した、店頭に置かれていた縁台ふうの椅子に腰掛けて、誰かを待っているふうな写真を使うだろうと思っていた。でも、「写真が面白い」という写真部の上司判断でコテ写真になったらしい。つながりをつくるために原稿の最後の部分にお店のおばちゃんとのやりとりを急遽組み込みました。

 裏話といえば、石原さんのNさんは、ワタシが取材の申し込みの電話をしたときに「イタズラ電話?」と思ったそうだ。
 マンガ本の著者インタビューを「週刊朝日」がするとは思えなかったらしい。ワタシの好みというのもあるのだけど、これまでノンフィクション要素のある漫画の場合だとたまにやってきていて、異例というほどでもないのだけど。でも、過去にやったものはノンフィクションっぽいものに限られているから、ワタシが作品を読み間違えたりしなかったらこの取材はなかったのかもしれない。

「のせる、のせる詐欺じゃないかと思っていたら、電話のあとに送っていただいたメールを見て、本当だとわかりました」とNさん。わざわざ取材現場に出向いてこられた点でも最近ではめずらしい、昔タイプの好漢の編集者氏だった。

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 話が後先になったけど、石原まこちんの最新刊『マチビト』のことを説明すると、不仲だった父親が倒れ、集中治療室に入院した後、病院に毎日通いつめることになった長男トシの物語だ。
 弟や妹、母親、親戚のオジサンたちが見舞いにやってきて、トシと話し込む。トシは「自称マンガ家」で稼ぎがなく、財布を開いても千円も入っていない。病院のコンビニで買い物をしお金が足りず、妹に恵んでもらったりする始末。トシが毎日病院に待機することになったのは、ほかの家族はみんな働いていて、トシひとりだけが時間があり余っていたからで、いいトシをしてニートにちかいというキャラクターだ。

 まこちんといえば『THE3名様』。シリーズは全巻揃えたし、実写版も好きだった。しかし、その後しばらく読者としてご無沙汰していた。新作を買ったのは、「病院の廊下でちゃんと話せる大人になりたい!!」という、カバーのフキダシだった。ひと目でフリーターとわかる主人公トシのさえない風貌もリアルタッチで、グッとくるものだった。

『THE3名様』のファミレスで、ニートな三人の若者がただただダベっているコメディマンガと『マチビト』に共通するのは、舞台が一箇所に限定されていることだ。ちがうのは『マチビト』は、トシが父の入院からの二週間前後の日々の出来事を描いた物語マンガだということだ。

『マチビト』が面白いのは、父とトシが子供の頃から不仲だったこと。父親が弟を可愛がっているのを見て、子供のころからトシはずっと、もやっとしていたことが語られる。
 このままだと不仲なままに親父が亡くなるかもしれない。その日が訪れることが不安で、しかも自分は父親の死を悲しんだりしないんじゃないか…。面会謝絶の父親の病院のソファでとくに何もすることもない、ありあまった時間をすごす主人公と家族の関係の描き方がいい。
 幾日も「待機」が続くうち、待っているのは父親の回復なのか、それとも……とわからなくなる。これってナチス・ドイツ強制収容所を舞台にしたといわれる『ゴドーを待ちながら』に構造が似ている。「週刊朝日」の本のインタビューを申し込んだのも、そうした視点を感じたからだった。

 石原さんにその話をすると、傍にいたNさんに「それはどういう話なの?」とたずねていたのがよかった。Nさんは「3名様」のときから、ベケットのことは感じていたという。

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☝『マチビト』の章話の扉絵。ノイズが、病院の静けさを伝えている

 


 さらにワタシは、いまはエッセイ漫画が流行っていることあり、石原さんも過去にノンフィクション的な育児漫画作品や半自伝的な作品も描いたりしていたので、てっきり『マチビト』もそうした実話ベースの作品だと思ったのだった。
 だから、石原さんと会った際に「大変でしたね」とお悔やみの言葉を述べたほうがいいのかな。でも、たぶんお父さんが亡くなられてから、すでに何年か経って作品にされているだろうから、いまさらな挨拶だろうか……。迷いつつ結局、口にしないままインタビューをはじめてしまったけど。

「もうすこしすると、ここを通りますよ」と石原さんが、元国鉄マンでいまは定年退職して別の仕事をしているというお父さんの近況を口にしたのはインタビューを始めてから、30分以上してからのことだった。思い切り笑われ、
「生きていますよ。そうじゃなかったら、エッセイ漫画になってしまいますからね」と返された。

 そこから現実と重なる部分とまったくのフィクションについて訊いてみた。父と不仲なのはリアル。まじめな営業マンの弟は、じつはフリーランスのカメラマンで、兄弟の設定は現実とは逆転させてあるらしい。すっかり、だまされちゃっていた(笑)。

 よくよく考えてみると、実話だと勘違いしちゃったのは「大人にたりたい!!」のフキダシと、オビの以下の推薦コメントの効果だったように思う。
「深夜のファミレスで大人になる事を拒んでいた先生が、悲喜こもごも描く立派な大人になった事を喜びたい!!」(福田雄一監督)とある。

「大人になった」→大人になるきっかけがあった→それは何?←父の死。みたいなイメージをアタマの中で勝手につくりあげてしまっていたらしい。それくらいエピソードがリアルだということでもあるんだけど。

 取材後に再度読み返してみたが、たとえば後半部分。
 エレベーターに乗ったトシが、病室のある4階に行こうとして間違えて、霊安室のある地下フロアに下りてしまう。戻ろうとしたときに、すっぽりとシーツで覆われたストレッチャーが近づいてきて、降りたのとは異なるエレベーターに乗ろうとするが、黒いスーツの女性から「こちらのエレベーターは病棟に上がらないので、あちらのエレベーターでお願いします」といわれる場面がある。
 
 些細なことだが、病室のフロアに止まらないエレベーターがあるという逸話は、そうした体験がなければ描けないと思ったこともある。
 あるいは、病院にタクシーでかけつてきた母親が「暑っいわね」と上着を脱ぐ場面。トシの目には冷静に見えていた母ちゃん(大竹しのぶ似)が、ジャンパーの重ね着していた。しかも下に着ていたのはトシのジャンパーで、そこから母親の動顛ぶりが伝わってくる。
 でも、霊安室のエレベーターのことは親戚のひとがなくなったときの体験で、ほかにも病院の細部は同業者に話を聞いたりして描いたと言うんだよなぁ。

 インタビューしながら、すっかり読みが外れて、困ったなぁ、どうしょうかと思ったものだった。困りながらも、インタビューじたいは、作品に直接関係しない「満州馬賊とケンカしに船で密航したジイチャン」の話や「秘密結社の○○に関わっている△◇さん」の話とか、どんどん脱線して、ここ何年かでもハチャメチャで面白いものだった。さすがに書けないものが多いけど(笑)。

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☝『マチビト』の表紙をめくると、パラフィン紙が一枚挟んであり、作品に対する作り手の憎らしい工夫が施されている。読み終えてから見返すと、グッとくる

 ところで石原さんいわく。『マチビト』には、ニートが自立するきっかけをつかむのは、どんな時かということがテーマになっているという。
 反発しながらも依存していた親がいなくなるというのは人生最大のピンチであるとともに、自立のチャンスでもある。「さすがにこれは、やべぇぞというところまでいかないと人は動かない」。これは自身もニートだった時期があるからこそ言えること。「ピンチとトコトン付き合うと光明が射すんですよ」と言うのがやけに印象に残った。

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佐藤正午さんと「「家」の履歴書」

 2017年7月19日、佐藤正午さんが直木賞を受賞された。

 めでたい!!

 家の中をひっくり返して、週刊文春の「「家」の履歴書」の切り抜きを読み返してみた。2002年12.12号だから、佐藤さんお会いしたのは15年前のこと。編集者と二人で佐世保にいったのをよく憶えている。

 インタビューはマンション近くの喫茶店で行った。いま考えるとずいぶん贅沢な取材だった。行き帰りは飛行機で一泊。夜空いているならと、佐藤さんの行きつけの居酒屋で晩飯を食べ、さらにクラブに連れていってもらった。佐藤さんの同級生で、五島列島だったかな、島の小学校で校長先生をしているひとがたまたまいま戻って来ているからと一緒になって、少年時代の話を聞いたりした。もう中身は覚えていないが、初対面の人と飲みにいったりするのが苦手だったのが、やけに愉しかったのを覚えている。
 親近感を抱いたのは、ぼそぼそと声が小さいことだった。録音機を前にして、大丈夫ですか?と聞かれた。
 翌日は、佐世保の図書館に行き、郷里の作家コーナーにあった佐藤さんのポートレイト写真を見た。漁港の市場だったかを背景に、立っていてる姿が精悍だった。作家になる前に、たくさんの履歴書を書いたという。アルバイトの職場のひとつだったのか。
 取材の趣旨は、昔暮らした家の記憶を順を追って聞いていくものだったが、転居の回数は少なく、まだ何者でもない、作家としてデビューするまでの日々のことが中心になった。「野呂邦暢」という作家を覚えたのは、佐藤さんに教わってからだった。もうひとつ、トーストにうすくスライスしたリンゴをのせて食べるようになったのも、佐藤さんを取材してからだ。

 

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インタビューライター・朝山実 近著 『父の戒名をつけてみました』(中央公論新社) 『アフター・ザ・レッド 連合赤軍兵士たちの40年』(角川書店) 『イッセー尾形の人生コーチング』(日経BP社)etc. 不定期連載 「日刊チェンマイ新聞」"朝山実の、という本の話" http://www.norththai.jp/