わにわに

朝山実が、読んだ本のことなど

「ラモツォの亡命ノート」と「三里塚」と浜田真理子のハレルヤと

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「ラモツォの亡命ノート」(小川真利枝監督)を観た。
 ラモツォという、チベット出身の30代の女性と家族のドキュメンタリー映画だ。
 チベットについて知っていることといえば、ダライ・ラマと中国が強く干渉しているくらいの大雑把なことぐらいで、何も知らないにひとしい。そんなワタシがポレポレ東中野の夜の上映を観にいったのは、「三里塚のイカロス」の代島治彦監督がプロデューサーとして関わった「オロ」(岩佐寿弥監督・2012年)という映画をたまたま先日観たからで、チベットからインドに単身脱出した少年オロのドキュメンタリーの中に周辺人物として映っていた、路上でパンを売る女性が印象に残っていた。それがラモツォだった。彼女の名前は忘れていたけど、パンを売る場面が記憶にこびりついていた。
 
 藤沢の駅前で昼間は「ふじやす食堂」として営業し、月に一度自主映画の劇場となる魚屋さんの二階で、「オロ」を観る機会があり、映画のアフタートークで代島さんが、この映画のことを紹介していた。もうひとつ、未知なる映画監督の作品を観てみようかと思ったのは、浜田真理子さんが歌で参加しているという。それも劇場に足を運ぶ動機になった。

 映画の始まりは、質素な食卓で、女性がまだ夜の明けないうちからパン生地をコネで伸ばして焼き上げる。その場面を丁寧に撮影している。両手というよりも全身を使って、でっかい、うどんを練り上げるような工程につい見入ってしまった。
 焼き上げたパンを彼女は、大きなケースいっぱい詰め込んで山岳シェルパのようにして背負い町に向かい、シャッターの降りた商店の店先を借り、路上で販売する。
 人気があるらしく、彼女のパンを求め、次々とお客さんがやってくる。雨が降ってくると客足が途絶え、それでもパンが濡れないようにビニールで覆い、自身は傘を差して、お客さんがやって来るのを待っている。すごく印象に残る場面で、「オロ」に出てくるときもそうだった。

 彼女の夫は、ドキュメンタリーの映画監督で、北京オリンピックの開催前、チベットのひとたちに、賛否の意見を問うインタビューをしたという、たったそれだけ理由で逮捕投獄され、6年間の禁固刑を言い渡され、救出を願う運動が為されている。「オロ」でも、壁に張られた彼のポスターとともにそうしたことが紹介されていた。
「オロ」は、亡命者が相次ぐチベットの置かれている政治状況を背景にしながら、ストレートに政治状況を伝えるのではなく、チベットを脱出してきた少年たちの生活を映したドキュメンタリーで、なぜこんな年端もいかない少年たちが親元を離れ、故郷を捨てなければいけなかったのか。チベット難民が多く暮らす北インドの町の寄宿舎生活を描いたもので、そこに暮らすチベット難民のひとりとして、ラモツォが映っていた。

 こんな雨の日にパンを路上で販売するのって大変だなぁと思いながら見ていた。彼女のその後を映したのが「ラモツォの亡命ノート」だ。
 撮影、監督、編集も行っている小川真利枝さんが上映後のトークショーに出てこられたときは、若くてふやふやっと明るいひとで、映画の淡々とした印象と違っていて、このひとが「亡命」の話に興味をもったんだということにびっくりするとともに、だから生活の細部に着目していて映画として面白いのかと思った。

「オロ」に通じるのは、ひとりで明け方にパンを焼いたり、山間の川べりで子供たちを遊ばせながら、ごしごしと手で洗濯する、そういう生活シーンの中から「亡命」せざるをえなかったひとたちの存在が、日本の昔を思い出させるとともに、ワタシたちとかけ離れた存在ではないということが伝わってくる。そこがこの映画の面白いところだ。

 チベットについて何も知らないから、当然映画を観ていてもわからないことがいっぱいある。
 たとえば、ラモツォが子供たちを置いて、ひとりでスイスに移住するという。学校の先生に子供をよろしくと挨拶にいく、そのときの子供とのやりとり。なぜスイスなのか? どうして子供たちを連れていくことができないのか? 買ったパンフレットには、スイスとチベット難民の関係など、その答えが少し書かれていた。ただ、わからないなりに映画を観ている間は、呑み込めないなりに事情があるんだなと思いながら見つめていた。置いてきぼりになる子供たちの目線というのか。

 一家がバラバラになるというのはどんな心境なのか。夫は獄中だし、ラモツォは四人の子供たちを残してスイスに出国し、さらにその後アメリカに向かう。米国に渡ってから3年後、カメラが映す彼女の生活は激変していた。
 
 なんと豪勢な邸宅に住んでいて、どうしたの? ナレーションのない映画で、しばらくはこれまたわからない。彼女が忙しく家事をするのを見ている。
 どうやら、彼女はそこで住み込みで雇われている家政婦で、画家だった雇い主の奥さんが彼女をすごく信頼していて、奥さんが亡くなったあとも資産家のダンナさん、彼は90歳いくつなんだけど、広い屋敷でラモツォにまるで家族の一員のようにして暮らすことを認めていて、こんなことってあるんだなぁとびっくりした。
 日本だったら、「後妻業」みたいなことになったらどうするんや、とかまわりがワイワイ言いそうな気がするが、そんな気配がない。しかし、彼女は最初から恵まれていたわけではないらしい。米国に渡り、はじめて家政婦として雇われた同じアジア人の家では、彼女の食べる分は残った古い食材しか許されず、悔しい思いをしたという。彼女は、チベットにいたときはインテリの女性で、チベットではめずらしい、クルマの運転ができる女性だった。映画では彼女の運転するシーンがよく出てきて、インタビューに答えるなかからラモツォの意識がわかって面白かった。

 やがて、離ればなれだった子供たちが彼女のもとにやってくる。邸宅の中での暮らしぶりは、難民だった頃の北インドでの暮らしとは大きく違っているものの、変わらないのは、夫であり「父親」が投獄中のままで不在なこと。興味深いのは、男性がようやく釈放され、待ち焦がれた家族とスカイプを使って会話する場面、カメラはずっとラモツォと四人の子供たちを映し、夫の顔が映らないことだ。
 家族は小さなアイホンの画像を見つめている。それを観客は見続ける。つい向こうにいる夫の表情を見たくなるところだが、じっと五人を前から映していて、切り替えしたりしない。そこがまた、いいなと思った。

 映画のラストに流れるのは、浜田真理子さんの「ハレルヤ」だ。ラモツォの夫は、釈放はされたものの現在も当局の監視下にあって、チベットを出国できず、いまもまだ家族は一緒に暮らせていないという。チベットからインド、スイス、米国と難民として流転していく人生は大変だけど、こんなすごい人生を体験するなんて、生きているからこそなんだなぁと、ハレルヤの彼女の人生を賛美するような歌声に、いいなと思った。この映画が「政治運動」を描くのではなく、ラモツォという市井のひとりの女性の暮らしを追っていたからだろう。それは、「闘争」ではなく、個人の生活にカメラを向けた「三里塚」シリーズの代島治彦監督の眼差しと通じているものだ。

 

「おクジラさま」から考えてみる

『おクジラさま ふたつの正義の物語』佐々木芽生(集英社)

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 映画『ザ・コープ』で世界の注目を浴びた紀州南端の漁師町・太地町にニューヨーク在住の日本人女性ジャーナリストがカメラを持ち込んだ、ドキュメンタリー映画『おクジラさま』の舞台裏を綴ったノンフィクションだ。
 
 捕鯨を生活の糧にしてきた漁師たちと、「野蛮だ、イルカを殺すな」と訴える保護団体の外国人活動家人たちが、小さな町でぶつかりあう。『ザ・コープ』が反捕鯨の立場から撮ったメッセージ映画なのに対して、『おクジラさま』は両者の言い分に耳を傾けようとする。諍いの根本にあるものが何かを探り出そうとする。一方に与しないでおこうとするほどに監督である著者が迷いの渦の中にはまりこんでいく様子は、本ではより詳しく、「米国に住む日本人」という所属が複雑で曖昧な立ち居地もあって面白い。

 わたしは本のほうを先に読んで、映画を観に行った。だから、映画の流れはすでに知っているわけだけど、映像ならではの面白さは、反捕鯨団体の外国人に向けて街宣車からカタコト英語で対話を呼びかける地元の政治団体のオジサンだ。(カバー絵の中心あたりに描かれているスキンヘッドの人物)
 街宣車から降りてきた彼は、一見して右翼っぽい「戦闘服ファッション(ちょっと穏やかめ)」で、英語が話せない彼は、あなたたちが本気で捕鯨をやめさせたいと考えているのなら、漁の許可を出している県知事と話すべきだ。その仲介を自分がとりもってもいい、という趣旨のことを、英語の先生に教えてもらい、彼はカタカナ書きした紙を読み上げる。
 怒鳴ったりすることはなく、外国人の活動家たちに彼はフレンドリーに笑顔を見せながら語りかけている。もちろんカタコトで。政治活動とは別に仕事をもっていて、手伝いの若者とふたりで活動をしているらしい。「右とか左とかじゃないんだ。そういう考え方は古いんだ」という。話し合うことが大事なんだと。

 こういう「右翼」もいるのだ!?と先入観が揺さぶられ、もちろん「右翼のひと」にもいろいろいるのは当たり前で、そういうことについ鈍感になっていたことに気づかされる。
 とにかく、よく知らないで「こういう人たち」とひとくくりにしてきたことがわかる。現実はこんなにバラエティに富んでいる。いろんなひとがいる。そういうことを知るきっかけを与えてくれるという意味では、この映画のツボはこの右翼の彼だろう。
 県知事と反捕鯨団体との対話こそ実現しなかったものの、彼は「地元町長と漁民vs反捕鯨団体外国人活動家」の公開討論の場を設ける。その場の仕切りがバラエティショーを見ているようだった。

 まず、会場への外国人活動家たちがやってこようとする。「反捕鯨vs漁民」のガチ討論という初の試みに、大勢のメディアが詰めかけ、入り口前で待ち受けている。拡声器越しに、右翼の彼は取材陣に事前に警告する。反捕鯨の外国人に殺到しないように、と。最初は穏当な注意だったのが、守ろうとしないのを見て「おい、そこ、空けんかい!!」と怒鳴り上げ、身体を張って阻止し、カメラが壊れても知らんぞ、と脅しあげる。ヤバイ場面なのだが、不思議なくらいこの右翼の彼が頼もしく見えてくるのだ。
 劇場のあちこちで笑い声がしていた。おそらく、あの場所にもしも自分が居合わせていたとしたら、怒鳴られる側のひとりであったかもしれないのに声をあげて笑っているジブンがいる。映画って、面白いもんだなと思う。

 本を読んでいる最中もそうだったが、映画を観ていて、著者がそうであるようにわたしも揺れうごいた。記憶をたどれば小学校時代の給食で、クジラのカツやケチャップ味の煮込み肉はご馳走だった。当時は偏食がきつくて、牛も豚も鶏肉も食べられなかった。唯一食べることができる食肉が鯨だった。いまでもクジラは大好物だ。食べられなくなったけど。
 だからクジラに知性があるからという理由で、牛や豚や馬は許容して「捕鯨反対」を唱えるひとたちにはもともと違和感がある。いっぽうで、映画にも出てくるが、水族館で人懐っこいイカルのしぐさを目にすると、ビミョウな心理にも陥る。馬を見てもそうした思いを抱いたことがあるから、個人としてはすすめられても馬肉を食する気にはならないんだけど。

 本を読んではじめて理解したことのひとつに、イルカとクジラは同じだということだ。イルカは80種類以上いる「鯨類」に属していて、おおまかに体長4㍍以下の鯨を「イルカ」と呼んでいる。えっ!? と思ったのはわたしだけではないと思う。
 それまで「イルカを食べるの?」と思っていたが、イルカとクジラの境目は「大きさ」だとなると、イルカを食べるの?という目でみながら、潮を噴き上げる大きなクジラに対しては「美味しい」「食べたい」と思うジブンのいいかげんさに、もやっとしてしまう。

 著者の揺れもまた「線引き」することの前で起きている。副題にある「ふたつの正義の物語」は、クジラをめぐって対立するそれぞれの言い分に耳を傾けていくと、それぞれに「正しさ」があり、「正義」を押し立てると和解の道が見えなくなるということが「おクジラさま」を通して見えてくる。

 佐々木さんは、エピローグにこう記している。
和歌山県の小さな町で起きている紛争を見ながら、戦争とはこうして始まるのだと思った。世の中には、実に多くの正義が存在し、正義同士が至るところで激しくぶつかり合っている。国際政治のような大きな舞台においてだけでなく、地域社会や組織の中で、あるいは友人同士や家庭の中においても。/(中略)私が太地での衝突から学んだのは「正義の反対は悪ではなく、別の正義」ということだった。》
 そして、「嫌い」な相手を排除するのではない。理解はできなくともいい、「嫌い」のままでいいから、「共存」しようとする道をさぐりだすことを考えたい。それが映画に関わった7年間で得たものだとしている。

インタビューライター・朝山実 近著 『父の戒名をつけてみました』(中央公論新社) 『アフター・ザ・レッド 連合赤軍兵士たちの40年』(角川書店) 『イッセー尾形の人生コーチング』(日経BP社)etc. 不定期連載 「日刊チェンマイ新聞」"朝山実の、という本の話" http://www.norththai.jp/