わにわに

朝山実が、読んだ本のことなど

映画『かぞくへ』(春本雄二郎監督)の「へ」について考えてみた。

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「かぞくへ」(春本雄二郎監督)という映画を観たのは、渋谷のユーロスペースだった。アンコール上映で、最初の公開時のときには知らなかった。

 たまたま別の劇場に置いてあったチラシに、ケン・ローチとヤン・イクチュンを継ぐ若手監督とあったので、どんな映画だろうか。生きていくのが下手そうな、30前後の若者がふたりポスターの写真に収まっていた。

 ひとりは、金髪で両手を服のポケットに突っ込み、「なんすか?」とでも言いだけに身体の重心をすこし斜めにして立っている。隣には、両手をたらんとして直立したぼくとつそうな男。手のひらの力の抜け加減がいい。ふたりともカメラを見据えるようにしていて、鋭い目をしている。

 イクチュンの系譜にあるとかいわれ、ふたりの面構えを見たら、どんな話が知らないが観ないわけに行かなかった。
 
 映画の筋をかいつまむと、ボクシングジムでトレーナーをしている男(旭・演じる俳優は松浦慎一郎)が同棲中の彼女と結婚することになり、同郷の友人(洋人・梅田誠弘)に結婚式への出席とスピーチを頼む。
 ふたりは長崎県五島列島の養護施設で一緒だった。金髪のヤンチャそうな「洋人」は、五島で漁師をしている。主人公は東京で暮らす「旭」のほうだ。


 ジムのお客さんで、ダイニングバーを出店するというスーツの男に、旭は洋人を引き合わせる。とれたての鮮魚を売りにする店で、意気投合、洋人から一手に仕入れることになり、洋人は借金をして船を買いこんでしまう。だが、バーの男が旭に挨拶もなしにジムを退会したと聞かされたあたりから、妙な具合になっていく。
※以降ネタバレありますが、読んでから観ても面白さは減退しないはず】
 
 結局やり手な男の話はぜんぶウソで、納めた魚の代金は振り込まれず、ついには連絡がとれなくなる。高額の借金を背負った洋人は、男の行方をつきとめるのと日銭を稼ぐために上京し、トラックの運転手となる。

 洋人に対して負い目を感じた旭は、貯めていた結婚資金の一部を洋人に渡そうとする。もちろん洋人は受け取れないと拒むのだが。ここで何よりまずいのは、旭は事情を結婚しようという相手に話さない。微妙なこと、とくに大事な相手になるほどに話せない男なのだ、旭は。

 

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 これは男の友情と、男女のすれ違いを描いた映画だ。徐々に軋んで壊れていく、同棲中のふたりのワンルームの部屋の空気を、じつに繊細に描いている。
 
 旭には、結婚式に呼ぶ家族も親類もいない。相手の「佳織」(遠藤佑美)は結婚式に向けて気持ちが高揚している。披露宴への招待者は15人。旭は「1人」。洋人だけだ。
 佳織が、つりあわないからジムのひとを呼ぶのはどうかと言っても、旭は応じない。意固地なところのある若者で、だからこそ洋人だけが特別な存在だというのが伝わってくる。

 子供のころに養護施設で暮らしたということとも関係しているのだろうが、ただし背景的な説明は一切、この映画の中では語られはしない。そのあたりはたしかにケン・ローチだ。ちょっとした会話の断片、ふたりのやりとりから、事情が見えてくるリアルな演出がきいている。

 

 洋人と旭は性格的に対照的で、洋人は進んで心をひらいていく傾向があるのに対して、旭は内に閉じこもる。想像だけど、養護施設で最初に声をかけたのはぜったい洋人のほうだ。

 旭から結婚すると聞いた洋人が、逃したら次はないぞとからかうシーンがある。自分のことのように喜ぶ洋人の表情がいい。

 

 この映画がすばらしいのは、これから結婚しようというふたりのボタンの掛け違いのような展開を、じつにこまかく拾いあげている点だ。ことごとくが、唯一無二の親友に絡んでいく。
 親友の多額の借金に責任を感じた旭は、ふたりで貯めてきた結婚資金の一部を融通し、夜勤のガードマンの仕事までして何とか助けようとする。そのことを彼女には問われるまで黙っている。

 半分は自分のお金というのと、話して同意を得られるとは思っていないからだ。発覚して、問い詰められた旭は黙って背を向け、布団を被りフテ寝してしまう。佳織はその姿を見つめている。これまでにも、そうした態度を何度も見てきたのだろう。しかし、お金のトラブルは初めてのことだ。おそらくそうだろう。

 

 このシーン。ふたりが暮らす部屋の間取りがいい。どうやって撮影したんだろうというくらいの狭さで。佳織が仕事をする小机の脇に、旭がゴロンと横たわる敷きっぱなしの布団が見える。

 狭いワンルームには、逃げ場がない。結婚式を控えてブルーになっていく佳織のほうに、観客の目線がスライドしていくようになっている。

 彼女のほうにも、母親から旭との結婚を反対され、彼には言い出せずにいるという負い目があった。さらに結婚式を延ばせない事情が。

 大好きな祖母の認知症が進行し、自分のことがまだわかる間に花嫁姿を見せたい。その思いは伝えていたが、母親が旭を拒絶していることは言い出せずにいる。だからこそ旭の隠しごとにイラッとしてしまうという関係が見えてくる。

 旭がおかした失敗は、結婚資金のことだけではなかった。

 決定的なのは、結婚式の食事を選ぶにあたって試食できるというので佳織が予約を入れた夜、念押しをされたにもかかわらず、旭は待ち合わせの場所にあらわれず、別の場所に。洋人を騙した例の男がやってくるというので、張り込んでいたのだ。

 劇場で思わず「バカだ」とつぶやいてしまっていた。事情を話し、朝の時点ででも、予約をキャンセルしてもらう判断をしていたら。せめて、佳織から繰り返しかかってくる電話に出ていたら。

 旭は何度とかかってくるケータイ電話を切ってしまう。ほとんどパニック。目の前に男が現われたのと、電話のタイミングが重なる不運もあるにせよだ。そうした事情を旭は、洋人にも言わないのだ。

 大事な局面になるほど「言わない」のが旭という人間なんだろう。いや「言えない」のだ。問われれば問われるほど黙り込んでしまう。

 

 佳織との結婚が破談となった後、洋人から電話がかかってくるが、旭は出ようとしない。ジムにかかってきた電話で仕方なく会うことになる。破談になったことなどを知らない洋人は、アルバイト先の社長からよくしてもらって借金返済のメドがついたと上機嫌になって報告をするのだが、旭の表情は暗くなる。

 洋人から貸していたお金を返され、ついにブチきれてしまう。これでは、俺のしたことは何の意味もなくなるではないかと。

 一方的に何の説明もなしに怒鳴りまくる旭に、とまどう洋人。この場の構図は、旭と佳織の関係とも重なる。さらにただ一人の親友との絆まで旭は、自らの手で壊してしまうのか。あまりの愚かさにスクリーンを正視できなくなる。
 なぜ旭が憤るのか。洋人は理解できないままに別れるのだが、あとから追いかけてきてレポート用紙の束を差し出す。
 びっしりと書き込んだ細かい字。書いては消しをしたのだろう。黒く塗りつぶした推敲のあとがいっぱい。書きなれていない感が漂う。洋人役の役者さんの直筆なのか。一瞬カメラが寄りになる。

 原稿の文字がすごくいい。旭と接してきた年数が、しわになった紙の文字や消した痕跡から浮かびあがってくる。結婚式のときのスピーチの原稿だった。
 
 受け取った旭が、「俺、ひとりになってしまった……」という。驚いた洋人は、理由を訊こうとはしない。ただ、ただ、旭を見つめている。
「もうスピーチいらんけん」と言う旭を、洋人は黙って目を逸らすことなく見つめている。

 無言の間が続いたあと、洋人が笑顔になって「助かるわ。……削るとこなくて困っとったさ」と返す。このシーンがじつにいい。
 洋人の五島のなまりが強く、この最後の台詞がすぐにのみこめず、パンフレットに台本が収録されているというので買って確かめてみた。削るところがないという意味が掴みきれなかったのだ。

 緊張するたちだからスピーチをせんでよくなって安心した。そう返事したように聞こえた。とっさに、いたわりをこめて。しかし、正確な台詞は「削るとこなくて困っとったとさ」だった。
 そして最後にもう一言、重要な台詞が入る。一連の間合いからタイトルの「かぞくへ」が「家族へ」ではないことの意味が感じとれた。

 洋人と旭は、ふたりとも施設で育ち、兄弟以上に互いのことを思ってきたのだろう。ふたりは、家族がどういうものかを知らない。すでに島の女性と結婚した洋人は手探りで、家族をつくろうとし、東京に出稼ぎに出てきたのにはそれなりの事情があった。「へ」とわざわざタイトルに一文字が加えてあるのは、未来に向けた視線である。まだ「ひらがな」でしか知らない、たどたどしい文字でしか書くことのできない幼子がよちよちと一歩を踏み出す。そういう意味なのだと思う。

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 観に行った日、劇場のロビーで役者さんっぽいひとがいてカメラを向けられたりしていたから誰だろう?と思っていたら、洋人役の梅田さんだった。物腰といい雰囲気からしてまったくの別人で、役者って化けるもんだな。しゃべり方から五島列島出身だとばかり思ったら鳥取だし。このひといいわ!

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「泣き屋」という職業を取りあげた映画「見栄を張る」を観た

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 お葬式って、何のため、誰のためにするものなのか。お坊さんのお経はセットだと思いがち。実際、ワタシが喪主となった父の葬儀は、戒名をワタシがつけたことにより、檀家だった村のお坊さんとの関係がこじれはしたものの、葬儀屋さんのルートで別のお寺のお坊さんに来てもらい、枕経からひととおりのお経をあげてもらった。

 父に仏教に対する信心があったとは思えないが、母の葬儀のときのことを思うと、型破りなところのある人だったとはいえ、葬式にお坊さんが現れないとなると父から「なんで?」と言われそうに思えたから。ただし、遺言にしたがい極力人数のすくない「家族葬」にした。

 父の戒名を、仏教徒でもなんでもない息子がつける。そんなんありなんやというのは、ある宗教学者さんの本を読んだことによる。本来のブッダの教えには、戒名など存在しない。仏教が日本に伝わることで、独自にできあがったもの。だから各宗派ごとに戒名の付け方も異なっている。
 
 教えを授かったものの免許皆伝みたいな意味があり、本来なら生前に修行を積むことにより授かるものが、なぜか死後に村のお坊さんがつけるようになった。そんなことを知ると、もともと父に仏教に対する信心はないわけだし「戒名なんていらんやん」と思いもしたが、まだ元気だった頃に父にそういう話をしながら「ぼくが付けたるわ」と言ったら、面白がっていた。会話のすくない父子で、めずらしく弾んだものだった。

 訃報を聞いて新幹線に乗っている間、戒名の付け方について書かれた本を読みながら、不思議と忘れていた父の記憶が次々とよみがえってきた。ずっと、父のことは好きではなかったのに。どこにも遊びに連れていってもらったことがない。父に反発ばかりしていたのが、ああ、あそこにも行ったなぁ。思い出すたび、目の前がかすんだ。たぶん、お坊さんに頼んでいたらそんなことはなかっただろう。

 そんなことがあってから、お葬式や仏教のことにも興味をもつようになり、父の葬儀から一年間の出来事を本にもしたし、いまも弔い関係の取材を続けている。いまだに自分の中で結論が出ていないのは、何のためにお葬式をするのか。それは誰のためのものなのかということだ。

 

見栄を張るを観たのは、渋谷のユーロスペース。監督は藤村明世さん。是枝裕和監督のスタッフをしていた、まだ20代の新人ながら、かっちり落ち着いた作品だ。

 東京で暮らす30代になるかならないかという女性が、親代わりだった姉が急逝して、帰郷するという話。

以下、ネタバレあります

 主人公は「女優」を仕事にしているが、いまは仕事に恵まれていないらしい。冒頭、映画のオーデションで、亡くなった恋人にとりすがり泣くという演技を求められ、自分の前の応募者が声をあげて取り乱す大熱演の芝居を見たからか、ぼそぼそと泣く。それを見て審査の監督が、キミ台本読んだ?と不満顔をみせる。

 直後、事務所の同僚だった女性とバッタリと廊下で出くわし、「オーデション?」と聞かれ、「ううん、打ち合わせ」と答えてしまう。タイトルはそういう心境を表しているのだろう。

 主人公はデビュー間もないころに、ビールのCMでウサギの着ぐるみを着てアイドル的に注目されたことがあった。だから、まったく売れないままというわけではない、「ああ、あのCMの」と言われてしまう存在で、つい見栄を張ってしまう。

 しかし、そんな昔のことは、いまでは何の武器にもならない。それどころか、同棲中の彼氏はお笑い芸人ながら稼ぎはなく、主人公に頼りきり。クチばっかりのハズレな男と暮らしている。

 生活を切り詰めるために、カップ麺の焼きそばを食べる場面が何度も出てくる。
 チョイ足しで、チューブの生姜を混ざると美味しい、というのをやっている。あまりに何度もチューブの生姜が出てくるので、一度試してみたくなるくらい。これって、サブリミナル効果なんだろうか。

 それはさておき、この映画を観ようかなと思ったのは、亡くなったお姉さんが仕事にしていたのが「泣き屋」だというのがポイントだった。

 泣き屋というのは、以前台湾の映画で知ったが、お葬式のときに声をあげて泣き崩れる会葬者を雇う風習があるそうだ。韓国や台湾では知られているものらしい。
 日本にもあったのかなぁ。なんで、若い監督が「泣き屋」を知っていたのだろうという興味からだった。(スタッフさんに教えてもらったところ、監督さんが高校時代に「変わった職業」を紹介するテレビ番組を観たのが発端だとか)

 映画の舞台となる、主人公の郷里は和歌山県の海が見える田舎町。姉のお葬式には、都会ではほとんど目にすることのない、金ぴかの霊柩車が使われたりして、親戚や近所の人があつまる。ここには、泣き屋さんは出てこない。

 姉が「泣き屋」をしていたことを知るのは、ずいぶん時間が経過してのことだ。ゆくゆくは自分の後継者にしたいと思っていたと語る中年女性から、姉の仕事振りを聞かされた主人公は、現場を見せてもらう。

 女優なんだから、泣けるわ。そんなふうに軽く思っていたのだろうが、泣き屋ひとすじのベテラン社長から、泣き屋の極意とその存在意味を説かれて、わけがわからなくなる。

 悲しみにくれる場を盛り上げる。きっかけをもたらす役割ながら、共感を呼ぶ泣き方はそうそう簡単なものではないというのだ。

 たしかに、競合する?地方のタレント事務所から派遣されてきた若い女性が「わたしも、ちょっとテレビなんかにも出ているのよ、あなたどこの事務職?」と探りを入れられる。トイレで出くわしたこの女性たちの泣き方が、あまりにハデで、これじゃ逆効果だろうというほどにクサイ演技を見せる。
 これほど女が号泣するって、亡くなられたダンナさんと訳ありなん?と疑念を周囲に振りまきかねない的な泣き方をして、たまりかねた主人公が立腹する場面がある。

 ヒロインを演じるのは、久保陽香さん。初めて知る女優さんだが、堪えて我慢して、だんだん眉が水平に寄ってくる顔の表情がすごくよかった。不機嫌全開という。

 怒る場面は何度も出てくる。大声をあげるわけでもない。その怒り方がすごくリアルなのだ。

 たとえば、ヒモみたいな存在にまで成り下がっていた彼氏が主人公を追ってきて、田舎の家に居座るのだが、これがどうにも気の回らない粗忽者(ダメ男を演じる役者さんが上手かった)で、姉が大事に残していた缶ビールを見つけ、ひとりでぜんぶ飲み干してしまっていた。

 姉は、妹の出たCMを録画保存していただけでなく、取材記事の切抜きをファイルにしていた。両親ならよくある話だが、口喧嘩の多かった姉というのがミソだ。

 空になった缶ビールはどれも、クシャっと握りつぶされていた。それを見て主人公は、無言で平手打ち、出ていけと言い放つ。
 その後につぶれた缶が映し出されるのだが、彼女の存在そのものが否定されたかにも見える。同時に他人からしたら、たかだか缶だろうとも見える。意味合いが深い。

 いや、平手打ちをするのはその前の別件で、このときは、オマエも食べるか、と差し出されたカップ麺を頭上からぶっかけるのだったか。いずれにしても、このときの眉根を寄せる顔が、美しい。

 そういえば、ひとつだけひっかかったのは、彼女がふだんは長い髪を垂らしていて、ストレートの長い黒髪に目がいってしまうのだ。
 姉が打ち込んでいた泣き屋に興味をもった主人公は、現場におもむくときには髪を束ねて、凛々しく見える。その一方で、長い髪を垂らしているときにはいかにもな美人にしか見えない。髪を上げた頬のラインがとてもキレイなのに、もったいなあな。主人公は、自分の本来のよさに気づいていないという演出的な暗喩なのだろうか。

 姉のやっていた「泣き屋」の仕事を体験しながらも、なかなか上手く泣くことのできない主人公だったが、最後に「泣き屋」というのは、これからの時代には存在意味が出てくるかもなぁと思わせる場面がある。

 ある日、姉のことを知っているお婆さんが、姉を指名して仕事を頼みたいといってくる。
 身寄りのない女性で、数日後、彼女の葬儀には主人公と事務所の社長ふたりが立ち会うだけだ。

 そこで主人公は、長年の知人のようにして涙をためて棺を覗き込む。
 号泣するわけではない。静かに涙をためて、寄り添う。

 前後の様子から、おばあさんの葬儀は近頃増えている「直葬」もしくは「火葬式」と呼ばれる、お坊さんの立会いもない、病院などから直接火葬場に運ばれて火葬にふされる簡易な葬儀だと思われる。
 
 いわゆる「孤独死」を覚悟していたからこそ、依頼者のお婆さんは、どこかで姉のことを見て、指名したにちがいない。

 誰だって、最期には誰かに見送られたい。そう思うのが正直な気持ちではないだろうか。
 大勢の人でなくともよい。哀しんでくれるひとが、ひとりでもいいからいてくれたら。そうした思いに主人公は、見ごとに応えていた。

 泣き屋を頼む。それは残された家族にとっての見栄なのか。故人の見栄なのか。たとえそうであっても、人生の最後にそれぐらい望んでもいいではないか。とくに、映画に出てきたおばあさんを目にすると、たとえ見栄だとしてもいいじゃないか。肯定する気持ちがわいてきた。

「泣き屋」という職業は、日本ではフィクションだと思うが、これからはこうした仕事があったらいいなあと思えた。

 映画には、姉が遺した小学生の男の子が出てくる。母と子の生活で、親戚は誰が引き取るのか会議を連日催す。そんなある日、母親の仕事着だった喪服を主人公が着こんで出かけようとする傍で、この匂いが好き、と男の子が鼻を近づける場面がある。お線香の匂いね。主人公が答える。とてもいいシーンだった。


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インタビューライター・朝山実 近著 『父の戒名をつけてみました』(中央公論新社) 『アフター・ザ・レッド 連合赤軍兵士たちの40年』(角川書店) 『イッセー尾形の人生コーチング』(日経BP社)etc. 不定期連載 「日刊チェンマイ新聞」"朝山実の、という本の話" http://www.norththai.jp/