船戸与一と『斬』
「週刊現代」5/24号で、船戸与一さんをインタビュー(書評欄「わが人生最高の10冊」)したのが掲載されています。
船戸さんは、満州国の歴史をたどった『満州国演義』(新潮社)にこの数年とりかかられていて、仕事場は資料がいっぱい。若いころ本を読まなかったと話されていたけど。
お会いしたのは、これで3度目。「名前に見覚えはあったけど、いつだったか?」と尋ねられ、10年くらい前と、20年前と答えたが、思い出してはもらえなかった。特徴に欠けるワタシ。そんなものだなぁと思うものの、淋しいのはさびしい。好きになる作家さんほど憶えてもらったりすることが多い。
『山猫の夏』を手にしたのが、30年ちかく昔、大阪にいていくつか転職し、夕刊紙のカツギヤさんのバイトをしていたころだった。黄色いソフトカバーの本で、「船戸与一」を知った。冒険小説というのにはまった。新鮮だった。お金はなく古本屋さんに通い、ポケットに入れるには分厚すぎる本だった。
記事では、船戸さんが小説家になるかならないころ、アフリカへ旅した際のことを聞いて書いた。ほんとうは、もっともっと聞きだしたかったのだが、憧れ度が高いと、困ったことにいまだにオドオドしてしまうのだ。
「10冊」あげてもらった中で、ワタシがいま読みつつあるのは、綱淵謙錠著『斬(ざん)』。
江戸時代に代々、罪人の首を斬るのを仕事にしていた一家の話。子連れ狼の拝一刀みたいな役職。
首を斬るということで著者の綱淵さんは、三島由紀夫が切腹自決の様子について詳しく考察している。介錯をした森田必勝が一刀にて果たせなかったのは、三島が深く腹に切り込んだために身体が反り返ったためで、ふつうは軽く腹に刀をあてるくらいですますものらしい。森田さんが失敗したわけではないというのを知ることができてよかった。それは、いくぶん欄外な記述。なんで船戸さんがこれを10冊に加えたのか、当初は不思議だったが、読むほどに乾いたタッチの行間に情がにじみでるのは船戸与一の背骨に通じているなと思いはじめている。