『セトウツミ』此元加津也、から…
【わにわに書庫】
『セトウツミ①』此元和津也、秋田書店、
「ハラダ親子」が気になる、クールでウエットな“相棒”マンガ。
これは、ふたりの高校生男子が、川べりに腰かけて掛け合いマンザイのようにダベっている。究極それだけのマンガ。でも、オモシロイ!
ダベっている、といえば、ファミレスで三人組の青年がそこで時間をつぶすだけの、石原まこちんの『THE3名様』というのがある。10年くらい前に映像化もされヒットした。対比でいうと三人だからあっちはトリオ漫才、『セトウツミ』は、やすきよ風のしゃべくり漫才というか、いまはお笑い芸人ナシではテレビは成立しない時代だから、こういうマンガが出てくるのも不思議ではないものの、主人公たちがクールで、テッペンを目指してやろうとかいったありがちな野心めいたものが、うっすらとも感じられなるい。
ふたりはできるだけ「先のこと」を遅らしたい。連作もので、ドラマッチクな展開になりそうになると、ぷつんと終わる。前に進みたくない。ここに居たい。いてるだけ。
主人公の瀬戸と内海。セトはイメケン、秀才タイプで、塾に行くまでの暇つぶし。いっぽう、ウツミはサッカー部を辞め、帰宅したくない。境遇もキャラも異なるふたりの“相棒”ものである。
究極の素人マンザイみたいなものだから、覗いているこちらが気恥ずかしくなる場面もある。そして、恥ずかしさと究極の感動は紙一重。ちょっとイミシン、テツガク的なやりとりもある。
そういえば、やすきよの漫才に見入っている間は、いやなことを忘れることができた。
斬新なのは、画調だ。
『THE3名様』が白味の多い、低予算セットで、「たいしたことやっていませから」と、くだらない会話で惹きつけていく、まこちんに対して、『セトウツミ』は緻密でリアル。実写映画を連想させる浅野いにお系というか、実景が、会話の「無意味」と関係の「意味」を際立たせる効果をもたらしている。
いつまでも昔の嫌なことにこだわっているウツミに、セトが「数値」を例にして、こう訊ねる場面がある。
思い出すたびに「ムカー」となるのと、グチって解消される気持ち。プラマイで、どうなのか?
グチるたびムカーが膨張するだけなら、相手を許したほうがよくないか、とセトはいう。
マンガだからこその説得力がある。
ところで、アフリカオオコノハズク、て知ってますか? マンガの比喩に出てくるけど、面白い。
もうひとつ。ふたりが好きなバンドが、「ハラダ親子」。高校生(ゆずっぽい男子)とそのオカンの母子ユニット。聴いてみたくなる。センスのいいマンガだ。