わにわに

朝山実が、読んだ本のことなど

小松さんの長電話

あの日の笑福亭小松さん②

 

 取材中、何度も電話をかけてくるひとだった。「どうしておられますか? と思って」

 愛嬌のある声だった。なれなれしい口はならない。それなのに、ぐっと身を寄せてくる。

AERA」の「現代の肖像」の取材は半年くらいときには一年近く続ける長丁場のものだが、チョクで電話をかけてくる人は後にも先にも小松さんひとりだった。とくに芸能人の場合は、事務所のひとが介在するからスケジュール的なやりとりはマネージャーなりのスタッフとのことが多いし、なにより小松さんの場合は、「どうしておられますか?」から始まる近況報告で、いま思えばこちらのことを知ろうというよりも、こんな自分をより知ってほしいという思いから発するものだったのだろう。

 長電話のひとで、30分から1時間、ときに2時間ちかく、たわいない話が続き、途中、書斎に入ってきた「おかん」から「あんた、なにしてんの。仕事しぃや」といわれる声が電話越しに聴こえてきた。

「いまは取材の人と電話しているんや」

 小松さんは、言い訳するように「取材」という一言に力を入れていた。

「すんませんなぁ。信用がないもんで」と恥かしげに笑った小松さん。エライなぁと思ったのは、小言をいう母親に対して、声を大きくすることがなかった。ジブンならば、うるさそうに言ったにちがいない。

 そういえば、小松さんは4人きょうだいの3番目。お母さんを引き取って同居していた。母親からしたら、いちばん心配な子ということもあったのだろうが、小松さんの家を訪れると、高校生の長男や中学生の長女のが「おばあちゃん」になついていたことだ。

 小松さんの家は、奈良の奥まったところにある旧家を改造した家で、そういえばこれもほかの取材ではないことだが、度々その家を訪れた。

 最寄りの駅に着くと、ケータイに電話する。「着きましたか。待っててください。すぐお迎えにいきます」と小松さん。愛車はBMWで、当時はそれだけ稼いではいたのだろうけど「着飾るひとやなぁ」と思った。そういうのも後押しになっている間はいいのだろうが。

 BMWと朽ちた旧家。ちくばくではあるが、ワタシ、そういうのは嫌いじゃない。好きだ。ぴかぴかにスタイリッシュなマンションよりも。そういえば、最初に訪れた日、玄関口に「何人いているんやろう」とびっくりするくらい履物があふれていた。

 小松さんの母親、妻、子供がふたり。それに入門したばかりの「初弟子」がひとり。下駄箱のない家だった。

 

「あれねぇ、どうにかなりませんか」

 AERAを見返していて、思い出したのが、小松さんの長電話だ。「これで取材をおえます」といったときに、どうしても原稿を見せてほしいという。

「わたしはいいんですけど、まわりに迷惑がかかったらいけませんので」ごにょごにょ。

 AERAでは、編集部の方針として原稿を見せないことにしている。検閲にあたるとか筆が臆するからとか理由はあるのだが、ライターとしてはいまひとつ説得力を欠いているように思っている。ただ、なかには事前に原稿を見せれば書きかえを要求され、それに抗うことができないでナマヌルイ記事になってしまうからというのは確かにあるだろう。でも、長丁場を経て、そこで最後の踏ん張りを見せられないのなら、そもそもそういう取材は意味がないのではと思ったりもする。

「お見せするのはいいですけど、事実誤認はご指摘いただけると助かりますが、認識の違いに関しては修正しないケースがありますから」と伝えたうえで、ラフにあたる下書きをお見せした。わかってもらっていたはずなのだが、いくつか「どうにかなりませんかねぇ」と暗いトーンになる。

長電話になったのは、自宅で小松さんが母親にお叱りを受けている場面。けっこう分量がある。「あれ、ないとあきませんか」。いい大人が子供たちに示しがつかないという。でも、あれは特別にあの日にことじゃないように思えたし、たしかに格好は悪いけど、おばあちゃんを中心にした一家のいい感じが出ていたので、小松さんは恥ずかしいでしょうけど、我慢してくださいよ。そんなふうに説得した。「そうですかぁ、でも……」と小松さんも、粘った。エラかったのは、事務所を通さずご自分でやりとりしたこと。強い調子ではなく、どちらかというと泣き落とし戦術だったこと。

「読者は、小松さんのことを好きになりますから。そこは信じてくださいよ」というと、もごもごいいながら「わかりました」とスッキリひっこめてくれたこと。

 10年ぶりに読み返してみて、わが原稿ながら目頭があつくなった。

「わかりました」で、一見落着。と思ったら、そういかないのが小松さんで、「それはわかりましたが、あの最後の部分はなんとかなりませんか」「というと?」「玄関の履物のところ」「ああ。でも、先日訪れたときに、きれいになっていると思ってお訊ねしたら、『松り(お弟子さんの芸名)がなんやラックを買うてきて整理しよったんですわ』と言っていおられたでしょう。松りさん、ふだん無口であまり話すこともなかったけど、同じところを見ていて気になっていたんやなぁと思って。小松さんは、そういう若いひとをお弟子さんにしているというのを伝えたいので、ここは外したくないんですよ」というと、「必要かなぁ。うーん……」と黙り込んだ。

  説明したあとは、ワタシも待つだけだった。「……うーん」を何度か耳にしたあと、「おまかせします。ワタシにはわからんけど、ほかのひとならともかく、ずっと見てきていただいたアサヤマさんが自信をもって、これがいいんやとおっしゃるんやから」

 そのときだったか、別の機会だったか。もはや記憶が曖昧なのだが、小松さんから目を覗き込むようにして問われた、ということはどこかの取材の流れだろう。「わたしのこと、愛してくれます」と訊かれたことがあった。

   そんな質問は予想もしていなかった。答えにつまりながら、これは曖昧な答えはよくないと思い、「愛してはないです。だけど、好きですよ」。

   残念そうな顔になった。ということは、やはりどこかの場所でのことだ。おそらく、取材を終えますといった前後じゃなかったか。取材で出会った記者にそんな質問をするのがいまとなってはなんとも小松さんらしい。

 後日、雑誌が届いたと電話があった。お礼のことばと「なんや松りが、読んでえらい笑ってますわ」弾んだ声にすくわれた。読者がどうのは二のことで、取材をしてひとりの人物について書くというのは、そのひとの気づかない自画像を描くことに尽きる。おべっかをつかうのは下種だが、嫌悪を残したのでは意味がない。

 その電話が小松さんとの最後の接触になる。たいてい、そういうふうにして多くの取材相手とは遠ざかっていくのがワタシの仕事の仕方だった。はずなのだが、あれは二年くらいした頃だったろうか。ケータイが鳴った。

「ああ小松です。元気にしてはりますか?」

 やけに活気のある声だった。

(つづく)

インタビューライター・朝山実 近著 『父の戒名をつけてみました』(中央公論新社) 『アフター・ザ・レッド 連合赤軍兵士たちの40年』(角川書店) 『イッセー尾形の人生コーチング』(日経BP社)etc. 不定期連載 「日刊チェンマイ新聞」"朝山実の、という本の話" http://www.norththai.jp/