小松さんのカラゲンキ
AERA 2003年 6/2号
がん克服の講演会で。撮影は郭充さん
笑福亭小松さんについて③
小松さんの検索をしていると、落語家仲間の桂文福さんのブログを見つけた。小松さんが「笑福亭」を名乗れなくなって以降の付き合いが書かれてある。
安堵した。鶴瓶さんと亡くなる前に電話で話せたらしい。「小松の名前は預かりにしているから」といわれたとか。いつか復籍は可能という希望をもたせるものだ。たとえ、それが夢のようなことでもうれしかったと思う。
[ 文福のヨメ物語]http://bunbukuyome.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-3cd2.html
小松さんから最後に電話がかかってきたのは、覚せい剤で逮捕される一年か二年くらい前だったと思う。
「アサヤマさん、どうしておられますか。小松です」
元気一杯の声に対して、眠たそうな返事のワタシ。
「どこかお体でも悪いんですか?」「いえ、いつもこんな感じです」
「ははは、そうですか。いゃあ、わたしもねぇ……」といってから、なかなか本題に入る様子もなくまったりした話が続いた。
小松さんとは、AERAの取材で半年ほどの間、二週に一度の割合で会っていたが、その後はとくに連絡を交わすわけでもなかった。小松さんに限らず、たいていの場合がそうで、「変わっている。ふつうは、あれだけ密に付き合ったんなら、どうしてますって用がなくても電話するもんやろ」と説教をちょうだいしたこともある。そういう電話がかけられるようなら、もっとちがう生き方をできただろう。
「クルマの使い勝手が悪いんで、新しいのに買い換えようと思っているんです」とBMWを下取りにだしたらしいこと、奈良は不便なんで大阪市内へ転居しようとしていることなど、どこへ行くのだろうと思って話に耳を傾けるうち、
「アサヤマさん、ところで、毎月の稼ぎってどのくらいですのん?」……フリーなんで決まってないですね。「ああ、そうですか。わたしらと同じなんですねぇ。そうしたら、月々のお小遣いてどれぐらいですの?」というのを聞いて、にぶいワタシもピンと来た。借金の申し入れなのだろう。困ったふうは微塵も見せず、落ち込んだ声も出さない。取材のときに、借金のあげく大阪の南港に沈められそうにそったというのをネタにしていただけある。さすが小松さんである。
家を買い換えるのに一時的にお金を貸してもらえないか。すぐに返すアテはあるんです、という。元気そのもの。ワタシは、頭の中で、AERAの原稿料から「稼ぎ」となったぶんはいくらぐらいか計算しはじめた。取材の間、飲食のほとんどを小松さんに出してもらっていた。男前というか、ケチケチしていないひとだった。あれば振舞うとうのか、芸人らしい芸人気質のひとで、そういえば取材を終えようとするころに「これ」ともらったものがある。バーバリイーのキーホルダーで、「えっ、なんで?」と訊ねると、「お似合いかと思って」。たいした意味はなかったのかもしれないが、うれしかったのを覚えている。結局10年ちかく、そのキーホルダーをいまも使っている。布地の部分が汗を吸いととって汚れてきたが、いまとなっては片身みたいなものだ。
「30万ほど、すぐに必要なんですわ」と小松さん。たぶん、貸したらこれは返ってこないというのが、声の明るさから見通せた。イッテコイで、恨みに思わない金額としたら、いくらだろう。
30万満額だと原稿料どころの話ではない。というより、今後も二度三度と電話はかかってくるにちがいない。いろいろ考えて、「すぐなら5万円だと出せますけど」というと、がっかりした声が。ほかにも電話したあげくだったのだろう。業界の仲間から借りることはできなくなって、友達関係も無理といわれたあげくのワタシだったらしい。
「今日中に30万ないとなぁ……」
「芸能界のひとにしたら、30万円て右から左の金額なんでしょうけど、ふつうにサラリーマンとかしていたら、嫁とかに相談せずに即金でなると5万円は小さくないんですよ」
「そうですか。さっき電話した友達も、5万ならなんとかしたるわっていうてたなぁ」
「でしょう。一人で30万はきついけど、手間だけど6人から5万ずつならなんとかなるんじゃないですか。小口は面倒かもしれませんけど、小松さんに言われて、その額なら」
「そうですねぇ。わかりました。そうしてみます。ありがとうございます。で、すぐに5万円をいまからいう口座に振り込んでもらえますか。わたしの口座だとまずいので」
息子の名義をいうので、ギフトだと観念した。ただ、小松さんがエライと思ったのは、振込みを確認すると折り返し電話があったことだ。「今回はほんとうにお恥かしいことで。必ずすぐにお返ししますから」という。最後まで、困窮している素振がなかった。そして、二度と電話はなかった。
当時その一件をいっしょに暮らしていた彼女にそのことを話すと、「わたしも5万円なら出そうか」という。
「返ってこないよ」「でも、返すと言ったのよね」「返せないひとほど、返すというよ」「返ってこなくてもいいわ」……
彼女はワタシから取材をしている過程を耳にしていたから、他人事じゃない、小松さんに親近感を抱いていたそうだ。ちょっと肝心のところでダメなところというか。そういうふうに、ひとに好かれる。なろうとしても悪人になりきれないのが小松さんである。
小松さんが実刑を受けた際、何度か訪ねていこうかと思ったが、結局一度もそうしなかった。「いいときは取材のひとは集まってくるけど、あかんようになったら誰も寄り付かなくなるもんです」
小松さんにとって、ワタシはその大勢の一人になった。
でも、会えばしげしげと見つめ「なんやえらい変わったひとですねぇ」と言われた、童のような顔が浮かんでくる。ありがとうごさいました! 夏川雁二郎こと、笑福亭小松さん。