わにわに

朝山実が、読んだ本のことなど

泥田坊とトーセンボー

メキメキえんぴつ (fukkan.com)

 こうの史代さんが4コマ漫画を描かれている『あのとき、この本』(平凡社)で、『メキメキえんぴつ』(大海赫=作・絵、ブッキング)という本が紹介されていて、表紙の絵と、紹介者の石川浩司さんの文章とで、読まずにいられなくなりました。

 71人のひとが、それぞれ「好きな絵本」について書くエッセイ集で、それをもとにこうのさんが漫画を描いています。

 子ども向けの本にしては、もやもやとした終わり方をするし、絵はブキミだし。「救われない主人公に軽いトラウマになる子どももいるだろう」とまでいわれると、どんな本だろうかと思いますよね。

 ワタシ、子供のころはすごい怖がりで、小学校の遠足で動物園に併設されたお化け屋敷の前で、入ろうかどうしょうかと迷っているクラスの女の子たちを前にして、「こんなものなんでもないよ」と意気揚々、足を踏み入れたものの、一分ももたず、思い切り入り口をめがけて逆走してしまった。あとから入ってきた女子たちを押しのけ、引率の先生があわてて追いかけてくるのをふりきり。

 まだお化けとも遭遇していない。暗い屋敷の中の、ぐらぐらとする橋を模した床に足をつけただけなのに、ぬるっ、とした足の裏でもうマックス。係りのひとの制止をはねのけ、うおーうおーひくひく泣きじゃくるわで、しばらくしてキャーキャーいいながら出口から出てきた女子たちから見下され、ホントなさけなかぎり。

 そんな怖がりにもかかわらず、どういうわけか、怖いものから目が離せない。テレビで『ザ・ガードマン』というテレビドラマが子どものころにやっていて、宇津井健さんが警備保障会社のキャップで、警察以上にガードマンたちが活躍して悪党を捕まえる(これも大人になってみると、ありえない設定ですが、たぶん警備保障会社が注目されるくらい社会ぜんたいが上向きだったんでしょう)、石橋連司さんがよく悪党役で出演していたのをよく憶えています。

 で、夏になるとそのテレビが怪談話をやるんですが、この回だけはぜったい見逃さないというか。怖いにもかかわらず身を硬くしながら、観ている。見始めたら、途中で目をそらすと寝つけそうにないものだから最後まで見続ける。

 パターンは決まっていて、幽霊は出てくるものの、それは誰かの仕業だったというのが、ガードマンたちが犯人を捕まえたときにわかって、ちゃんちゃん。ああ、よかった。

 なでおろした瞬間、「でも、おかしいな。あれは、どうなったの?」と疑問が残り、ええーっ、とその場の全員が顔を見合わせて終わるという、なんとも後味のわるいもので、だったらよけい見なきゃいいものなんだけど、なんでなんですかねぇ。

 

『メキメキえんぴつ』の大海さんが、あとがきで、こんなことを書かれています。

〈ぼくは、とっても臆病な子でした。夜は暗い所に、一人では行けませんでしたし、昼間でも幽霊話など、こわくて聞けませんでした。母に死なれるのが、ものすごくこわかったものですが、やがて、自分自身の死をひどくこわがるようになりました。ぼくが宗教というものを真剣に求めたのも、臆病が原因でしょう。〉

 で、こわい本を書いたのは、臆病の産物だというのです。なるほど。

「メキメキえんぴつ」は、なぞの女のひとから、大きな鉛筆を買った男の子の話で、これをつかうと頭がよくなるという。これがただの鉛筆ではなくて、男の子がなまけていると、脅しをかけてくる。

   絵もブキミで、たしかに子どもが読むとトラウマになるかもしれない。さすがにもう怖がるトシでもないので、最後まで読めましたが、ちょっとブラックなタッチで、絵の感じといい、エドワード・ゴーリーを思いうかべたりしました。あと、売りつける女の人がちょっとイジワルそうなところとかは、ねずみ男ですね。

 ねずみ男というと、ハナシはとびますが、「ゲゲゲの鬼太郎」の中に、「泥田坊」という妖怪が出てくる話があって、筑摩書房の編集者だった松田哲夫さんの本(『縁もたけなわ』小学館)を読むと、水木しげるさんの仕事場に出入りしたときに、原作を書いてみてよといわれ、採用されたうちの1本が田んぼの妖怪だったとか。

    当時は三里塚空港建設反対運動(いまの成田空港)の激闘があり、理不尽に土地をとりあげられようとすることに抵抗する農民をモデルにしたとか。

 さっそく、ちくま文庫に収録されているのを探して読むと、世相が感じられる。テレビで、砦に立てこもった農家のおばちゃんらが糞尿を頭からかぶり、機動隊に向かって糞尿バクダンを投げつけていたというハナシが頭のなかでダブったりしました。

    妖怪というのは、昔からあった伝承ばかりではなくて、新しい創作も混じっていたというか、その時代や社会情勢と結びついたそっちが中心なのかといまさらながらに納得。そういう意味では、鬼太郎は社会派でもあったんだなあと。

 でも、こどものころに読んだ記憶だと、水木さんの漫画はタッチが陰気で、どれも怖すぎ、それこそ夜ひとりで便所にいけなかったものです。社会がどうのなんて、考えも及ばなかった。

    怖かった一番は「猫又」で、おそるおそる、掲載されている少年マガジンを何度も読み返しては、部屋の端の見えないところに置くということを繰り返していた。

 

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『メキメキえんぴつ』の中で、泥田坊にちょっと近いのが、「トーセンボー」。老朽化したマンションを取り壊そうという動きに対して、なぞの男たちがバリケードをきづくというもの。

    顔のラクガキや全身キズだらけだったりして、どうやらマンションに棲むついたモノノケらしい。説明はないけど。

    男たちは、自分たちがマンションの壁の隙間から現れたところを小学生の男の子に目撃されたために、彼にだけはトーセンボーをしないで目こぼしするという話。でも、やはり最後のオチは、もやもやとしてしまう。うん。これって、水木しげるにちかい。

 

あのとき、この本

あのとき、この本

 

 

 

 

 

ゲゲゲの鬼太郎 (7) (ちくま文庫)

ゲゲゲの鬼太郎 (7) (ちくま文庫)

 

 

インタビューライター・朝山実 近著 『父の戒名をつけてみました』(中央公論新社) 『アフター・ザ・レッド 連合赤軍兵士たちの40年』(角川書店) 『イッセー尾形の人生コーチング』(日経BP社)etc. 不定期連載 「日刊チェンマイ新聞」"朝山実の、という本の話" http://www.norththai.jp/