わにわに

朝山実が、読んだ本のことなど

『失職女子。』という本から、命のロープについて考えてみました。

 生活保護を受給するには、まず「住所」が必要。でも、いま住んでいるアパートから退去を求められています。どうしたらいいでしょう?

 というように困惑しているひとが読むとすごい力になるのが、大和彩著『失職女子。 私がリストラされてから、生活保護を受給するまで』(WAVE出版)。

 富士の樹海に行こうと考えていた女性が綴ったノンフィクション、体験記です。

失職女子。 ~私がリストラされてから、生活保護を受給するまで

 

 苦しい状況を綴ったエッセイなのだけど、ちょっと、ふふっと笑える。たとえば、こんなところ。

 いろんな書類を提出するときに必要となる「印鑑登録」の申請。著者は、役所の窓口で、係りのひとが、預けた自分のハンコを手に、「大きな朱肉の山に丁寧に押し付ける」動作をじっと見つめている。その描写が、小説の一場面のようで面白い。

〈ハンコを数ミリずつ回転させながら、インクが均等に行きわたっているか何度もチェックしてから押されたハンコは、私が押したものとは比べものにならない美しさで、「ほぅ、これがプロの押したハンコか!」と目を見張りました。〉

 家賃が払えず、うろたえていて。悠長に構えていられる場面ではないんですけどね。でも、シーンが目に浮かびます。というのは著者には筆力があるということです。

 シリアスな話だけに、こういう本にこそ「笑い」は大事です。

 大家さんに相談をしにいくのにも、大和さんは、手土産を持参するかどうかで悩んだりしています。駄菓子よりも家賃だろう、と言われるんじゃないか。でも、礼儀として……。

 解決法も大事ですが、そういうチマチマした「個的」な話がイキイキしていて面白いです。読者のいまのワタシが切迫していないから言えるのかもしれませんが。

 ルポの書き物の仕事とかに大和さんが向いていそうに思ったのは、会ったひとの話をよく聞いて、まとめるのがうまい。

 一例が、ハローワークに出される「求人票の読み方」を教わります。

「オフィスの平均年齢は28.5歳」と記してあれば、会社はそのくらいの年齢の人を採用したいと考えているということ。真意を知れば、ムダに応募しなくてすみます。

 ハウツーの本とちがうのは、ソコのポイントを極太の文字にはしていませんから、読者が「役立つ」と思えば自分でマーカーしないといけません。

    ともかく著者は「生活保護」という制度があると知ってから、自分で調べはじめます。ネットを使い、図書館を利用。いちばん読みたかったのは、自分と同じ境遇に置かれている体験談。しかし、図書館や本屋さんにあるのは申請に関する実務の本か、福祉を勉強するひと向けの「アカデミックな本」ばかり。欲しているものは見つけられなかった。

 なので、あのときの自分が手にしたらどんなにホッとするか、ということを考えてこの本は書かれています。

 

 じつは『最貧困女子』(幻冬舎新書)を書かれたルポライターの鈴木大介さんをインタビューしたときに、「あわせて読んでほしい」と言われたのが、この本でした。教えてもらわなければ、ほぼ手にすることもなかったでしょう。

 リストラで失職。再就職を望むものの、百社から不採用(ワタシならとうにへこたれている数です)。ついに貯金は尽き果て、「自殺」がちらついていたときに「生活保護」というものがあることを知る。といった道程が綴られていて、「こんなにシッカリしたひとでも、生活保護を受けるとなるまでがこんな遠いものか」と鈴木さんは言います。

 つまり、大卒で正社員のキャリアがあってさえ、入り口になかなかたどり着かないということは、「以下のひとたち」は推して知るべし。アベノミクスの恩恵など、ない。ワタシが目にしていないというか、見たくない「これもまた眼前の現実」というわけです。

 そもそも著者インタビューで、自分の本以上に、他人の本を熱心にすすめられるのはそんなにあることではない。しかも鈴木さんとは初対面。これだけで、面白いひとだなぁと思いました。

 だから早速、読みました『失職女子。』。すこし時計の針を巻き戻せば、高収入のお笑い芸人の「オカンが生活保護を受給している」というニュースをきっかけに、政権与党の議員さんたちが「制度の見直し」をもっと厳しくしなきゃいかんと言い出しましたよね。いかにもみんなの合意のとれそうな一例を取り上げて、だから均一に厳しくというのはヤッパちがうわなぁというのが、本書を読んでの実感です。時間差で、引き戻してくれるというか。

 どんなものでもそうですが、制度のスキマを悪用するひとたちは、制度のことをよく知っている。が、大和さんのように、自分が受給資格を充たす存在であることはおろか、制度についてすら知らなかったり、知ったうえでも尚「受けたくない」と拒絶したりするひとがいる。そういうひとたちが、おそらく不正受給の数以上に裾野にはたくさんいるのだろうということが、大和さんの詳しい「自分史」から読めてきます。

 書かれているのは大和彩さんひとりの生活風景。働こうとしても、出しても出しても書類ではねられる。クリアファイルに履歴書を入れて郵送していたのを折りたためば、送料が安くできる。百円が切実。どうして、そうしなかったのだろうと、ある日、気づきます。

 せつないです。

 35を越えたら、女子の働き口は極端に狭まるというのもよくわかります。追い込まれる逸話の連鎖は、宮部みゆきの小説を読むようです。というか、リアルさではそれ以上。

 鈴木大介さんがいうように、こんなにマジメで、能力も学力も責任感のあるひとでさえ、突然の失職、預金も底をつき、悪循環から住む家もなくしかねている。

 自分が、と想像したら、冷静にいられるものではないしょう。しかも、頼れる家族も友人もいない(人づき合いが不得手で、両親からはDVを受けていた)となると、目の前が真っ暗になるものです。

「借金、風俗、自死

 大和さんの脳裏で点滅していた、三択。「生活保護」というオプションは、まったく頭になかったといいます。

 大和さんの場合、幸運だったのは、市役所の福祉課担当者やハローワークの担当者に恵まれていたことです。「恐い」と怯えていた福祉課のひとは、ちゃんと最後まで話を聞いてくれ、見かねたのか、ハローワークの相談窓口まで付き添いでいってくれるではありませんか。

 係りのひとのキャラにもよるのでしょうが、やりとりのちょっとしたノリシロ部分が、困窮していた当事者には気持ちの大きなセーフティーネットになるのだというのがわかります。ショッカーのアジトを覚悟していったら、仮面ライダーに出会ったような展開です。

 誰にも相談できず、アパートに閉じこもっていたら、最悪の選択が濃厚だったかもしれません。

 そうそう。ハローワークで役立ったといえば、ようやくの求人の面接で、両親はいまどうしているかと質問をされること。なんでこのトシになっても、親のことを訊かれるのか。大和さんでなくとも、ふつう、ムッとしますよ。

 でも、必ずというくらい訊かれる。謎に思っていたことが、ハローワークのひとと話しているうちに解けていく。

 なるほどという推理です。不愉快ではあるにしても、理由がわかれば以降の履歴書の書き方を変えればいい。でも、彼女ひとりではそういうことは思いもつかなかった、一緒に考えてくれる担当者さんがいてこそ。

 なにより「わたしは、いま、ひとりじゃない」という気持ちになれるかどうかが、最後のほんとうのネットなのだというのがわかります。

 作家の津村記久子さんが、パワーハラスメントを受けて会社を辞めたときに、ハローワークのカウンセラーに助けられたという体験をエッセイに綴られていましたが、頼れる存在なのかも。

 最後に、この本がいいのは、読み終えてカバーを剥がすと、おそらく直筆なのでしょう、大和さんの決意の三文字が読めたことです。

 

失職女子。 ~私がリストラされてから、生活保護を受給するまで

失職女子。 ~私がリストラされてから、生活保護を受給するまで

 

 

 

最貧困女子 (幻冬舎新書)

最貧困女子 (幻冬舎新書)

 

 

 

インタビューライター・朝山実 近著 『父の戒名をつけてみました』(中央公論新社) 『アフター・ザ・レッド 連合赤軍兵士たちの40年』(角川書店) 『イッセー尾形の人生コーチング』(日経BP社)etc. 不定期連載 「日刊チェンマイ新聞」"朝山実の、という本の話" http://www.norththai.jp/