老いての恋、山田太一さんの小説が漫画になった。
山田太一さんの同名小説を漫画にしたのが本書で、新井英樹さんの作品を読むのはこれがはじめてです。
巻末の山田さんとの対談で、新井さんはご自分の絵のキャラクターは美男美女ではなくて、嫌いと拒絶する読者も多いというふうに語られていますが、たしかに「濃い」です。
老人介護施設で働いていた青年「草介」が主人公で、ケアマネージャーの中年女性「重光さん」、妻をなくし車椅子の独居老人「吉崎さん」。三人の話というスジも、ハッとするシーンも原作にそっています。
ちがいは、視覚化された際のキャラクターのいっそうの「濃さ」でしょうか。
老人の偏屈さは視覚化されると小説以上に歪に印象づけられます。傍目にはいつもブスッとしていて、何をかんがえているかわかないオッサン。つきあいづらいというんですかね。
ちょっとした表情に、山田さんが原作にこめられた機微があらわれていて、ワタシは主人公の青年目線ではなく、この老人がためこんできた気持ちの部分についてあらためて考えたりしました。
話は、あることから介護施設を退職した青年が、老人の個人的なヘルパーとして雇われるところから始まります。彼を老人に紹介したケアマネージャーの女性に、老人は心惹かれていて、三人のあいだには三角関係にも似た不思議なエロティックな気配が漂っています。
女性は男よりも仕事優先の肝っ玉母さんふうで、草介と比べると断然たくましいし、はなやかさとは無縁にすら見えるのですが、でも心の中は乙女というか、複雑です。まあ、どう見えようとも乙女でない女性なんていないということなんでしょうね、これを読むとそう思います。
三人の年齢は吉崎さんが81歳、重光さんが46歳、草介は27歳。三層の世代差がありますが、老人は「若い」中年女性に惹かれ、女性は「年下」の青年に恋心を抱いているという関係です。漫画では、草介の重光さんに対する気持ちがぼかされています。
重光さんは老人の胸のうちに気づいているもの、介護してくれる女性に恋をするというのはよくあることで、傷つけないようたくみにあしらってきたようです。
プライドを損ねたら大変ですからね。そういう点ではさすがベテランというか。
仕事一筋でやってきた彼女は男性と交際したことがないというのがおいおい明らかになっていきます。この話が面白いのは老人が、そんな彼女を本来なら恋敵となる青年とくっつけようと企むことです。
自分の思いがかなえられないのなら、せめてかわりに彼女の思いをかなえてみたい。そして策を練る。
策はあまりにも常識はずれのギョッとするようなもので、打ち明けられたときに重光さんは感情をあらわに反発します。それがどんなことか、詳細は伏せます。
常識はずれのことを口にするくらいですから、吉崎さんは淡白な老人の顔立ちじゃ似合いません。
漫画になってみて、よりはっきりしたのは、ふだん苦虫を噛み潰したような顔をしているその老人が、しだいに見せる変化です。若いもんと夕飯をともにするときの、ははははと笑う顔。感情が込み上げ嗚咽したときの顔。棺に入れられた際の温厚な表情。ずっと昔、バリバリ仕事をしていたころの写真……。ちょっとウチの父のことを思い出しました。
どれもリアルです。老人といえぱ「こういう顔」という枠からはみだしていて。
そういえば、亡くなったわが父が晩年、入院していた病院で見せた表情は、ワタシの知らないものでした。帰省し会えばいつもムスッとしていた父が、看護さんに甘えた声をだしていたんですね。幼児までは退化はしていませんでしたが。
聞いた話では、病室で「手相をみてあげる」と看護婦さん全員の手のひらを指でさすっていたとか。耳にしたときはアゼンとしてしまったものですが、もしかしたら父の人生のなかで、最後の病院生活はいちばん充実したものだったものかもしれません。
だからというのもなんですが、父よりもまだ若い吉崎さんが「縁結び役」を担おうとし、自分のなかで消えきらないもだえうつ思いもある。老人の恋心というのを考えてしまいます。
この漫画を読んでいると、老いての恋心がわかるとかわからないではなく、そういう気持ちというのは「ある」のだろうというふうに思うようになったことですね。そして、身代わりを求める心境も。
それは引き算というか、自分に残された時間が多くないと自覚しはじめたとき、何か残したいと思う。そういう気持ちが生まれるのだろうなというのは、父を見ていたときに感じたことです。
まだ父が口達者で、老いるほどに多額の募金をするようになった父を「ヘンなおっさんやなぁ」と眺めていました。崇高な精神とかじゃなくて、募金のかわりに授与される額縁の感謝状を自慢する父でしたから。
それでも時間が過ぎてゆくと自分のことを憶えておいてほしいという一心だったのかなぁと、いまは思うようになりました。
この作品でも、老人は二人を結びつける道具に将来の遺産をつかうわけですが、金でひとの心まで縛れるものなのか、左右できるものなのか。自分が死んだら身寄りもないので二人に譲るとかいうのではない、老人の申し出が「えっ、そんな条件!?」と呆気にとられるものだけに、後半の山場をなしています。
老人でなければ「ひどい悪ふざけ」と批難されてしかるべきでしょうが、もうそのときになると読者として「わかる、かも」というくらいには読み手の心も動かされているわけです。
あと、老人にとって主人公の青年は、心を寄せる女性が好意を寄せているからというのではない、吉崎さんにとってもつよくシンクロするものを感じたからで、二人にはそれぞれに墓場まで隠していかねばならない秘密がある。そういう秘密のシンクロさせかたは山田太一さんのすごみのある演出です。
裏返せば、隠し事のない、罪の負っていない青年では、この話の主人公にはなりえない。老人にもまた隠し事があるからこその「歪みをもった顔」なんですよね。
そうそう。老人を見ていて、浮かんだのは浅草にやってくるひとたちを撮った鬼海弘雄さんの写真集。もう、ひと目で忘れられなくなる顔です。たしか、山田さんが「ちくま」という小冊子で写真集について書かれていたのを読んだりした記憶があります。
タイトルにある「空也上人」は物語の重要なシーンを演出し、ドラマの精神的な柱となっていますが、ふれるとそっちに話をひっぱられそうなので、ここではやめておきます。