わにわに

朝山実が、読んだ本のことなど

おしろいつながり。

胸の小箱

 白粉のにおいのする女のひとが家に大勢出入りしていたといえば、亡くなられた映画監督の森田芳光さんが思い浮かぶ。

 渋谷の道玄坂のラブホテルが建ち並ぶ一角に実家があり、お昼近くになると芸妓さんが集まってくる置屋さんで、子供のころから女のひとたちに囲まれてご飯を食べていた。

 だから女のひとに囲まれることには慣れていたけど、大学生活ではいつも食事をするのはカウンターの席の店を選んでいた。テーブル席にひとりで食事するというのが出来なかったという。

   映画「家族ゲーム」で、家庭教師の松田優作を中心に家族が肩をひっつけるようにして一列に座って食べるあのシーンは衒った演出ではなく、自分には自然な風景だったとか。そんな話がワタシのなかでは置屋とセットになっている。

 たしかそうだったよなとインタビュー(「家の履歴書」)した当時の週刊文春を探したが、出てこない。前にも一度探して出てこなかった。

 したのかインタビューをとすら、思い始める。

 森田さんのことを思い出したのは、浜田真理子さんの初めてのエッセイ集を読んだからだ。

 浜田さんは学生時代、ひとり暮らしをしたいと父親の斡旋で島根県玉造温泉置屋さんの寮に住んでいた。当初は「身売りされるのか」と不安だったと書いているが、芸妓さんをしていたわけではなく、スナックを営んでいた父親の店の隣が置屋さんで、部屋が空いているというので娘を住まわせるようにダンドリをつけたということらしい。目の届くところに置いておこうという親心だったのか。

 しかも置屋というと和風建築をイメージするが、そこはビルだった。

 女子大生と、お座敷で働く芸妓さん。異世界の住人が同じ場所で昼ごはんを食べたりしていた。だんだんと「おねえさん」たちの生活が見えてきて、名前を覚え性格を把握し、人生の一端にもふれていく。

 他人というほどによそよそしくはなく、友だちともいえない。そういうビミョウな距離感で目にしていた年上の女のひとについて語る話が、向田邦子っぽくて情緒がある。

 端整で短い文章が連なり、昭和がにおいたつ。だから、これはハマダマリコという歌手のことを知らなくても昭和の市井の一コマとして読める。

 なかでも「おねえさん」という題の小話がいい。

〈なみきおねえさんはきれいな人だった。それでいて、やんちゃで豪快で下品でそのうえけちんぼうだった。生まれは大阪だけど話す言葉は広島弁だった。大阪の繁華街でホステスさんとして鳴らして、そのあと広島に行き、それから玉造に流れ着いたのだとママが言っていた。〉

 悪い女みたい。実際、欠点の多いひとだったみたいだけど、「しょうがないよなぁ」と許してしまう(客の男はたいていそうだったらしい)、大原麗子をおもわすちょっと小悪魔なところが綴られていて、同僚から嫌われそうなのだがそうでもなかったのは、置屋でお茶をひいている仲間がいると、

「しゃちょう~~♪ あと二人芸妓呼んでもいいでしょう~」と押し込んだ。お店にとっても稼ぎ頭だった。

 それでいて逆のパターンは、

「うちは人のお座敷なんかに行かん」と拒んだ。

 そんなおねえさんを浜田さんは「ちょっとかっこいいと思っていた」という。そのなみきねえさんが父の店で決まって歌っていた唄がある。

「離別(イ・ビョル)」だ。

 浜田真理子のライブで、いっときよく耳にした唄だが、その後のくだりを読むと、池永陽の『指を切る女』がふいによぎる。大原麗子の顔も。

 

 浜田真理子さんを取材していたのは、10年くらい昔になるだろうか。

 最初に「いい」といってすすめられたときは「ふぅーん」と聞き流していた。一転「いい、いい」と口にし出したときには、当時同居していた彼女は「わたしが最初にいいと言ったんだけどね」とへそを曲げた。その後も似たようなことが何度もあったので、このひとはそういうひとなのだと見切られもした。

 自分では柔軟だと思っているものの、どうもワタシは「自分が見つけた」というのでなければスイッチが入らないタチらしい。

 浜田真理子が、地元の島根をこえて全国区になるきっかけは「情熱大陸」の放映だった。そのテレビを見ていたものの、リアルタイムでは、唄のうまいひとだね。で、終わっていた。

 そんなのが突然ハマダマリコ、ハマダマリコと言い出したのだから、「なんだコイツ」という眼になるのもいたしかたない。まして、どこでスイッチが入ったのか、いまとなってはよく思い出せない。記憶がアニメのチーズのようだ。

 それはさておき浜田真理子の初のエッセイ集『胸の小箱』(本の雑誌社)を読みながら、面白いと思うほど、どんどん取材者としての自信がなくなっていく。「AERA」と「婦人公論」をあわせ一年ちかく取材した。いっぱいインタビューして、ハマダマリコについてわかったつもりだった。でも。

『胸の小箱』は、ざっくりいうと、彼女が歌手となるまでの生い立ち語りと、最新アルバムの製作ドキュメントとツアーの様子を綴った近況から成り立っている。

 生い立ち編と、後半のドキュメントでは、文体というか醸す情感というか音色のようなものが異なっている。空気をほぐそうとするツッコミの小技は一緒だが、前半の「おねえさん」などはべつに浜田真理子が何者かを知らなくても、しっとりとした文章の向こうにバブル前後のあのころの時間が浮かんでくる。

 文章が短く、いい心地にしっとりしてくるとポンと笑いに転化させる。小気味がよすぎて嫉妬する文章だ。

 父親がジュークボックスのあるスナックをやっていて、子供のころは昭和歌謡に馴染んでいたことや、常連客たちの前で歌ったりすると「うまいねぇ」とちやほやされたこと、大学に入ってから温泉街の置屋さんの寮に暮らしたことなども聞きはしたが、本を読むとこれが面白く、ほとんどが聞かなかったことばかり。

 こんなことあのときは一片も聞かなかったなぁと、落ち込みもした。

 記事の方向性にそって、使える話かどうかを功利的に選り分けていたからか。いずれにしても新鮮だった細かな逸話がその後の浜田真理子をつくっていたのもよくわかる。

 もうひとつ、印象深いのは、いまは身体の弱くなったお父さんをクルマに乗せ、置屋さんのあった街に行った話。クルマで10分くらいしか離れていないらしいが、昔の名残りなど消えた路地の奥に、置屋のママが営むお好み焼き店を見つける。ずーっと会っておらず、再会は感動的なシーンとなる。が、そのあとの記述がなんとも、ハマダマリコらしい。この話がとても好きだ。

 

胸の小箱

胸の小箱

 

 

 

But Beautiful

But Beautiful

 

 

 

MARIKO

MARIKO

 

 

 

インタビューライター・朝山実 近著 『父の戒名をつけてみました』(中央公論新社) 『アフター・ザ・レッド 連合赤軍兵士たちの40年』(角川書店) 『イッセー尾形の人生コーチング』(日経BP社)etc. 不定期連載 「日刊チェンマイ新聞」"朝山実の、という本の話" http://www.norththai.jp/