わにわに

朝山実が、読んだ本のことなど

自殺を止めるひとを記録したノンフィクション。

 

あなたを自殺させない: 命の相談所「蜘蛛の糸」佐藤久男の闘い

   昨日売りの「週刊現代」の書評欄の「書いたのは私です」で、ノンフィクションライターの中村智志さんをインタビューした記事が載りました。本は、『あなたを自殺させない 命の相談所「蜘蛛の糸」 佐藤久男の闘い』(新潮社)です。

 長いタイトルですが、自殺率ワースト1の秋田県で、自殺予防の相談所を続けている佐藤久男さんに密着したルポルタージュです。

 著者の中村さんは、「週刊朝日」に在籍されていたときに書評欄の担当をされていて、いまも交友はあるものの、本を読んで、こんなにまじめに取材をコツコツと、しかも遠方に自腹で通い続ける熱いひとだったのかと、知らない一面に覗き見たことがまず驚きでした。

   見ているつもり、わかっているつもりでも、ほんとうは一面しか見ていなかったりするんだなぁと。

 記事と重複しないところを書いておくと、朝日新聞社に勤務しながら、仕事とは別に取材を続けていて、会社名のない名刺を差し出すたびに、「会社の仕事とは関係なく……」という挨拶をし、そのたびに間があいたそうです。

   フリーランスだと、取材して載せることが確定している編集部の名前が載った名刺をつくるか、名乗るかして信用を担保しようとするものですが、そういうところは聞いていて、ミョウに印象に残りました。

    名刺といえば、佐藤さんは、相談所を始められる前に、5千枚あった名刺をぜんぶ捨てたそうです。そうして過去のつながりをいったん断ち切きった。倒産時の人間関係がうかがえるとともに、そうしないと前にすすめなかったということなのでしょう。

   佐藤さんが相談を受けるのは、自身が経営者だった体験を活かすということで、中小企業の経営者に限定してきたというのが面白いところで、実際の相談場面を中村さんは取材するのですが、これが想像しがちなものとはまったくちがっていて、ハッとさせられます。この本の勘どころ。死にいたるほどに「悩む」のはどういう事態なのか。ことの本質に迫っています。

 あと、自殺を食い止めるのに先ずしないといけないのは「生命保険の解約」だとか。

   視野が狭くなっているから、死んでどうにか責任を……という考えになりがちで、それを絶つにも必要な措置というのはなるほどそうです。

 

 読者として、いちばん印象に残ったのは、あるとき佐藤さんに、子供のいじめについてどう思うかと中村さんが訊ねる。

   佐藤さんからは、専門家じゃないから扱えないという返答がかえってくる。そのとき、中村さんは、突き放された、冷たい印象を抱いたという。それまでの佐藤さんとは違っていたということですね。

 それから一年して、佐藤さんは小学校で紙芝居を使って、子供たちに命の大切さについて語る取組みを始めていた。中村さんの目には、子供たちの反応を見ながら、佐藤さんがとれてもうれしそうにしているように見え、彼自身もまたうれしく感じたそうです。

 一年の間に、中村さんのなかでどういうふうに考えは変わっていったのか。

   その場で佐藤さんにどういう心境の変化があったのか、問うことはしなかったそうです。そこは、新聞社に勤め、それも朝日新聞社という、形式ばった会社にいながら、彼が「朝日らしくない」ポイントでもあり、インタビューの際に、なぜ聞かなかったのかと問うと、なぜだろうと一考し、

「聞くことではないと思ったんだろうなぁ」というんですよね。内面のことだからと。

   そういえば、旧著の『大いなる看護取り 山谷ホスピスで生きる人びと』(新著文庫・山田洋次監督の映画「おとうと」はこの本に触発されて撮った)を読み返すと、ジャーナリストにありがちな、なんでもかんでも白黒つける感じはなく、語り手の嘘も真実も色分けせず、語りを生かすというかノリシロを残すというか、清涼な小説を読むようなシーンのつらなりがいいです。

 中村さんいわく、「佐藤さんのなかで、ずっと子供に話すのは苦手だというのはあったのだと思うんですよ」。経営者の相談限定だった。それが、子供の相談も受け容れようというふうに変わる。ひとは、いくつになろうとも変わろうとすれば変化しうるというのがわかる。そこがわかればいいといえば、いい。そういう場面の描き方が読後に残りました。 

あなたを自殺させない: 命の相談所「蜘蛛の糸」佐藤久男の闘い

あなたを自殺させない: 命の相談所「蜘蛛の糸」佐藤久男の闘い

 
大いなる看取り―山谷のホスピスで生きる人びと

大いなる看取り―山谷のホスピスで生きる人びと

 

  

   どうなんでしょう。百田尚樹さんの『殉愛』、あいかわらず読んではいないので、内容にふれるのは控えますが、Amazonは後妻業と絡めるなど酷評のあらし。が、面白いことに、あるネットの読書サイトには、泣いた、感動したという称賛数多。見事に二極分化されています。たとえるなら俺は徳川方についたからね、というふうな旗幟をはっきりさせるべき本なのか。とはいえ、こうまで偏りが際立つというのはどういうことなんでしょうね。

   泣いた自分。自分が感動した。

   そこに嘘があるはずはないじゃないか。

   ジブンがたやすくだまされるはずはない、という過信というか、自己愛というんですか。なんか忘れかけていた「一杯のかけそば」が思い浮かびます。あの本も大ベストセラーとなり、泣いた泣いた急転怒った許さないといろいろ騒動になったものの、物語としてはワタシ、好きなんです。日本人のツボをつかんだいいお話でしたから。「ノンフィクション」だと騙るからおかしなことになりはしましたが。そういえば、先週号の週刊現代で、堀井憲一郎さんが、10冊の本の4位にあげておられ、同感でした。

 

インタビューライター・朝山実 近著 『父の戒名をつけてみました』(中央公論新社) 『アフター・ザ・レッド 連合赤軍兵士たちの40年』(角川書店) 『イッセー尾形の人生コーチング』(日経BP社)etc. 不定期連載 「日刊チェンマイ新聞」"朝山実の、という本の話" http://www.norththai.jp/