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わにわに

朝山実が、読んだ本のことなど

消えたユニクロの同僚を訪ねていくルポ

私たち「ユニクロ154番店」で働いていました。

 大宮冬洋さんの『私たち「ユニクロ154番店」で働いていました。』(ぱる出版)は、私小説ふうのノンフィクションだ。

 2年ほどに前に出版された単行本。たまたま目にしたwebの読者コメント欄が賛否両論で、否のほうは昔の同僚の話を聞いただけじゃん、知らないやつらのことに興味もてなかったふうなもの。肯定派で目にとまったのは、聞く相手によって、同僚個々の捉え方がちがっていて面白いというもの。

 ワタシはぬるく映るルポが好きだったりするし、ノンフィクションの手法に迷いを感じたりしていたものだからヒットするものがあるかもなぁと手にしてみたわけだ。

 すごく面白かった。ホント。

 いっぽうで、否定派がいるのも納得した。ワタシの書くものも、よくひとからそういわれるから。

 よくあるビジネス書の類がそうだけど、テーマや「物事の結論」を端的に提示されることを求めるひとには、「何がいいんだよ」というのはたしかにそうだろう。

 大宮さんが新卒入社で勤務していた、東京・町田の郊外にあったユニクロは社内では「154番店」と呼ばれていた。2000年の春からのことだ。半年後には他店舗に異動となり、入社から一年で退職している。彼が退職して2年後に店も閉店してしまっている。

 

 本が書かれた2012年の時点でのユニクロの国内店は、845店舗。海外のグループ店舗を含めると2000を超えていた。そのうちの1店舗にこだわったルポというわけだ。

 しかも会って話を聞いたスタッフは9人。ほかにweb連載中に感想をもらった現役スタッフやお客さんにもインタビューしている。それはそれで、大宮さんの関心の幅が見えて面白い。

 登場するのは、柴崎友香、あるいは重松清の小説に出てきそうな、そこそこ個性的なひとたちで、逆にいうと事件を起したりするひとは出てこない。「フツー」の従業員である。

 

「154番店」とはどういう店なのか。まったく入ったことのない店だが、読むうちにだんだん何度も通ったことのある店のように感じられてくる。シャツをたたんでいるスタッフを記憶している感じ。

 インタビューに際して、相手をイメージした場所の選択にはじまり、会話のフンイキを再現しているのもノンフィクションでありつつ私小説っぽくもある。

 大宮さんの質問は、あの店で働きだしたきっかけ。いま何をしているのか。仕事で好きだったこと。歴代店長や同僚たちの記憶で、ほぼ共通している。

 勤めたのは「フリースが大ヒットする」前でユニクロのことはよく知らずに入った、時給がよかった、家に近かったから、とった答えが続く。

 たとえば元ギャルの関根さんは、町田店が閉店後、ダンナと静岡に移り、スーパーで働いた。その面接の際「ユニクロで働いた」というのはプラスの評価だったという。ちなみに一部を除いて実名だそうだ。

 印象に残ったのは、退職後も職場の癖が出てしまうと語っているひとがいたこと。服のショップで散らかったシャツを目にしたら、襟を出して整理したくなるのだという。一日に何百と重ねてきた経験はそう簡単には抜けないということらしい。そういえば、ワタシも本屋をやめて数年は、書棚の前に立つと本を並び替えたくなる誘惑にかられた。

 

 インタビューに答えた彼ら彼女らが等しく口にするのが、「町田店の居心地のよさ」だ。だから、大宮さんもルポしてみようと思い立ったのだろう。

 なかには、マイナス評価のひともいたが、それも話を何人も聞いていくうちに誤差が見えてくる。

 シフトを組むのが苦手でイライラさせる店長(店長に向かないひとだったみたい)への酷評が交わされるなかで、ひとり「あの店長が好きだった」というひとがあらわれる。困ったひとではあったが、ひととして嫌いじゃなかったという。

 たとえば「週刊朝日」で連載している山科けいすけの8コマ漫画に出てくる、肥満体の汗かきで鈍感な社員のキャラがワタシはけっこう好きなのだけど、それにちょっと通じるかもしれない。会社にとって、まるで生産性がないばかりか、ブレーキそのもの。だけど、ずっと居続けている。人間の価値は有用性だけじゃないというのを、なんとなく伝える存在だ。

 ともかく、ユニクロといえばこうというイメージとは異なる「居心地」がこのルポの重要ポイントになっている。しかし、それは大宮さんがたまたま配属された町田店が「例外的な店舗」だったわけで、だからこそこの1店舗にこだわったルポの意味が出てくるわけだ。

 

 なぜ、居心地がいいと感じたのか。

 均一商品を扱い厳しい職場として知られるユニクロにあって、個性が感じられたのは、なぜか。ルポはそこを探る旅にもなっている。

 少々困ったやつもいた。それを含めて、ひとりひとりが町田店として欠かせない人員だったことがよくわかる。店長に問題はあっても補助する「できるパートさん」たちがいたから、厳しい職場にありがちなイジメもなかったという。

 小説っぽいと感じたのは10年ぶりに再会して、当時はたがいのプライベートのことはあまり話すこともなかったのが、近況から互いの生い立ちまで語りだし、距離が縮まってゆく。そこから見えてくる、そういうひとたちが寄り集まった職場というものの特異性である。

 意外というか、びっくりするのは10年も経つのに大宮さんに限らず、同僚たちがよくあのときダレダレさんがこうしたああしたという些細なことを詳細に覚えていることだ。

 青春っぽいというのかなぁ。中村雅俊がギターをもったセンセイ役であらわれそう。ヘンといえば、いまのユニクロからは考えられない、わけのわからんロックンロールなシャツとかも特設ワゴンとかで販売していたりするゴッタ煮感が漂っていたこと。女性スタッフも美人ぞろいだったとかいうし、町田店というのは規模が小さくて、ガラパゴスのようなものだったらしい。

 

「154番店」とはなんだったのか。

 ユニクロという企業のなかだけでなく、もっと大きな世界規模で相対化、対象化するために、大宮さんはユニクロに関するデータをひろげても見せる。ここはライターのプロらしい仕事ぶりが発揮されている。決してセンチな回想記一色に染まってはいない。

 でも、この本に不満を感じたひとは、もっともガンガン「ブラック」な真髄に迫って欲しかったんだろうな。そういうタメにするようなものは大宮さんの頭の中にはなかったんだと思うけど。

 誤解されそうだけど、「154番店」は赤字を重ねた不良店舗というわけでもなかった。わずかながらも黒字店だった。

 だけど郊外店にしては小さく、駐車場のスペースも狭かった。スクラップされたのは、戦略的な効率を考えると「要らない」とされたらしい。

 その小ささゆえか職場の空気は、大宮さんが退職してからも昼食どきにコンビニで弁当を買って一緒に食べたりするくらい、いい感じだったという。

 大宮さんがこだわったのは一点、閉店時のスタッフで他のユニクロ店舗で働くことを希望したひとはいなかったという事実。有能と目されたひとには、他店での雇用継続の声がかかっていたというが。でも、応じなかった。

 ここがこのルポのポイントである。それは実際に読んでもらうのがいいだろう。

 テレホンショッキングのように取材相手を尋ね、近況を聞きだしていく。ギターの弦がビョヨヨーンと重く鳴りそうなロードムービーふうでもある。

 

 さて、ルポを読んでいて、大学を出てから勤めた阿倍野の書店のひとたちに会いたくなった。とくに楫野さん。出勤初日からチクチク細かいことを注意され、めんどうなひとだなぁという印象のセンパイだった。

 だけど、店を離れて歳をとるほどに評価は逆転していった。この数年は一年に何度か、よく汗をワイシャツの袖で拭い、本の山を動かしてセッカチに店内を走り回っていたその姿を思い出す。当時はイライラしていた印象しかなかったのに、思い浮かべるのは満面の笑顔だったりする。

 いまは日本一高いノッポの商業ビルがそびえたつ商店街の一角にあった老舗書店は数年前に閉じ、いまはカラオケ店に変わっている。古戦場の城址のように、当時働いてひとがひとりもいなくなったというのも似ている。

 

私たち「ユニクロ154番店」で働いていました。

私たち「ユニクロ154番店」で働いていました。

 

 

インタビューライター・朝山実 近著 『父の戒名をつけてみました』(中央公論新社) 『アフター・ザ・レッド 連合赤軍兵士たちの40年』(角川書店) 『イッセー尾形の人生コーチング』(日経BP社)etc. 不定期連載 「日刊チェンマイ新聞」"朝山実の、という本の話" http://www.norththai.jp/