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わにわに

朝山実が、読んだ本のことなど

「他者の無いところに人生なんて存在しないんだって」と幸夫はいう。


西川美和著『永い言い訳』(文藝春秋社)。
そのラストにいたるまでの起伏のすごいこと。

 

 

永い言い訳

 

 

キヌガサ・サチオ」という男が不倫で悩むハナシなのかと思ったら、まぁ全然違っていた。
 名前も、広島東洋カープ衣笠祥雄とは、声にだせば同じだが、サチオは「幸夫」と書く。名づけたのは父親だが、カープのファンというわけでもなく、たまたまのこと。名前のせいで子供のころにヘンにからかわれたりして、あの「鉄人・衣笠祥雄」のファンというならまだしも、無関係というのでは様にならず、おかげで性格がねじくれたと幸夫くんは独白する。

 

 名前くらいのことで、大人になってもウダウダいうのは器が小さいということか。彼はいま作家をしていて、テレビにもときどき出たりしている。うまい出だしだ。それとなく、主人公の顔が浮かんできそうで。

 

 妻とは大学が同じだったが、当時のことを彼は覚えてはおらず、数年後に美容院に髪を切りに行ったら、彼女から声をかけられたのが縁だという。

 すこしハナシから脱線するが、そういうなれそめがこの頃気にかかるのは、週刊誌の仕事で「夫婦対談」というもののインタビューをするようになったからだ。

 

 有名人夫婦の出会いから今にいたるまでの逸話を聞く。ワタシ自身はよそさまの夫婦の話に興味などないので、まったくもって、そういう仕事をするとは思いもしなかったが、はじめてみると結構これがおもしろい。

 段取りだからといっても夫婦がプライベートなことを軽々にふたりしてしゃべくるわけでもなく、だからインタビュアーが橋渡し役をするものだと考えていたが、意外と出ると決められたからか、みなさん協力的で、時間が経つにつれ、「あれはそうじゃない」「いやこうだったわよ」と互いに譲らず細かな記憶の検証に入るにつれ、話は自然と盛り上がりをみせていく。

 日常は気にかけない、その場は夫婦にとっては取材を受けるという緊張とともにちょっとしたハレな時間となるわけだ。

 

 そんなこともあって、衣笠幸夫くんの話も、よくある夫婦の出会いが語られ、ほのぼのとして読みすすんでいくわけだ。

 ちなみに「幸夫くん」と呼ぶのは、妻の夏子さん。旧姓は田中夏子で、衣笠という名前を気に入っているという。

 大学を卒業して務めた出版社を辞め、作家の道を選んだもの売れなかった頃のふたりの生活を支えたのが夏子さんで、幸夫くんは感謝しつつもそのときのことが妙にしこりになっていたらしい。女房に食わしてもらっていたというのが、のちのち心のなかにねじれをもらたした。ヒモで悪いかいと居直りきる、無頼な男ではなかったということだ。

 

 そして長年のうちに関係は冷えていった。ふたりの間に子供もなかった。そんなある日のこと、ふだんと何ひとつ変わりなく、友人と旅行に出かけていった妻が、帰らなくなった。永遠に。


 ここからはすこしネタバレになっていくけれど、夏子さんたちが乗った深夜バスは谷底に落ち、彼女と友人の「ゆきちゃん」はなくなってしまう。
 不倫のハナシかと思ったのは、事故の夜、幸夫くんは編集者の女性と自宅のベッドでそういうことをしていたからで、そんなありがちなハナシなのか、なわけないよな、だって西川美和でしょう、とか思いながら頁をめくる。

 

 ちなみに幸夫くんのペンネームは「津村啓」という。衣笠幸夫という本名を知っているのは業界でも限られている。にもかかわらず、夏子さんはそんなことにはおかまいなしに、編集者たちの前でもふだんと変わりなく「幸夫くん」と呼んだりする。だって幸夫くんじゃない。何かおかしい? て。

 ちょっとしたことだが、ふたりの関係、性格が名前ひとつによく表れていて、うまいなぁと思った。

 

 書き手が映画の人だからか、ちょっとしたシーンが目に浮かんでくる。

 たとえば幸夫くんが、骨箱を持ち帰る場面。くるまれた白い絹布のままでは新幹線の車中は目をひくから、と用意していった風呂敷に包もうとするものの、箱が大きくて四方が結べない。

 念のために妻の妹が持参した、子供のバックが役立つのだが、こういうときには如何にもミスマッチに見える。かなしいというか滑稽というか。どっちつかずの鞄の絵が、幸夫の心中にかぶさる。ここはそれらしい言葉で書きあらわすよりも、何倍も心情を表している。

 こんな具合だ。
 

〈もう一つ大きな鞄があったのに、夫がこんな時に限って出張中で、と義妹は悔しがったが、いちばん当てにしたくなかった甥坊のボストンバックの方には、あつらえたようにすっぽりと収まってしまった。骨箱を飲み込んだ仮面ライダーは、無表情なまま変身の構えを取っていた。お姉ちゃん、ごめんね、と義妹は、笑いながら立てなくなった。〉

 

 つまり、『永い言い訳』は、妻を突然の事故で失った男が「その後」をどう生きていくのかという物語だ。

 脱衣籠のものを洗濯槽に放り込み、取り出そうとしたとき、自分の洗いものに絡まった、妻の下着やエプロンを目にしたときの、無言の幸夫くん。

 遺品をどうしたらいいのか。

 だれもが悩むことだ。とりわけ日常使われていたものとなれば。ものはモノであっても、たんなるモノではない。

 そうした細かな日々の、ふだんならつい忘れてしまうそうなことの描写の積み重ねが、のちに幸夫くんが見せる、とんでもないこと、妻を亡くしたばかりの男ならこなことしないだろうということをする、わけがわからなく幸夫くんが取り乱している、そのとき、日常のちょっとしたシーンの残像がすごくいきてくる。

 ひとのこころ、ってさぁ、そんなに簡単に白とか黒とか黄色とか青とかに色分けできるものじゃなない。バランスわるく不確かなところをゆらゆらしてるもので、自分でも訳のわかない、分別つかない、とんでもない暴言が口からとびだし、それを目にした他人は暴言の衝撃さゆえに、その暴言こそが彼のこころの真相、真実と解釈しがちなんだけど、じつはそうそう簡単なことじゃないんだよね。というようなことを作者は丁寧に描いている。

 こんな説明では、ちょっと抽象的でわかりづらいかもしれない。でも、小説の中ではとてもインパクトのあるシーンとして描かれ、ただそうしたやりとりをここでなぞることは、逆にちがう意味をもちはじめてしまうんだよなぁ。このあたりのトバシ方は実にすごいんだから。

 

 大掴みに言ってしまうと、ハナシとしては、大事なひとを失ったそのひとが、どうやって再生していくのかということになる。それは間違いない。

 だけど、その過程は起伏に富み、読者としては、とんでもな幸夫くんに厭きれ、驚かされたりする。そうしながら、それでも彼を見離さずにつきあわざるをえない。読者なんだから。

 意外なのは、夏子さんとともに亡くなった、幸夫くんにしたら一度しかあったことのない友人の子供たちの世話をする、それも成り行きからなんだけど、そのことで彼が変わっていくことだ。変わろうとしたということか。

 それは感動を呼ぶ。ふつうの作家なら、この線で押していくものだ。

 そうしないところが、西川美和だ。

 すごい波濤を浴びせかける。読者に。幸夫くんに。この話はどこに向かい、どうなっていくのか。ハラハラしたあげく、

 ま、ここから先はいいか。

 小説の技法としては、多視点で描いている。これもすごくいい。

 幸夫くん。彼を追ったドキュメンタリーのアシスタントディレクター。保育園児の女子と中学受験する兄。兄妹の父親で、幸夫くん同様に妻を失ったトラック運転手。幸夫と不倫していた女性編集者……。

 視点が違えば、見えてくるものも異なるし、どれが真実とも言えない。どれもが本当で、どれもがそうではないのかもしれない。『悪女について』という有吉佐和子の小説にちょっとちかい。真実なんて、ひとつじゃない、一色のものじゃない。

 

 嗚咽しかかったのは、がさつに見えていたトラック運転手が、帰りにナニナニを買ってきてといった、妻と交わしたケータイの、短くて感情のこめようものないメールを消えないように保存している。幸夫くんはそれを目にしてまう。そして、記憶をたどり、自分にはそういうものがない。そのときの顔つきを映画なら、役者はどんな表情でみせるのだろうか。気にかかる。

 そういうのがツボだったりするのは、ワタシはもともとが幸夫くんにちかい人間だからかもしれない。

 愛情とかいうのは、そういうつまらない、一見意味のないようなものの蓄積なのだろう。なんて言葉にすると、なんともダサいなぁ(笑)

 

永い言い訳

永い言い訳

 

 

 

インタビューライター・朝山実 近著 『父の戒名をつけてみました』(中央公論新社) 『アフター・ザ・レッド 連合赤軍兵士たちの40年』(角川書店) 『イッセー尾形の人生コーチング』(日経BP社)etc. 不定期連載 「日刊チェンマイ新聞」"朝山実の、という本の話" http://www.norththai.jp/