「おいで この心に」と辻内智貴が呼びかける。
『僕はただ青空の下で人生の話をしたいだけ』
という辻内智貴さんの文庫の解説を書かせてもらったときから、彼のCD「ZeRo」をよく聴いている。気分がローなときには、すこし元気になれる。
ちゃんと歌詞が聴き取れるということでは、昭和歌謡っぽいというかあの頃のフォークというか、なかには横山剣のようなパンチの効いた唄なんかもあって、さっきまでの棘のさきがまるくなっていくようで、好きだ。
『僕は……』の親本は、3年前に出ている。
当時ですら6年ぶりの待望の作品といわれるほど寡作のひとで、「どうやってメシくってんだろう」とナゾめく作家さんだが、『僕は……』を読めば、ツツマシイ暮らしぶりで、拓郎の唄なんかが街に流行っていた時代の若者のような暮らしを続けているのかなぁ、と想像できたりする。近影?写真を見ると、ハワイアンなあんちゃんふうだけど(笑)。
かんたんにいえば、メインストリートから外れたところにいる、そういうひとに、昔からボクもまた惹かれてきたようだ。
このあいだから連載していた「なかのひと」という、スーツアクターのひとをインタビューしたルポにしてもそう。すこしハナシがジャンプするけど。
最初の取材相手の古賀亘さんはモーションアクターの経験者ではあったけど、さらにそこから特化した「モーションアクター」といって、ちょっと説明が要する仕事に従事されていた。モーションキャプチャーという、全身黒タイツに丸っこいセンサーをイッパイつけてアクションをされていた(CGで加工して世界的に名前の知られたゲームがつくられてゆく、その原型のアクションを担当されている)。
ワタシにとっては、まったく知らない分野で、話を聞いているだけでもすごく楽しかった。二人目は、女性の「元」スーツアクターで、いまはアクションを活かした劇団で顔の出る女優さん。ひとに説明するとき、「ふつうの女性がスーツアクターという、戦隊ヒーローの変身したあとの「なかのひと」を演じていて…」とか話していたけど、「すごい美人じゃないですか!」と指摘され、たしかに。でも、「ふつうの女性が」というところに本来のポイントはあったのだけど。それはともかく、30歳の節目で女性ならではの悩みなんかも出てきて、という話なんが興味深かった。
そのweb媒体での連載はたぶん、二人目で終わることになりそうですが、取材は続けていています。大手の事務所に所属せずにずっとインディーズの立場で活動を続け「日本のアクションを変えてやろう」と熱気のあるスタントマンのひとたちです。
人選そのものは「たまたま目にとまった」からだけど、「たまたま」はたぶん重要なのだと思います。ふだん、ひとを取材する仕事をしているわりにモノゴトの変化に積極的に興味がわくことはなくて、だから狭い範囲にとどまっているものの、たまたまのものにはまることもけっこうあって。
それはともかく『僕は……』に戻ると、これはいい小説です。とてもいい。
解説には書かなかったことをすこしだけ書くと、長編の59歳になろうとする男の独白のくだり。「俺は」と語る彼は、自分の人生で「やった」と思えるのは、たったひとつだという。
濁流にのまれていく捨て犬をすくったのは、子供のころ。
救えたのは、箱に入れられた三匹のうちに一匹だけだった。家で飼うことはできず、友達にひきとってもらい、仲のよかったその友達は2年くらい後に遠くに引越し、いまはどうしているのだろうか……と回想する。それが59歳の誕生日。深夜の川べりだ。
芥川龍之介の短編を頭の中で重ねてみたりするシーンでもあり、男はそのとき、たぶん死のうと思っていたのだろう。
「……あの犬、どうしただろうな、
いくつぐらいまで生きたんだろ……
俺のこと、憶えていたかな……」
と、つぶやいている。
酔った勢いで、入水自殺でもするんじゃないか。切迫した空気が漂う。
ありえないことではない。辻内智貴の小説では、あっけなくひとは死ぬから。
この先は省略しておこう。なるほどという、えっ⁉というオチもあって、辻内さんらしいなぁと思う。暗から、明へ。転換のさせた方は作家を体現している。
そして、仔犬一匹に相当することがジブンにはあるかなぁと。こないだからずっと考えているけど、ない。危険を顧みず、向う見ずにも。なんてこはなかったな。なさけない。
ほんとうは、編集者のひとからもらった『友だちリクエストの返事が来ない午後』小田嶋隆(太田出版)のことを書こうと思ったのだけど、長くなりそうなので、後日にする。オウムや連合赤軍のひとたちのことなんかもすこし考えたものだから。
おいで この心に
泣いているなら
おいで この心に
あてもないなら
誰かに いつか僕が
してもらったように
名前も知らない 君のために
してやれることがあるなら
「多輝子ちゃんのテーマ」by辻内智貴
いい唄声です。