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朝山実が、読んだ本のことなど

20年の間、引退しない男の「顔」を撮り続けたドキュメンタリー

 ひとりの人物にカメラを向け、インタビューを重ねてきた映画を観た。
それも20年間だ。 


 カメラは、二十歳そこそこ、イキのいい男を正面から撮っていく。監督がインタビュアーで、たまに公園のベンチに並んで腰掛けたりして、聞き手の顔が映りはするものの、ほとんど「質問」の声だけ。オーソドックスな手法にみえる。
 場所は、男の自宅や喫茶店などのもっぱらご近所。落ち着いて話が聞けるからだろう。男が気を許しているのは、表情や物腰からも伝わってくる。
「監督だから、ここまでしゃべる」と言ったりもする。
 
 面白いのは、カメラのアングルだ。
 ほぼ、男の顔が映りっぱなしの映画なのだ。だから、彼の表情がよくわかる。こちらも、内面を推し量り、気持ちはスクリーンに前かがみになっていたりする。 


 通常の劇映画と同じくらいの時間があったと思うが、インタビューだけで、それも「顔」がほとんどの映画を想像してみてほしい。じきに厭きてしまうはず。だが、不思議とまったく見飽きない。おかしな映画である。
 
 男はプロの選手で、リングに上がるのが仕事だ。いや、仕事なんてものじゃない。人生そのものといったほうが適切だろう。
 若くしてチャンピオンとなり、失った王座を奪回するなどして、二十代で「伝説」となった。その後、逸材が登場するたび、比較の対象として持ち出されてきた。


 男が年齢を重ね、節目ごとにインタビューは「更新」されていく。
 質問はある意味ワンパターンで、父親のことをどう思っているのか。リング場でのことはあえて聞かない主義らしい。
 
 彼は両親の離婚後、父子家庭で育ち、父を尊敬している。そのことは、さほど詳しくないワタシですら知っている。
 子供が生まれてからは、息子たちに対する思いをたずねている。
 幼い兄弟が彼にまといつき、
「いまトウチャン仕事やからな、あっちいっといて」と答えているのが印象的だった。

 子煩悩な父親である。口調も穏やかで、ことばをはしょることもない。メディアに登場する際のギラギラしたものは、ない。むしろストイックにすら思える。
 だからといって、ふつうのオッチャンというのでもない。彼のことをまったく知らなくても、この顔を見れば、タダモノではないとわかる。
 ひきつける力がある。だから、こうして映画にもなっている。
 
 インタビューの定番となった質問が二つある。「引退」について。
 いまじゃない、と男は答える。考えてはいない、と。
 
 もうひとつの質問は、「いまの心境を習字にたとえてもらえるかな?」。
「なにそれ? 習字?」
 男は習字など、しそうにない。しないだろう。
 
 ミスマッチを面白がりながら、それでも男は「いま」の心境をたとえてみせる。答えるまでの間がいい。考えている。
「墨を探しているところかな」
 数年前は、
「硯を置いたところかな」
 答えは不正確かもしれないが、だいたいこんなかんじだ。男の心境がうかがえて、なるほどと思うのだが、おかしいのは繰り返され、定番となっている質問を耳にするたび、男は、
「何それ?」
 初めてのことのように質問を面白がっていることだ。忘れてしまっているのだろうか。そんなことがあるのだろうか。とぼけているとも思えない。そんな必要もない。聞き手の監督が、くくっと笑っている。
 
 スポーツ選手であれば、いや選手に限らず、どんなひとにも「引退」はいつか訪れる。難なくやれていたことが、できなくなる瞬間がおとずれる。避けられないことだ。抗いつつそれをどう受け止めるのか。その後の人生を切り開いていくのか。
 おそらく、カメラを回し始めた際には普遍的なテーマを念頭にしていたにちがいない。計算が狂ったのは、男は30をこしても、王座から陥落しても、年齢制限をオーバーし国内での試合ができなくなった後も「現役」続行を表明しつづける。「終わり」が見えないのだ。そして20年、インタビューしつづけた。迷宮劇のようだ。
 
 男がそうであるように、監督たちもまた「変人」である。それがこの映画の稀有な面白さを形成している。
 通常のドキュメンタリーであれば「する」はずのことを、ことごとく選択から外している。「しない」のだ。
 まず「語る」のは、男ただひとり。男の家族も、彼をよく知る関係者も、ライバルも、恩師も、彼について語る人物はひとりも登場しない。
 たまたま画面に映りこむことはあっても、インタビュアーは本人以外に質問をふったりはしない。それは徹底されていて、確信的なスタイルになっている。
 
 もうひとつは、男を象徴するリングでの映像すら限られていることだ。さすがにゼロではない。ただし必要最小限のものにとどめられている。
 伝説なあのシーン、このシーンがハイライトふうにインサートされることもない。すがすがしいくらいである。男の過去の栄光など知っていても知らなくとも、どちらでもいい。とにかく「いまを見ろ」という姿勢である。語っている、現在を。
 いさぎよいのだ。
 
「しない」ということで特筆するなら、男の父親の葬儀に駆けつけながらもその場の様子を伝える場面がカケラも出てこない。観客が目にするのは、日を置いたインタビューの際の、位牌と遺影と男の顔である。 
 通常なら「する」はずのことが、この映画では「しない」。インディペンデントな少人数のスタッフで作られた製作上のハンデなども当然あっただろうが、この「しない」という選択が、この映画を斬新かつ新鮮なものにしている。
 
 インタビューの中で、とくに印象に残ったのは「お父さんは、リングに上るあなたを、どういう思いで見ていたんだろうか?」と質問され、男がすこし黙る瞬間だ。

「そらぁ、やめて欲しいとずっと思うてたやろうな。言わんかったよ、けどわかる」
 インタビュアーが、息をのむ。いつもの男の素振りから、肯定的なイキのいいことばを想像していたはずだ。監督がどうであれ、ワタシはそうだった。
「だって、殴り合うんよ。わが子が目の前で。そんなん見たいと思う親って、いてる? おらんでしょう」

 それまで彼は、父親の影響でクシングをやってきた。父がいたから自分はこうしているというようなことを繰り返し語っていたのだから。一見、言動は矛盾はしていそうだが、その顔を目にすると、すごく納得もできる答えでもあった。
 そういえば、戦績を問われたときに、
「わからん。覚えてない。えっ、そういうのみんな覚えているものなの?」

 思い出そうとするが、気にもとめてこなかったのがわかる。
 同じ対戦相手に二度負けたということに、悔しさを隠そうとしなかった男が。トータルの戦績を記憶していない。こだわっていない。なんて清々しく、意外にみちたおもしろい映画か。「あした」を見つづけてきた男の「いま」を映し、完成はしたが、公開のメドはこれからだという。

 

#『ジョーのあした 辰吉丈一郎との20年』(阪本順治監督) 9/29
映画の情報

natalie.mu

 

 

インタビューライター・朝山実 近著 『父の戒名をつけてみました』(中央公論新社) 『アフター・ザ・レッド 連合赤軍兵士たちの40年』(角川書店) 『イッセー尾形の人生コーチング』(日経BP社)etc. 不定期連載 「日刊チェンマイ新聞」"朝山実の、という本の話" http://www.norththai.jp/