お盆に「床屋ぞめき」
『東海道中床屋ぞめき』林朋彦(風人社)。
昭和のなごりのする散髪屋(美容院を含む)さんの写真集だ。
「東海道」を日本橋から京都まで下る途中に見つけた「床屋さん」の店内と外観を写している。じつにシンプル。掲載されているのは、86軒92枚。キャプションはない。
ことばの類は、短い「あとがき」が巻末にあるだけ。飛び込みで撮影を許可したもらったことの感謝と、冷たくあしらわれたことのモヤモヤを記している。嫌味のない面白い文章だ。
店内にひと影はなく、「主役」は無人の理容椅子。鏡にむかい、ドッシリとしている。
定番の動物のカレンダー(二つ三つ壁に寄り添っていたりするのは、贔屓スジの関係か)のほかにも、何年もかかっているらしい額縁の絵、壁掛け時計、マガジンラックに観葉植物。がちゃがちゃしている。
椅子もゴールド、黒革、焦げ茶、艶やかな赤とタイプのちがいもあって多様……。外にまわれば、選挙の応援ポスターが見えたりする。
薬缶を載せたストーブを見つけると、「あったあった」となんだかうれしくなる。
ワタシが小学生のとき、徒歩2分のところにあった(当時はけっこう離れていたように感じていた)散髪屋さんのオジサンは、店に置いてあるマイクをつかって、地域向けの放送していた。迷子のお知らせ、農協などの会合の告知だったりして、如何にも大人の声で威厳があった。
散髪屋さんは公民館の一階にあり、暖簾の奥が一家4人の住居になっていた。管理人を兼ねて、そこに暮らしていたのだと思う。
いつしか娘さんが店を手伝うようになり、女の人の指で髪をいじられたりするのが気恥ずかしく、ぞくぞくもしたものだった。オジサンに似た顔をしていたけど、物腰のやさしいひとだった。
大人は髪を洗うのだが、ぼくら子供は産毛を剃ったら終わり。時間も半分くにいで、どうしたら、シャンプーをしてもらえるのか。行くたびに気になっていた。聞けばいいのだが、質問をするのがコワイ。髪型の希望をいっても、「おかあさんはいいと言ったんか」といって無視。閻魔様のような人相のオジサンだった。
料金がいくらしたのか記憶にないのは、お金を手にしていったことがなかったからだ。利用客の大半は村のひとに限られ、世帯分の年間費を先払いするシステムになっていたと知ったのはずいぶんあとのことだった。
行くのは日曜日の午前中で、「ジャングル大帝」を見終わったあとだった。たまに同級生と出くわすことがあってもとくに何か話すでもなく、マンガ雑誌に目を落としていた。通信簿に「強調性に乏しい」と書かれたりする変わった子供だった 。オジサンは、村の子供たちの野球チームの監督みたいなこともやっていたが、参加したこともなかったので、そのときのオジサンのことは知らない。
ひととの距離がうまくとれないのは、大人になっても相変わらずで、いまでも散髪屋さんで話しかけられると困ってしまう。一対一、それも近距離はギコチナイ。結局通う店は、挨拶だけであとは放っておいてくれる店となる。
いま通っている店主は「きょうはどれぐらいの長さにしましょうか」と聞いたあとは、もくもくと鋏を動かしてくれている。隣の椅子にお客さんがいるときは、なにげない世間話が交わされているのを耳にしながらワタシは目をつむっている。気さくにしゃべれる人間だったらよかったのになぁと思う瞬間だ。
店を選ぶ際は、けっこう手間がかかる。表から見て、適度に放っておいてくれる店主かどうか。推測材料は、玄関の「顔」。ドアのガラス越しに見える店内の構造だ。
写真集でいうと「理容ミズノ」が気にかかる。アラーキーをモデルにした映画「東京日和」に出てくる床屋さんを連想させる、ほどよい古びた外見、壁にピースボートのポスターが貼ってある。店主が無口か多弁か。ちょっとした冒険だが。
眺めるだけのことなのだが、「床屋ぞめき」というだけあって、見飽きない。捲っても、捲っても「ひと」は出てこない。と思ったら、小型犬を連れたオバサンが登場。
レトロで「時間が止まった感じ」と判じそえになると、薄型横長のテレビが見え、木製の年季の入った調度の上に、髪を逆立てたイケメンさんのポスターが。ざわざわゲタゲタ。話し声が聞こえてきそうな、どこもお店は、しっかり現役である。
撮影者に愛嬌を感じるのは、「主役」の椅子にもたれかかっている少女の写真。見開きの対の頁には、緑の床に白墨?でラクガキしている弟らしきが写っていたりする。
「冷暖房完備」と金文字で書いてある店、店内にピアノやギターが置いてある店もある。
サンパツというと、終わったあとに背中のあたりがチクチクするのとセットで病院同様に好きな場所ではなかったが、眺めているといろんな顔があるというか、一軒として「同じ」じゃないのが面白い。
つい「ウォーリーを探せ」みたいに、隅っこに目がいって仕方ない。面白い。いろんな職場を取材して本にしている絵本作家の鈴木のりたけさんの『しごとば』シリーズに近い。
帰郷の際に父に聞いたところでは、あのオジサン一家は「公民館があるやろ。あたらしいのに建て替えられるときにどこかへ出て行った」そうだ。近くに高速道路につながる4車線の道ができ「村の床屋さん」がアナウンスをする時代でもなくなったのだろう。「あの娘さんは、親父に似ずにやさしいコやったけどな」と言っていた父もあちらの世界にいって5年になる。お盆だな。
そうそう。「ウラカタ伝」というインタビューをはじめました。
覗いていただけたら幸いです。