売られていったアカと、名もないウチのアンドロイドたちのハナシ
最近読んだ本で、印象に濃いのは、写真家の鬼海弘雄さんの『靴底の減りかた』(筑摩書房)という随想集に、バングラデシュの村で目にした光景を綴った一文だ。
朝、露店の男がひとりでやっている肉屋の前を通り過ぎようとすると、向こうから山羊を引いた親子があらわれる。店といっても、
〈傍らの木の枝に皮を剥かれた山羊が吊るされ、地べたに敷いた板に内蔵が並べられいるだけだ。まだ肝臓からは湯気が立っていた。〉
親子が連れていた〈山羊は「異変」に気がつき、立ち止まり、泣き喚いて進もうとしない。父親が角を掴んで、男の子が泣きべそをかきながら山羊の尻を押している。〉
一文は、旅の異国で見たその場の光景から、鬼海さんの回想に移る。中学1年の春、自身の生家で飼っていた牛の「アカ」について。
耕耘機を購入し、それまで耕作に使役されていたアカが売られることになった。
その日、〈馬喰(ばくろう)に鼻面をとられたアカは、自分の運命を予知してかトラックに乗るまいと蹄で地面を噛んで長く逆らい抵抗をした。見かねた父は、アカの耳元で話しかけるように、いままでご苦労だったことや事情で飼えなくなったことをあやすように謝った。するとアカは大きな眸をゆっくりと瞬きながら、荷台に渡された板を登ったのだった。〉といったことが書かれてあった。
アカがいなくなってから、家族でアカに関する話は避けられていたという。
話はがらりとかわり、岩岡ヒサエの『孤食ロボット』(集英社、現在③巻まで刊行)は、「独身者限定」で、居酒屋チェーンのお得意さんにプレゼントされる森の妖精のような小さなロボットと、ご主人さんたちが織りなす物語。短編読み切りで始まったのが、連載となり、何話か続いていくものもある。ちなみにロボットと呼ぶと、彼らは「アンドロイド」とすぐに訂正する。プライドが高いのだ。
というのも、たしかに一体ずつ、髪型や顔つきも性格も異なる。性別は「ボク」といったりするから男の子のようだが、ちょっと曖昧、まあ、ロボットだし。とにかく愛らしい。
ご主人さんの健康のため食生活を管理するのが彼らの仕事で、自炊の食材を発注する先が居酒屋チェーンの系列会社ということもあり、つまり無料のプレゼントだが、彼らにはある種の売上ノルマも課せられているらしく、営業マンのようでもあり、ギブアンドテイクの関係でもある。そういうリアルな設定も面白い。
実用ということでいうと、簡単につくれる料理の詳しいレシピが物語とともに描かれていて、おいしそうで、ためしてみたくなる。たとえば、「サバの南蛮漬け」とか。
『孤食ロボット⑴』の第2話から。お肉料理のときは、みりんは最後。先に入れると硬くなるから。逆に、お魚の時は身が締まるから先がいいとかいう初心者にはアドバイスがすごく役立つ
ロボットたちは、キッチン台に立ち、ご主人にあれこれレシピの指示をする。身体が小さいなので、重たいフライパンをもったりすることはできない。つまり、指図以外は何もしない。できない。実作業は、ご主人さんがする。
さらに、ロボットだから出来上がったものを食べたりもしない。ご主人が自分で作って、自分で食べるというわけだ。
しかし、会話をしながらつくる過程が見ていて、なんともいえず、いい感じで、そうか、料理の楽しみは、こういう具合に、だれかと会話しながらするところにもあるんだなぁと再発見したりする。ワタシは引っ越しをするたび、当初はよく料理にはまったりするのだけど長続きしないのも、そのせいなんだろうな。テレビのクッキング番組が、料理本を読む以上においしそうに感じるのも、会話の楽しさの効果なのだろう。
で、『孤食ロボット』の中でも、棚から引っ張り出してよく読み返すのが、「中島さんのマタギ」(第3巻収録)だ。
30代の頃に離婚して以来ひとり暮らしの51歳(境遇がすこしだけ似ている)、とある食品会社の部長さん(ロボットのサービスをしている居酒屋チェーンはライバル会社)と、あるロボットの話である。
「マタギ」というのは、ご主人の中島さんが、ロボットの頭上をまたごうとすると、ビクッと固まり、しばらく動かなくなる。故障だと思い、中島さんは供給先の居酒屋さんに相談すると(※ここからネタバレあり)、このロボットは過去に一度返品されたことがあり、修理されて再出荷されたものだった。
以前の持ち主に虐待にちかい扱いを受けていたらしく、身に危険を感じるとフリーズすることで、自己逃避を図っていたらしい。本来は、そうした記憶は除去されているはすがそうならなかったらしい。
店長の説明によるとう、ロボットは、人間に悪意を抱くことがないように作られていて、フリーズするのは悪感情を抱かないように、自身で覚えた対処法らしい。人が多重人格になったりする原理にちかいのかもしれない。
すこし脱線するが、子供の頃のワタシは「鉄腕アトム」と同じころにテレビアニメで人気を二分していた「鉄人28号」のほうが好きだった。
大人になるにつれ、「鉄人」は人型をしているものの、リモコン装置で動かされる巨大な機械に過ぎず、リモコンを悪人に奪われたら悪人のためにすんなりと動く、それに較べアトムには「正義」という概念を埋め込められていて、自身のアタマで考えて行動する。アトムのほうがダントツに利口で人間に近いのだけど、当時は優等生っぽいアトムより、ときに愚鈍にうつる鉄人が断然に好きだった。モンスターの中では、フランケンシュタインも好きだった。
何度か読み直して気づいたことがある。ちょっと遅いけど。『孤食ロボット』のご主人たちは、ロボットたちを「ウチの子」といって大切にしている。しかしながら、彼らに「名前」をつけて、呼んだりしない。ときにはなでたりして可愛がりはするんだけど、なぜなんだろうか。
名前を付けないということには、ロボットと呼ばれると「アンドロイド」と訂正を迫るのと同様、作者の深い考えがありそうに思えたりする。いわゆる「ペット」とはちがうという捉え方なのか。鬼海さんの「アカ」の話を読んだあとだから、よけいに気にかかってしまった。
なかには、親友たちが集まって「ウチの子」の自慢をし、料理対決するハナシもあったりするが、その彼女たちもまた愛称で呼んだりはしないのだ。服装や髪形、口調にいたるまで、一体ごとに「個性」がそなわっているにもかかわらず、まるで親密な友人のような関係に映るのに、彼らは名無しのままである。
さて。話を戻すと、中島さんはメンテナンスを頼んでみた。しかし、修理は不可能。別のロボットとの交換をいわれる。
「あの子はどうなるの?」
不安げな中島さんに、店長の回答は「廃棄」だった。
「いや! 返して下さい」
この場面、何度読んでも身体がぶるぶるっとなる。
中島さんは、最初はなんとなく傍に置いていただけの、「欠陥」のある、このアンドロイド以外じゃダメだと思う。
そこからまだ何ページがハナシは続くのだけど、読み返すたびに、このあとがあったのを忘れていて、新鮮に、そうか、そういう展開だったんだよねと初見のように読んでしまうのは、「返して下さい」というときの中島さんのインパクトが強いからだろう。
そういえば、中島さんは、若い部下たちに慕われる「理想の管理職」なのだが、家庭人としてはその利点が欠陥につながり、家庭を壊していた。ほかにも、出てくるひとり生活の長いご主人さんたちは、それぞれに長所でもあり短所でもある「欠陥」をもっていて、それを補てんしたり、気づかせたりする役割をアンドロイドたちがになっていたりする。これはそういうハナシでもある。
彼らは、「ご主人さんに喜ばれること」に自身の存在を見出す存在で、ご主人さんが感情的になっても、反乱をおこしたりしない。自分はアンドロイドなのだからと、黙ってこらえる。そこは、ちょっと魔物というか。現実にこういうロボットがいたりすると、結婚なんかしなくたっていいやと思う人間が増殖しそうに思えもする。
☝第1巻から。ロボットの使用は「単身者」限定。単身赴任が終わり、家族と暮らせることになり、返品しなければいけなくなったご主人さまとの別れにはこんなシーンも。彼らの記憶は消されてしまう。感情がないとは思えず、ついシミジミしてしまう。