おぞけながらも読んでしまった『かわうそ堀怪談見習い』
目にしたくない。なのに読んでしまった。二度も。というのが『かわうそ堀怪談見習い』柴崎友香(角川書店)だ。
ワタシは幽霊よりも、虫が苦手。だからどんなに田舎暮らしに憧れがあっても、できっこない。理科の教科書は、載っている蜈蚣や蜘蛛の類のせいで頁を開けることができないばかりか、たまにパラッとその頁が開いて遭遇することがあると仰け反っていた。そこの頁を切り取ればよかった。いまさら後悔しても遅いけど。
それぐらい苦手であるにもかかわらず、今回は蜘蛛が出てくる場面を二度も熟読してしまった。『かわうそ堀怪談見習い』は、大阪の「かわうそ堀」に暮らす小説家の主人公が、友人知人に怪談小説を書くためのネタを聞いていく。というのも、デビュー作がたまたま恋愛ドラマに使われて売れた、自分ではそんなつもりはなかったのに「恋愛作家」のレッテルまでつけられ、雑誌の恋愛相談なんかをやらせさられたこともある。
しかし、その後ヒットがなく、どうにかしないといけないと思っていたときに編集者から提案されたのが「怪談作家」だった。見習いの意味はそういうこと。ちなみに、大阪に「立売堀」はあるが、「かわうそ掘」はない。地名について作者による説明が作中にあり、これがカバーと合っている。
微妙に、え!? あのときそういう人っていったっけ……。会話の中に出てくる人物に心当たりがないばかりか、いっこうに思い出せないのにその場が盛り上がる。そういう奇妙な感覚を扱っている物語の中で、第六章の「蜘蛛」は、3Dのように場面がリアルなのだ。ぞわっとする。
たまたま廃墟じみた外観の喫茶店で二人でハヤシライスを食べていたところ、友人の「たまみ」があのことを思い出す。壁に小さな動く点がきっかけだった。蜘蛛。ハエトリグモはじきに姿を消したものの、
「わたしな、蜘蛛に恨まれているねん」
「蜘蛛に?」
「うん。蜘蛛に、配偶者の仇って思われている」
ここから、たまみの高校時代の話になっていく。瀬戸内海の小さな漁港の祖母の家で、失恋の傷心を癒そうとした数日間の出来事だが、それにしても「思われている」という現在形の台詞にインパクトがある。
ふだん目にすることのない、掌を広げたくらいの蜘蛛に遭遇したときの描写がファーブルのように克明で、ぞわっ。書き写そうとしたが、今回はパス。それも一匹じゃない。先頭の大振りなのが移動するのに合わせ、すこしだけ距離を置いて小さいのがあとからついてくる。びっくりした彼女は、
「ばあちゃん、蜘蛛が、めっちゃでっかい蜘蛛……」
「なんっちゃ怖いことない。なんもせんわい」
と祖母にあしらわれ、そのときは収まった。
文字を追いつつワタシの脳裏に浮かんだのは、母親のことだ。実家は農家で、ワタシがまだ小学生の低学年ぐらいだっか、たまみが目にしたのと同じ掌くらいの蜘蛛を発見しては、泣かんばかりに逃げ回っていた。
「何がこわいの。わるさはせんから」となだめていたのが母だった。小さい蜘蛛だと、そっと手でつかんで外に捨てにいっていた。その夜だけは、とっさに片手で叩きつけいて、瞬時に新聞紙に繰るんでしまっていた。
母親を頼もしいと思った。同時に、罪悪感に囚われもした。読み進むうちに、たまみもまた同じようなことを瀬戸内海の家で体験する。
たまみにしてみれば、たまたたま台所の床にいる例の二匹の蜘蛛を見つけ、居合わせた祖母に報告した。見て、と言った。それだけのつもりが、祖母は新聞紙をつかむと、「こら! こら!」と叩きつける。「違う、」とたまみが声を出したときには、もう遅かった。
「ほら、こいでええか」と祖母が孫を振り返る場面には、生前の母の姿が重なった。
本格的にコワイ話が始まるのはここからだ。何度も彼女は、生き残ったほうの、いつも後ろをついてきた蜘蛛と遭遇する。日を追うごとに接近してくる。蜘蛛との距離は縮まってくる。とうとう、ある夜のこと……。ああ、ぞわぞわする。
「離婚することになったんも蜘蛛の呪いちゃうか、とまじで思ったもん」
喫茶店でたまみは話す。「怪奇大作戦」の蜘蛛男爵の回みたいにワタシがびびりまくっていると、場面は二人の会話にもどっていた。あのときの二匹がつがいならば、残ったのは夫のほうか妻だったのか。ふたりが言い交わす。大きいのが牡というのが一般的だろうが、そうじゃない組み合わせも考えられる。ここでのそれぞれの捉え方が面白い。
夫であるか妻であるか。「思われている」と語ってしまう、恨みの感情はどちらの性が深く継続するものなのか。性で分けられるものなのか。答えは二人の考え方の差を表してもいる。それはともかく、相方を殺された蜘蛛の接近の仕方を思うと、もうコワイを突き抜け、凄味を感じ、慄然としてしまう。
みょうなあと後味のする、ミステリーゾーンのような世界である。カバーの雰囲気が作品にマッチしていて、このために書き下ろされた作品?と思いもしたが、さすがにそれはない。先年他界されたフジモトマサルさんの絵だ。