『繕い 裁つ人』池辺葵から…
【わにわに書庫・マンガ】
『繕い裁つ人⑤』 池辺葵、講談社
「ほしい」と思うのはなぜなんだろう……。
これからは「ほしい」と思うものだけを求めようと思った。残り少ない人生だし。
これは町の洋裁店のハナシ。祖母のあとを継いで、古風な(見方によっては古臭い)店構えのまま、孫娘の市江さんがひとりでやっている。オバサンな母親とのふたり暮らし(父親は単身赴任中)独身、30代、ちょっといい女。だから好意を寄せる男もいて……というスジはあるものの、惹かれるのはイロコイ方面ではない。仕立ての腕は見事。でも他はゼンゼンで、家事も料理もお母さんに頼りっきり。秀でているのと欠けているのと、バランスの悪さが魅力になっている。
淡々とした日常のなかにドラマが潜んでいるという、演出。この感じ。日曜夜のテレビドラマ、木下恵介アワーとかを思い出させる。山村聡とか池内淳子が出てきそうな。
いいのは、交わされる台詞と「間」だ。
ふらっと入ってきたセレブのお客さんが何を注文しようか迷っていると、「一度洋服ダンスをご覧になって、足りないと思ったらまた来てください」という。
上客を逃がしたじゃないの、と思うけど、抱きがちなのとは逆にハナシは展開していく。セレブは当初いやな印象だが、一回こっきりかもしれない脇役ならばこそ、プラスに光をあてその魅力を引き出すのは「仕立て」に符合している。
印象深いのは、ブティックのウィンドウに飾られている服をいつも勤め帰りに眺めていたジミなパートさんが、いる。その市江さんの服がある日、売れてしまう。誰だかは知らないが、しょぼんと家路に着く彼女の後姿を市江さんは目にしてしまう。
彼女は、鈴木さんという。その彼女にしばらく作者は目を追わせる。「眺めるだけ」だった事情もわかる。その後が、うん、じわっ…。うれしくなる! すっごくいい!!
「足りない」は「ねたむ」にもつながっている。「選ぶ」は「あきらめる」と不可分……
といった人生の大事なことが、さらっとハナシの中に込められている。昔のテレビドラマもそうでした。無言の「間」が大事にされていた。