わにわに

朝山実が、読んだ本のことなど

ヘン、でこそ、人。

 

【わにわに書庫】

 

『世間のひと』鬼海弘雄著・写真 ちくま文庫

 

 

世間のひと (ちくま文庫)

  

良い映画をたくさん観るのも必要だが、プロとなるには、駄作とされる映画を観なきゃいけない、と言ったのはドナタだったか……。

 

たまに小説の新人賞の下読みをおおせつかるのだが(仕事の乏しいライターにはありがたいと思いつつ、俺なんかでいいのかと思わなくもない)、やっていて得をするのは、何がプロを志望するうえで「足りない」が見えてくることだ。もちろん自戒を含め。

 

最近のものに共通していたのは、略歴のところに「○○賞の最終選考に残りました」と書かれていたものが多かった。ナナメ読みは許さないというお札みたいなものか。

 

しかし、逆効果も生じる。なぜ最終を突き抜けられなかったのか。

 

人物が紙の上だけであったり、説明がすぐになされ、先を知りたい「不安」な心理が起きない。すると、どうなるか。文章の粗さに目がいくようになる。

 

「いい写真というのは、見ている人の時間を揺らし始めるんです」

 

そう言ったのは、写真家の鬼海弘雄さんだ。

 

「時間を揺らす」とはどういうことか。喫茶店で、新刊本のインタビューをしていたときに出てきたことばだった。

 

『世間のひと』は、浅草で撮影したポートレイト集だ。旅行でやってくるオノボリさんや、近在で生活しているひとたちを撮影した。

 

1973年にはじめ、総数約380人。ひと、ひと、ひと。顔、顔、顔。見応えがある。

 

本のプロフィールには、“法政大学文学部哲学科後、遠洋マグロ漁船乗組員、暗室マンなどを経て写真家に”とある。

 

遠洋マグロ、て、「カネを返せないならマグロ船にでも乗れ」って脅し文句に使われたりするアレだ。しかも哲学科の恩師は、福田定良氏。プロとしてやっていくかどうか迷いのあったときに、ほしいカメラがあったんだけど高くて……と言うと、恩師は30万円の入った封筒を、「道具は所詮モノでしかないけど、いいものを持つというのは、それが背中を押してくれることもある」というふうなことを言って渡した。あれがあったから、写真家としてやって来れたと、鬼海さんはいう。40年近い昔のことだ。だからかどうか知らないが、シャシンはキモがすわっている。

 

気持ちが塞いでいるときにパラパラ。文庫本はその点、取り出すにも捲るにも投げ出すにも身軽でいい。大きいもので見たい、という気持ちも起させる。

 

舞台作家なんかが参考にするのだと、鬼海さんはいう。ちょっと自慢。でも、そうだろう。○○の人といった、職業に従事する人物をつくろうとしたときに、こんなにリアルな図鑑はない。一目瞭然。細部こそ生きた証である。

 

役者は一時「その人」を演じるわけだが、「本人」は厭だろうがなんだろうが死ぬまでずっとその一役を演じ続けるわけで、それを指して、鬼海さんはこういう。

 

「ひとり独りが、王。」

 

一生一役。顔だけでなく、肩、手先、歩幅にも歩んできたものがそっくりあらわれる。整形をするというのは、だから一役に納得できない定めへの逆心である。

 

パラパラ。あっ、これうちのオヤジだ、と手をとめる。鬼海さんにインタビューのときに言うと、

 

「いつも野菜市場の片付けをしている。物静かな小父さんで、片手に眼鏡を持っているでしょう」と鬼海さん。

 

眼を本に近づける。うん、持っている。撮られるというので、外したらしい。

 

「ジャンパーの裾が擦り切れていたんだよね」

 

鬼海さんは、さっきまで小父さんと過ごしていたかのように話す。

 

「呼び合う」と鬼海さんは説明していたけれど、見開きのページのシャシンの左右の組み合わせが面白い。たとえば、p.301の「元美容師だったという早口な男 1999」は、黒い革のコートを羽織り、ボーダーのネクタイにピン止め、手はポケットにいれたまま。覗いた前歯がすこし欠けている。

 

「イッセーさん、そのままだ」

 

「俺を撮るの? なんで」なんて、しゃべりだしたら止まらない、ひとり芝居のイッセー尾形さん演じる舞台上のサラリーマンと説明すると、鬼海さんは愉快そうに笑っている。

 

隣の「ヘアースタイリスト」は、黒いハットを載せ、顎にジゲン髭。名前が出てこないが、ほらほら、あのひとである。

 

職業不明の眼光鋭い男、実直そうな手品師、五角形のサングラスをした貴婦人、肩をナナメにひいた旋盤工……。

 

みんな「ヘンなひと」に見える。

 

何度も見返していくうち、その「ヘン」が薄れ、「また会いましたね」て、くらい親しみを覚える。硬くなったココロがふやけだす。

 

不思議だ。

 

間にぽつりぽつりと挟まっている随想がまた好い。

 

「600字」に絞り込んである。情感漂う。さっそく真似てみようとするが、当然ダメ。憎らしいから文章のことはここでは触れない。

 

ハナシを冒頭のプロとアマに戻すと、出遭い頭に、くらっとなる。その「ヘン」を注ぎ込むのが「ひとを書く」ということの起点なのだと思う。もちろん、いっそうの自戒を込めて。

 

そういえば、鬼海さん、自分はケチだからなるべくシャッターを押さない。「驚きがあったときだけシャッターを切る」すると何枚も撮ったりできない、と言った。

 

鬼海弘雄写真展『INDIA 1982‐2011』 6月6日まで、東京・品川、キャノンギャラリーで。

http://cweb.canon.jp/gallery/archive/kikai-india/index.html

インドの子供たちの眼がいい。

 



インタビューライター・朝山実 近著 『父の戒名をつけてみました』(中央公論新社) 『アフター・ザ・レッド 連合赤軍兵士たちの40年』(角川書店) 『イッセー尾形の人生コーチング』(日経BP社)etc. 不定期連載 「日刊チェンマイ新聞」"朝山実の、という本の話" http://www.norththai.jp/