わにわに

朝山実が、読んだ本のことなど

スーパーのレシートにもらい泣きしてしまいました。

 お盆ですね。

『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』宮川さとし(新潮社・バンチコミックス)、から。

母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。 (BUNCH COMICS)

   長いタイトル。しかも、文字だけ見るとホラーのような気がしなくもない。絵で、つい父や母の葬儀のことを思い出して買ったが、どうやら自伝的なマンガらしい。

   生きている間は、何かとお節介で、疎ましくすら思っていた母親が、がんの末期と発覚。その母を看病しながら亡くなるまで、葬儀の日とその後、合間合間に母の思い出などを描いた、きわめて私的にしてフヘン的なハナシだ。

 昔、劇画家で映画監督となる石井隆さんの映画で、残された妻が夫の遺骨を齧る場面があり、石井さんに訊いたことがあった。

「ふつうはそういうことはしないでしょ。だけど、そうしたいと思うくらい哀しみが深いということなんだよね」

当時はそういうものかなぁと半信半疑だったが、いまはそれを異様に思わない。

 タイトルはインパクトの強いものだが、棺に入れるものを選んでいる際、一万円余りの現金と、母親の財布からクリーニング店のスタンプカードなどに混じって、スーパーのレシートが出てくる。「ショウガ、モヤシ……」と印字された紙切れを見て、主人公はこう思う。「お金はただのチケットで、レシートは母が生きていた証明書のように感じました」。その後にさらに、ほろっとくる逸話が語られるのが、ホームドラマのようなつながりで、漫画家を目指すもののなかなか芽の出ない主人公を母が応援していたことがわかる。

    自分でも気づいていないくらい彼はマザコンで、亡くなってみると次々と母の記憶がおそってきて……という。特別なところのない物語だが、実体験にもとづくディテールがこの作品の真価だと思う。

 たとえば、火葬場での話。骨壷に主だった骨を入れる。まだ骨は残っている。この骨はどうなるか。処分されるなら、欲しいと主人公は思い、口にする。

    そこで「分骨」がどうのと喪主の兄とビリビリしたやりとりとなるのだが。そういえば、火葬場で思ったなぁ、そういうことを、と記憶がよみがえる。

 たぶん作者の宮川さとしさんの郷里は西日本なのだろう。関東の骨壷は大きく、遺骨をぜんぶ入れる習わしになっているが、西日本は小さな骨壷で一部を入れるだけ。余った遺骨は火葬場で処理されるらしい。

    なんらかの儀式みたいなことを経過するというが、詳しいことはわからない。ひとの形をなしていた骨が、壷に入ったものは「遺骨」で、ほかは「遺骨でない」ものに分類されてしまうものが、納得できず、もやっとしたのをよく覚えている。

 マンガに話をもどすと、母親が他界し、いちばん落ち込んだのは父親だったという。

    葬儀の際は毅然としているかに見えていた父親が、会うたびにどんどん腑抜けのようになっていく様は胸につまる。実家の庭が荒れはて、家に異臭がするようにり……。男は総じて弱い生き物だと思う。

 

    すこし私事を書くと、父がまだ元気にしていたころは、毎年夏に帰省していたが、なんとなく足が向かなくなった。

   母の墓参りをかねて、というのが主たる目的だったが、いまにして思うのは、父に対するあてつけだったのかもしれない。

   母が亡くなって半年もしないうちに、父は「誰かいいひとを紹介してほしい」と周囲に言っていたという。クッションとなっていた母が亡くなり、同居している兄夫婦と折り合いが悪化、ほとんど独居のような生活で淋しかったのはわかるが、「それはないやろう」と反感を抱いたこともあった。

    母がいないとお茶ひとつ沸かすことのできないひとだった。寝込んでいる母の耳元で「コーヒー、コーヒー」と無心するひとで、食べるものにも苦労していると聞いて、家政婦さんを依頼したこともあった。

    気難しいところのある半面、依頼心のつよい父は何人もの家政婦さんをクビにしながらも相性のひとが見つかると、これで生活はなんとかなると思ったのか、折り合いの悪かった兄夫婦を追い出した。

    相当兄とはすったもんだとあったらしいが、家政婦さんはいつしか「奥さん」と近所で呼ばれているようになり、ワタシに耳にも入るようになり、父を問いただすと、「そんなことはぜったいない」とシラを切るので、「めんどうなことになるから籍だけはいれないでね」と見て見ぬふりをすることにした。

    トシはひとまわりくらい離れていた女性はそれから二十年ちかく父と暮らし、父は自身の老後の面倒をみてもらう算段をしていたのだろが、女性のほうが早くに身体を悪くして先立った。

    母の墓参のたびに、その女性と顔をあわすと挨拶を交わすようになり、「まあ、しょうがないか」と思うようになるまでに10年。いや、20年かかったのかも。父は、ワタシの前では「コレ、アレ」とえらそうにその「おばちゃん」に指図していたが、あとで周囲のひとから話を聞くと、実は彼女のほうが気はつよかったらしい。

    何一つ母とは似たところはないように見えて、そこだけが共通していた。

 わざと会話を避けたので、「おばちゃん」がどんな人生を歩んできたのかはよく知らないが、帰り際に「また来てあげてね。お父さん、いつも楽しみにしているから」と声をかけられたのは覚えている。嘘心はなかったと思う。

 帰省は、母の命日にあわせた墓参とともに、父の監視の意味もあった。というか、「オヤジ、母のことを忘れるなよ」というあてつけだった。父はそれに気づいていたのかどうか。10年もすると、母の痕跡は、新築はしたものの20年間一度も住まうことのないままにされた母屋の仏壇のまわりくらいにしかなくなり、たまに母の命日を忘れていたかのような言動にイラッともしたが、いまになると老いた父の一挙一動になぜあんなに過剰にカリカリしていたのかと思ったりもする。

 ひとを愛するということに関して、ほんとうに不器用なひとだった。お盆の日、いまになってみての父に対する感想だ。

 

 

母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。 (BUNCH COMICS)

母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。 (BUNCH COMICS)

 

 

父の戒名をつけてみました

父の戒名をつけてみました

 

 

 

インタビューライター・朝山実 近著 『父の戒名をつけてみました』(中央公論新社) 『アフター・ザ・レッド 連合赤軍兵士たちの40年』(角川書店) 『イッセー尾形の人生コーチング』(日経BP社)etc. 不定期連載 「日刊チェンマイ新聞」"朝山実の、という本の話" http://www.norththai.jp/