鏡とマタンゴ。この恐怖から逃れるにはマタンゴになればいい、とあのときボクは…
『怪獣人生 元祖ゴジラ俳優・中島春雄』中島春雄著、(洋泉社新書)から
ゴジラの中に入っていた「元祖スーツアクター」中島春雄さんの本を読んでいると、『マタンゴ』のキノコ怪物の役もやっていたという。1963年の東宝映画で、監督は本多猪四郎、特技監督:円谷英二。「ゴジラ」を作ったひとたちによる“恐怖映画”で、「核実験」のことなどを背景にした社会派ゴラク映画だったというのがわかる。
コドモのころは、劇場を出てからも父にしがみつくようにしていた。それくらい怖い思いをしたものだが、オトナになって見返すと、いたって冷めて目線で、「マタンゴ」という毒キノコを食ったために「マタンゴ」になってしまうというのがコミカルでちょっと笑える。
「春ちゃん、今度はゴジラじゃなくてキノコのオバケだ。まあ、気楽にやってくれ」
と「オヤジさん」こと、円谷特撮監督にいわれたそうだ。
気楽にというのは、最初のゴジラの着ぐるみは百キロを超える重さ。暑いし、視界は限られ、すごいタイヘンな思いをした。それにくらべたらということで、でも苦労のすくないぶん現場の記憶はあんまりないそうだ。
でも、コドモのころの衝撃は鮮烈で、どうして「怖い」と思ったのか、いまになって考えてみると、嵐でヨットが孤島に漂着。仲間が食料をめぐって醜く争いはじめる。子供が見ることを意識していたからだろう、男の中に女が二人混じっていて、男たちが女を奪い合いというロコツなほうにいくのはセーブされているけど、化粧した水野久美さんの存在はコドモ心にもしっかり焼き付いている。
面白いのは、食料があと幾日もないとなったとき、お金はもちろん性欲よりも食欲が重くなるというのと、食べたらマタンゴになるとわかっていてもつい口にいれてしまう。飢餓状態に置かれた軍隊が、ヘビやトカゲから木の根まで口にする。通常の思考ではありえないタブーすらおかしてしまったという話につながっているように思えてならない。
中島春雄さんは、出来上がった『マタンゴ』を見て、「奥が深いな」と感心したそうだ。
〈麻薬の怖さとか人間の心の弱さとか、いろんなテーマが入っていてさ。主役の俳優さんたちの芝居や本多監督の演出も力が入っていてリアルで、今までの怪獣映画とはまた違う面白さがあるなと(後略)〉
そうか、麻薬か。わかっているのに手をだしてしまうということなら、いまなら「危険ドラック」もか。
彼らは、島の反対側に、幽霊船のようになって砂浜に漂着していた大型船を見つける。国籍不明のスパイ船なのか放射能を測定していたらしいことがわかる。
幽霊船につきものの乗組員の骸骨はなく、船内には異様にカビが繁殖しているのと「鏡が一枚もない」ことに彼らは疑問を抱く。ジャングルの中で、鏡の破片が見つかる暗示的なシーンがあるのだが、コドモのころはその意味するところを理解しないままだった。
中島さんがいうように、「鏡」は「心の弱さ」を映し出す。鏡こそ「理性」。なくせば見たくないものは見ないですむ。そのために鏡をなくしたというのは、イミシンだ。
コドモのときには、襲い来るマタンゴたちに、「こんなに怖い思いをするなら、いっそ早く彼らと同じマタンゴになったほうがいいよ」と思った。「どうせもう日本に生きて帰るなんてできないんだから。マタンゴになったら飢え死にしなくてもすんだし。気がふれたみたいになって、醜いけど、比べるからいけない。みんながマタンゴなら同じでいいんじゃないの」弱虫ゆえにどんどんマタンゴのほうに擦り寄っていった。ほんとうに怖かったのだ。
いろいろ仲間うちの諍い、裏切りがあり、最後に一組の恋人が残る。あとは自殺したり殺されたりマタンゴになった。そして、さらに島を脱出するのは一人きり、恋人を置いてきたことに激しい後悔を抱きながら精神病棟にそのひとはいて……というハナシ。白衣の医師たちが檻の向こうから監視している。と、そのとき……。
劇場を出て、父に「あれはどういう意味なの、ねえ?」と訊ねたのは覚えている。
父は、ワタシの恐怖に反して、むしろ退屈だったのか、曖昧な返事をした。寝ていたのかもしれない。後年、「『マタンゴ』という映画をふたりで観にいったよね、あれは、どうして観に行ったの」と問うても、「さあ」というだけだった。63年といえば、ワタシは小学校の2年生で、父はいまのワタシよりずっと年下だ。「恐怖映画」を見たいわけでもなかっただろうに。
『怪獣人生』は、面白いし、どのようにして「怪獣俳優」となり、どんなことを考えながら中島さんが役者をしているのかということがよくわかる本だ。
戦時中、少年航空兵として訓練学校にいた中島さんが、合間に語る戦争の話。飛来する米軍機に向けて、高角砲で迎撃する。
「迎撃するとき外にいると危険だよ。高角砲の砲弾は、高空でボーンと爆発して、ギザギザの鉄の破片になってバサーッと降ってくるんだ。直撃しなくても敵機に被害を与えるためだね。だから、下にいる者は鉄兜を被ってないと、死ぬか大怪我だよ」
映画などで砲撃のシーンはよく目にするが、どんな戦争映画にも出てこない逸話だけに、へぇーと思った。怪獣のぬいぐるみに入ることがどんな重労働かというのを戦争と比べてみたりしている。そういうのも含め、ぜんぶ目の前にいる聞き手に向かって、話している。それだけに、残念に思うのはインタビュアーの表記がきわめて控えめなことだ。
奥付に編集や企画と並んで小さく「取材・構成 友井健人」とあるから友井さんがそうなのだろうが、ぬいぐるみの中に入っている役者さんの存在を隠そうとしたのと同じじゃないだろうか。