火の鳥でなく、日の鳥。
こうの史代さんの『日の鳥』(日本文芸社)が、いい。陸地に乗り上げたままの大型漁船を映像などで見ることに慣れてきたころに、繊細なスケッチ絵を目にすると、またちがった気持ちのざわつきが生じるものだ。それも物忘れの代表選手のようにいわれるニワトリの視点でというのだから。
雄鶏が妻を捜して、東北を旅するというスケッチ漫画。1ページに1枚、緻密なスケッチ画と、短歌をおもわせるモノローグ。そして、前後のあんまり説明がない。
どうも、妻とは「あの日」に生き別れてしまったらしい。転々と彼があらわれるのは妻との所縁のある場所で、妻の姿を探すのだが、いろんなものを妻と見間違えてしまう。
たとえば、釜石の大観音。猪苗代湖の白鳥の遊覧船。いわき市の石炭館にある古代怪鳥のモニュメント。はては、建築現場の巨大クレーン。あるときは、彼が大蛇に飲み込まれたのを助けだしてくれたとか。
どんな奥さんなのか?
かぼそいわけではない。かなりの巨体らしい。さらにダイヤモンドが好きで、性格はおおざっぱで、負けん気がつよそう。
でも、あいらしい。彼がこんなに探すのだから、いい雌鶏なんだろう。
うん?
ニワトリなのか?
彼が雄鶏だからって、ツレアイが雌鳥と限ったものではないのかも……。
そもそも彼はジブンを雄鶏と思い込んでしまっている男で、妻はもう……。
そんな想像すら抱かせる。風景スケッチが緻密でリアルだし、彼のトーク?に愛嬌があるものだからつい疑問にも思わず頁を捲ってしまっていたが、ニワトリが半年、一年、二年と妻を捜して旅をするということじたいがそもそもメルヘンで、語られる妻のイメージも雲を掴むようなハナシだし、ただ、たとえそうであっても雄鶏のケンメイさに打たれる。
ふとよぎるのは、ぜんぜん物語は異なるけど、リチャード・キンブル、『逃亡者』の。妻殺しの罪を科せられた医師が真犯人を見つけ出すことを目的に逃亡を続けていく、昔の米国の連続テレビドラマ。執拗に追いかけるジエラード警部は出てこないけど。
そういえばキンブルも、妻を愛していたんだよなぁ、たしか。冤罪を晴らしたいというのではなくて、なぜあの日妻は殺害されなければならなかったのか、真実を知りたいということでもあったような。
聴きたいとするなら、雄鶏の声は、尾形拳かなぁ。イッセー尾形もいいなぁ。ひょうひょうとしていて、笑い声にしぜんと哀愁がひそむ。そんな感じ。
なにげない田園やら街の風景に、ニワトリが隠れてしまっている画を見ていると、じんわりとくる。
震災がどうとか社会を語るような物言いは一度も登場しない。ニワトリだからね。語られる「妻」とは何を意味するのか、それを想像させ、考えさせる。
妻であって、いわゆる妻ではない。フヘンなものを感じさせるのが、すごい。
- 作者: こうの史代
- 出版社/メーカー: 日本文芸社
- 発売日: 2014/04/25
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