あの「恐怖のミイラ」の主人公は、じつは、なにも考えてない刑事たちだった?!
「恐怖のミイラ」を警官隊が包囲する一場面です。
観ていて、素朴な疑問を抱きました。
半世紀ぶりに見直すと、ここまで追い詰めながら、なぜか取り逃がしてしまう。もっともらしく登場する「辣腕刑事」たちが、失策、失態を重ねる。唖然の展開のドラマです。 ほんとうに信じられない光景です。
ミイラのハナシ、今回で終わらせます。
どうして子どものころは、夕方に算盤塾に行けなくなるくらい恐いと思ったのか、不思議でならないくらい、怖くない「恐怖のミイラ」。だったら、つづきを観る必要はなさそうなものですが、ついまた後半の2巻を借りてきてしまいました。
というのは、金庫破りの強盗団に加わったミイラが、一味のボスとかを殺し、ボスの愛人だった女を拉致して消えたところで終わったからです。まあ、どうなるか。怖さは皆無でも「その後」が気にかかります。
※以降ご注意くださいませ、すべてネタバレなので。
たっぷり札束が入ったボストンバックを手に、ミイラは一味の隠れ処へ。「拉致」というのではなく、女は「アネさん」と慕う下っ端の牧冬吉に、ミイラからバックを奪って、山分けしようという。
ボスや仲間たちはミイラにひねり殺されるのを目にしたばかりというのに、気持ちの転換の早いこと。ミイラさんに、またウィスキーをすすめたりする。
酔った隙を見計らって、バックを頂戴しようという腹なわけですが、それに気づいたミイラさんは、怒って、彼女を殺してしまう。
前回に書きましたが、女はミイラさんの顔を見ても態度を変えず、むしろやさしく接していました。ミイラさんは、彼女を特別に思ったわけで、それだけに裏切られたと思ったのでしょう。ちなみに、ミイラさんは一言もしゃべりません。しゃべれない設定です。四千年前のエジプトのミイラですから。
これまでの犠牲者はすべて放置されたままでしたが、ひとり彼女の遺体に関しては違っています。墓を掘り、埋葬し、しばらく立ち尽くしているシルエットが印象的です。マカロニウェスタンのワンシーンのようです。
△いいシーンです
さて。アネさんを殺された牧冬吉は、復讐に燃え、ミイラを追跡します。いっぽう、バッグをもったミイラさんはタクシーに乗り、ホテルに篭城。4千年前のミイラさんが、日本の紙幣を使ったりするのがミョウです。奪われた紙幣の番号からミイラの足取りが掴めると刑事さんたちはいうのですが、……はあ、わかりますけどね(笑)。
身代金目当ての誘拐事件とかが多かった時代だからでしょう。お札の通し番号から犯人を追跡するというのはわかるのですが、相手はすでにミイラとわかっているわけですから、どんなに潜伏したてって姿格好から目立つでしょうに。いまとちがって、当時は「ガイジン」という一点ですら目立たないはずがない。しかし、見つけられない。
聞き込みの刑事さんたちが、ミイラを見かけませでしたかと、真剣な表情で聞いてまわるのもヘンですし。まあ、いいんですけど。子どものころのワタシの記憶には、このあたりの場面、まったくカケラも残っていません。何を見ていたんでしょうね……。
難航する捜査に「ミイラは、急速に現代社会に適応してきている」と刑事さんが、うなるシーンがあります。部下の刑事が、お金をもって逃げたことに首を傾げたことに対して、やつは頭がいい。お金というものの使い道を覚えてしまったら怖いことになるというのですね。
そうか。そういう展開なのか、彼は社会に溶け込みながら都会を逃げ続けるのか。そういうドラマだったのか、そうかそうか。
といっても、記憶がよみがえるわけではありせん。
△突入前
ホテルにチェックインしたミイラさんを、警察は取り囲み、催涙弾を使って追いつめます。ちなみに銃弾を浴びせてもミイラさんはビクともしない。催涙弾は苦手らしく、どんどん放っているうち、ミイラさんは煙幕の中から忽然と姿をけしてしまっている。
以降も、警察は大量動員し、追い詰めては、何度も何度も、ミイラさんを取り逃がしてしまいます。
ミイラさんは、足をひきずりながら逃げるのですが、大勢で追いかけながらも、完全に包囲。なんで逃げられてしまうのか……(笑)。そういえば、大金の入ったバックはホテルの部屋に置いたまま逃走するので、ミイラさんがお金を使うシーンは以降ありません。すこし残念です。札びらを切るミイラさんを見たかった。
△あえなく牧さん返り討ちに
ここまで追う側が失態続きだと、なかなか面白いです。「警視庁」のパトカーが、バンバン映ります。現れたと思ったら、ミイラは消え。消えては、遠くで出没。どうやって基本は歩行なのに移動していたのか。謎です、ミイラさん。
もしかして、これは当時の警察への遠まわしながらも辛辣な批判なのでしょうか。
1961年という放映時を考えると、未解決の誘拐事件が多かったですからね。
後の展開で、世田谷あたりの住宅地を逃走していたミイラさんが、一軒の家に逃げ込んだ際のこと。幼女を抱え寝室に篭城します。両親は、ミイラを前にしてうろたえるばかり。「はやく警察に」という父親に対して、母親は「そんなことをしたら、あの子の命が」と止める。
「警察に知らせたらどうなるかわかっているな」という誘拐報道でなじんだ犯人からの脅迫電話の台詞の効果でしょう。
そういうキーワードは出てこないまでも、60年安保やヨシノブちゃん事件とか1961年の世相がよくあらわれています。
警察不信の象徴なのが、娘を救おうとする一心で、父親がミイラに取り入る方策として、ミイラが欲しがる復活の薬を横取りする場面。刑事さんに事情を打ち明け、篭城するミイラをどうにかしてもらおうというふうには発想しない。逆に、警察に言えば、娘は殺されるとすら疑心にかられている。
暗に母親が言います。人命よりも事件解決を優先させるのが警察よ、と。
だから何度も何度も愚かなほどにミイラを取り逃がす展開は、作り手の側に当時の警察への痛烈な批判精神がベースにあったゆえの産物かもしれません。というか、深読みして、不可解な取り逃がしの連続を意図的な演出なのだとワタシ的には思いたい。
△娘を取り返そうと父親は暴挙に
ミイラは、必ず甦らせた博士の屋敷に戻ってくる。確信した警察は厳重な警護をして、博士の遺族を守ろうとするのですが、だれもがここで抱くのであろう疑問が。
ぜったいミイラはやって来るとまで断言するのなら、なぜ家族を一時的にでも避難させないのか。囮のようにして、家族をそこにいさせるのがわかりません。
謎ばかりです。
△包囲し、ミイラに催涙弾攻撃をする警官隊
もはや予想どおり警官が何人も殉死。まんまと、ミイラに怯えノイローゼ状態にあった博士の娘は連れ去られてしまいます。
唖然な展開。高視聴率番組だったのですから、大人たちも観ていたでしょうに。夜七時半のテレビドラマ、失態続きの刑事たちをどう見ていたのでしょうか。タイトルを「恐怖の警察」にしたほうがいいくらいの噴飯ものです。
△捕らえられ初めて、大量麻酔、包帯を巻かれたるミイラ。
捕まえたミイラを、生かすか殺すか。ミイラは「人間」なのか否か。
大量殺人を犯した危険な存在として即刻殺すべしという、世論なのか新聞論調を背に、学者さんたちの「答え」を待つというシーンがあります。こんなに重大事件なのに、議論の前面に出てくるのは数人の学者さんと、警視庁の刑事だけ。
△裁判にもかけず、民間の諮問会議で議論
おい、政府は何をしとるんだ!?
ミイラの恐怖で政権が倒壊していそうな展開だというのに。いくらドラマとはいえ、作り手は、何を考えていたのでしょうか。60年代といえば、男の子に対して、末は博士か大臣かと言われた時代。「学者先生」の社会的な地位も、いまとくらべものにならないほどに高かったのでしょうが、びっくりするほど「政治家」も官僚も出てこない。
総じて、警察の無謀無策の累積に「怖い」どころか、呆れはて半ばイラツキながら、ラストを観終えました。
ありました、記憶にあるカットが。
延命の薬を失い、ミイラは倒れ、灰となり、風とともにその灰すら消えてしまう。このシーンは記憶どおりというか、もっと壮絶で長いものとして脳裏にはあります。が、あっさりとしたもの。しかも、その後があるではありませんか。
!?
それはそれでもちろん衝撃でした。いろんな意味で。