深夜の再読。
いまは時代劇作家になっている志水辰夫さんの現代小説に「いまひとたびの」という短編がある。表題作の単行本が出たのはずいぶん昔のことで、直木賞候補にもなった。短編集だと受賞は難しいといわれていた時代で、惜しいことに賞を取り逃がした。
志水さんが現代小説を書かなくなったのは、それから数年してからのことで、ワタシはずっと残念に思っている。まだ直木賞が力をもっていたときのことだ。
「いまひとたびの」は、ワタシが編纂した『特別な一日』(徳間文庫・絶版)というアンソロジーの巻頭に収録させていただいた。何か一つ心に残る短編といわれたら、この短編をあげるだろう。
昨晩、寝つかれずにひさしぶりに読み直した。スジは記憶しているものの、細部はほとんど忘れていることに気がつかされる。ほんとうに近ごろはなんでもかんでも忘れていってしまっている。
東京近郊のマンションに40代の姪と暮らす叔母を訪ねた甥っ子が、叔母を誘って一日、箱根方面にドライブするという話だ。主人公である甥は、海外赴任が決まっていて、この日を逃すと三年くらいは日本には戻ってはこられない。
志水さんは、もともとシブいハードボイルド、それも叙情に満ちたもので人気を誇った作家で、ワタシがいまの職業につく前からファンだったひとでもある。「いまひとたびの」は、志水さんにとっては、ミステリーから市井小説への転換した最初の作品集だった。
事件もなければ、暴力シーンもない。アブない恋愛小説というのでもない。淡々とし、傍目には何も起こらない、叔母と甥の話である。
しかし、それでいて、じつにスリリングなのだ。再読、再々読するほどに。
叔母は66歳で、甥は十歳ほど年下。おたがいもう若さから遠くにある。
その日は、叔母の希望どおり、真っ赤なスポーツカーを借りてきた。叔母は30年ちかく車椅子の生活をしていて、甥はレストランに入る際には彼女を背負う。洒落たオープンカーのトランクに車椅子が入らないからだ。
横浜から箱根へ、鎌倉をまわる。風にあたって、叔母は心地良さそうにしている。
しかし、レストランに入ろうとし彼女を背負い、甥は、あれっとなる。背に伝わる感触がおかしい。
夕刻のレストランでは、一日ほとんど何も食べていないにもかかわらず、叔母は注文した料理に箸をつけたものの食べ散らかしたかのようにするだけで、ろくに食べてはいない。
レストランにいたるまでに、ぽつりぽつりと、彼女が車椅子を必要とするにいたったひどい交通事故の話、故郷と絶縁状態となった娘時代の話、甥がどのように彼女を慕っているのか、叔母と甥、モザイク状になっていたそれぞれの身辺事情が明かされてゆく。
逸話の断片からワタシの中での叔母で出来上がっていったイメージは、大原麗子である。
歳が十歳くらい離れていて、年齢の離れた姉弟に見えるということから、初読以来ワタシは次姉をあてはめ読みしたしんできた。
私事ではあるけれどウチの実家は兼業農家で、40を過ぎてワタシを高齢出産した母親は田畑のめんどうに手をとられ、子守りをあてがわれたのは干支が同じ次姉だった。
ワタシが生まれたのは、姉が中学生のときで、記憶にあるだけでも始終金魚のフンのように姉のあとを追いかけ、鏡台に向かっている後ろに立ってはジャマをしたり、鉄棒の逆上がりができなくてふてくされていると学校までいってケツをたたかれたし、お風呂で頭を洗ってもらったこともある。化粧品店の美容部員さんから「お子さんですか? おおきいわねぇ」と言われて、姉がむくれていたこともあった。
姉はチャキチャキしていて、ワタシとちがいスポーツ万能、勉強もできたし裁縫や刺繍が得意で、よくミシンを踏んでいた。そういえば、浜田真理子さんの唄に「ミシン」というのがある。歌詞の世界は、姉とダブったりするものではないが、カタカタタ…という歌声のところに差し掛かると、つい姉を思い浮かべたりも。
小学生のころは、友達がいなくて壁を相手にボールを投げていると、「グローブを貸してみ」といってキャッチボールの相手になってくれたりもした。姉はいつもキャッチャーだった。腰を落とし「おもいきり投げていいよ」というアネゴなひとで、このころからワタシは、シスターコンプレックスにかかっていたのだと思う。
姉たちとワタシが異父きょうだいだと知るのは、ずっと後のことだった。
「いまひとたび」の叔母と、次姉に共通したところは、読み返してみるとそんなにあるわけではない。束縛がいやで故郷を飛び出し、家庭のある男と暮らしたわけでもないし、もちろん車椅子生活となる事故に遭遇したわけでもない。共通するというと、気丈な面影くらいだろうか。主人公とワタシでいうと、そんな叔母にまるで頭があがらないことである。
ネタバレになるが叔母は、末期のがんで、おそらく甥が次に帰国するまで余命はないらしい。それを自覚していて、彼女は最後まで何も言わない。
しんみりしそうな展開だが、この小説がいいのは、そんな陰気な空気を吹っ飛ばすくらいのラストを描いていることだ。そのためのユーノス・ロードスターである。
本棚から何年ぶりかで抜き出したのは、寝つけなかったからだ。
享年70歳、次姉・田中都が逝きました。
闘病中ずっとそばにいた義兄によれば、病院の看護のひと、ひとりひとりにお礼を口にしていたそうです。「まねのできない最期でした」と。