娘に遠慮してしまう父にやきもきするのが、ベストシーン。
ナグネとは旅人という意味らしい。よく練られた構成。映画を見るみたいだ。
日本から中国へ帰郷した娘が、土産に持参した釣竿を父親に渡す際、
「あまり目立つ場所で使っちゃだめよ」
というのだが、最初は妙だなぁとひっかかる。後々なぜそう言ったのかわかると、印象的なシーンとなって際立ってくるのだ。
著者と友人、ふたりの旅は冒頭、中国ハルビンに向かう途中の仁川空港の混雑したシーンから始まる。昨年のことだ。
「遠慮してたらだめですよ。ちょっとでも間を開けたらどんどん横入りされちゃいますから、前に進めなくなりますよ」
年下の友人のウネ(恩恵)さんは、搭乗客の列に並ぶ最相さんの背中を押す。空港でのちょっとした会話のやりとりから始めている。
ウネさんの雰囲気が短いやりとりによく出ているし、疑問に感じる最相さんとの距離もコンバクトに描かれている。
後半になって、ウネさんから突然「結婚しました」と聞かされ、尋ねるとお見合いで「たぶんいい人」と答えたり(在留資格のこともあったらしい)、短期間にいくつも勤めを変えたり、ウネさんは、なんとも危なっかしい。
聞けば、辞めるにはもっともな事情があり、しかも次の勤めを早急に決め、責任のあるポジションを任されるなどパワフルだ。しかも恋愛に期待もしていない。
最相さんは、そんな彼女と距離を保ちながらも関係を深めていく。勤めていた会社の社長から、理不尽にも彼女が訴えられたときには弁護士探しにも協力している。そうしたいと願ったわけでもないのに、という展開がノンフィクションの面白いところで、本書はまさにそう。
冒頭に戻るが、ウネさんは、中国の実家に帰郷するのに山ほど荷物を抱え、わずかのスキマも利用しようと炊飯器の中にまで菓子を詰め込んでいた。持ち込み制限をこえた分は、最相さんの手荷物にしてほしい。「ここからはもう中国ですからね。お行儀よくしてたらだめですよ」とも言う。
こうでなければ、やってこれなかったのだろう。最初は中国からの出稼ぎ者のよくあるハナシだと思った。半分はあたりだが、半分はそれほどわかりよいものでもない。
ウネさんは、中国の「朝鮮族」の三世で、中国人であり朝鮮人でもあり、そのいずれからも「ちがうひとたち」とみなされてきた。
来日後、彼女が中国人や韓国人とのつきあいを避けていたりするも、彼女個人の性格がどうというよりも「中国朝鮮族」が置かれてきた境遇にそうさせる部分が大きかったのだ。ということを読者として知るのは、著者が彼女とのつきあいを深めていき何年もしてからのこと。
そもそも「中国朝鮮族」とは何か。読者は、著者とともにその歴史を、戦前の日本がそこにどう関わってきたのかを、この本から学びとっていくことになる。
「知らない世界」を、具体的なひとりの人間を通して知るということでは、とてもよくできた作品だ。
著者が、ウネさんと出会うのは1999年5月、西武新宿線の小平駅のホーム。電車の行き先を尋ねられ、乗車後も並んで座ったのが縁だった。以来、16年間にもわたるつきあいになる。ふつうなら、そうならないだろうにと思わせる。それだけに映画のようなワンシーンである。
ウネさんの父親は、中国で「地下教会」と呼ばれる独立系の教会の執事をしていたという。彼女が日本にやってきた理由のひとつには、父親の借金返済があった。なんと日本円にして1億ちかい金額で、なぜそんなことになったのか、止められなかったかがわかるのは後々のこと。
きょうだいが何人もいるなかで、末娘のウネさんが、新たに五百万円もの借金をして日本に来たのかがわかるにつれ、よくある外国人ルポとは違った見え方をしてくる。
すでに「友人」となった相手がそういう事情を抱えていたと後に知るのと、知った上で友人になっていくことは同じようで異なる。ウネさんは、著者に迷惑をかけないようにと、自分の家の詳しいことは何年も語らずにいたらしい。
本書によって知ることは多いし、大きい。あの731部隊のことも、なぜ朝鮮族が旧満州の地に大勢いるのかも、「地下教会」ができていった背景も。最初はやぼったい副題だと思っていたが、その意味するところを知ると、なるほどと思いもする。
とても好きな場面がある。最相さんらしくある。
借金をこしらえた父親は、娘に遠慮してか、なかなか話しかけられずにいる。それでも娘が出かけていくところは、ぴったりついていくのだ。でも、会話は少ない。そして、娘が日本に戻ろうとする空港での見送りのシーンでも、ぎごちなさは変わらない。
父親は70に近い。年齢を考えたら、ふたりが顔を合わすのはこれが最後になるかもしれないのに、と最相さんは気をもみはじめる。とても印象に残るシーンである。なぜ、父は娘に遠慮するのか。そこにはちゃんと理由があり、娘はそれでも父を見限ったりはしない。それはウネさんだからなのか、中国朝鮮族だからなのか。それはわからないが、ひとつひとつのシーンが映画のように際立っているのがこのノンフィクションのポイントだ。