わにわに

朝山実が、読んだ本のことなど

「友情」と「地獄の特訓」と33年前の山の事件

  『友だちリクエストの返事が来ない午後』小田嶋隆太田出版)を読みながら…

 
 最近耳にしなくなったものの一つに「地獄の特訓」がある。新入社員や幹部候補を送り込み「社畜」(©佐高信)に育成してもらおうというもの。
 教官が怒鳴りあげ、全員で社訓などを唱和、一団でランニング。ジコキ抜かれた数日間のシメは、キミのためを思ってのことだからと教官がいえば、生徒がポロポロと涙して抱き合うオトコたちの感動のフィナーレ……。

 テレビのドキュメンタリーでよくやっていて、見ている分には面白かった。
「ああ、会社員にならなくてよかった」と安堵したものだ。なりたくともなれなかっただけのことだが。
 なんで今そんなハナシをするかというと、コラムニストの小田嶋隆さんの新刊『友だちリクエストの返事が来ない午後』の中に、小田嶋さんが新卒入社したときの体験が綴ってあるからだ(第15章「友情製造装置としての新入社員研修」参照)。

「要するに、オレらにバトル・ロイヤルみたいなことをやらせて見物しようというわけだ」
 一堂の前に立つ教官が説明をブツのを聞いていた、新人社員の一人だった小田嶋さんは、隣の男に向けて、そうつぶやいた。
 同意を得られると思っていたら、こう返されたそうだ。
「まずは素直に話を聞いてみようぜ」


 ワタシはそういう研修を体験したことはないが、まるでその場にいたような心象に入っていく。集団の中で疑問を抱いたのは、小田嶋さんひとり。そこに参加した時点で、まわりにいた誰もが、状況を受けていれていたわけだ。
 小田嶋さんは、自分は会社というものに体質的に合っていないと自覚するわけだが、ワタシが関心をもったのは、このあとの記述である。

 期間限定ではなく、特訓のイベントが常態化されていったのが、カルト宗教だったと指摘している。以下、引用します。

〈おそらく、このシステムをもう一歩進めて、研修の頻度と強度を極限まで高めれば、カルト宗教みたいなものができ上がると思う。
 実際、さるカルトにいたことのある知り合いによれば、教義に疑問を抱き、幹部の体質に不信感を抱き始めた信徒を、最後まで教団に結びつけて離さないものは、つまるところ、「友情」なのだという。
「っていうか、○○会の外に出ると、友だちなんか一人もいなかったわけです」〉

 と、ここで本を手にしながらワタシは、以前「連合赤軍」のひとたちをインタビューしたきのことを思い浮かべていた。
 なぜ「同志」と呼び合った仲間を、彼らは「総括」というリンチによって次々と殺害していったのか。生存者たちが語るには「逃げようと思えば逃げられた」という。実際、何人かが事件の過程で脱走している。

「仲間」を裏切れなかった。脱走を躊躇わせた理由を彼らはそう述べていた。一度は逃げたものの、たまたま組織のお金を預かっていたために戻ったというひともいた。
 当時の彼らの年齢は二十歳そこそこ。トップにしても二十代後半だ。官憲に追われ組織は壊滅寸前で、山岳アジトに集まったひとたちは「兵士」というよりも、「地獄の特訓」に送り込まれた新人クンのようなものだった。詳しいことを教えられずに山に召集されたものもいた。
 伝えられる訓練の詳細も、どこか「地獄の特訓」に似ている。そんな彼らが用いた「同志」を、ここで「友だち」と置き換えてみたらどうか。

 ワタシが彼らを取材するきっかけとなったのが、『レッド』という連赤事件を描き続けている漫画家の山本直樹さんをルポしたからで、山本さんは事件に興味を抱いた背景に、高校時代のこんな体験を語っていた。
 強豪校でもないバスケット部に所属し、レギュラー選手になれるでもなく、やめたいと何度も思ったという。
 結局3年間やめずに続けたのは「友だち」がいたからだという。「逃げたと思われたくない」恥ずかしいと制止する心理が働いていた。わかる、すごく。ワタシは部活を途中でやめたクチだけど、それでも迷った期間に頭から離れなかったのは、友だち未満の部員たちの顔だった。

 小田嶋さんはこう書いている。

〈私どもの国の集団は、宗教団体であれ、企業組織であれ、帰属意識を維持するための切り札として、メンバー間の友情を利用している。
 教義や雇用契約を裏切ることは、いざとなったら、そんなに困難なミッションではない。教義は思想によって相対化され得るし、雇用契約は、別の利害関係や、新しいオファーによって簡単に無効化されてしまう。
 しかしながら、仲間を裏切ることは、この国に生まれた人間には、とてもむずかしい。そういうことになっている。
 特に、同じ苦難をくぐりぬけた戦友を残して、自分だけが逃げ出すことは、マッチョな男であればあるほど、受け容れがたい屈辱に感じられる。〉

 さらに、こういう指摘もある。
「研修」を行うのは、たいがい企業の業績が落ち着きはじめたころ。成長期にはそんな余裕などあろうはずもない。
 連赤の指導者たちが山岳アジトに同志を集めたのも、官憲にじわじわ追い詰められてのこと。どういうわけか、活動歴の浅いメンバーが多かった。

 そうか、あれは「地獄の特訓」だったのかも。当人たちの意識や目的はともあれ。
 だとすれば「革命思想」に誤謬やリーダーの資質の問題は一面で、若者たちか宿す「友情」というフィルターを通してみると「なぜ逃げなかったのか」止める術はなかったのか。不可解さを解くかぎはあるのかもしれない。
 
 尚、小田嶋さんはコラムの中で、とくに連赤について言及しているわけではありません。ワタシの勝手な連想です。
 本は、なぜ大人になると「友だち」はできにくいかといったことや、漫画の「ワンピース」=仁侠映画論などもあって、読み飽きなかったです。

 

友だちリクエストの返事が来ない午後

友だちリクエストの返事が来ない午後

 

  

 

 

インタビューライター・朝山実 近著 『父の戒名をつけてみました』(中央公論新社) 『アフター・ザ・レッド 連合赤軍兵士たちの40年』(角川書店) 『イッセー尾形の人生コーチング』(日経BP社)etc. 不定期連載 「日刊チェンマイ新聞」"朝山実の、という本の話" http://www.norththai.jp/