わにわに

朝山実が、読んだ本のことなど

「ラモツォの亡命ノート」と「三里塚」と浜田真理子のハレルヤと

f:id:waniwanio:20171129113256j:plain

 

「ラモツォの亡命ノート」(小川真利枝監督)を観た。
 ラモツォという、チベット出身の30代の女性と家族のドキュメンタリー映画だ。
 チベットについて知っていることといえば、ダライ・ラマと中国が強く干渉しているくらいの大雑把なことぐらいで、何も知らないにひとしい。そんなワタシがポレポレ東中野の夜の上映を観にいったのは、「三里塚のイカロス」の代島治彦監督がプロデューサーとして関わった「オロ」(岩佐寿弥監督・2012年)という映画をたまたま先日観たからで、チベットからインドに単身脱出した少年オロのドキュメンタリーの中に周辺人物として映っていた、路上でパンを売る女性が印象に残っていた。それがラモツォだった。彼女の名前は忘れていたけど、パンを売る場面が記憶にこびりついていた。
 
 藤沢の駅前で昼間は「ふじやす食堂」として営業し、月に一度自主映画の劇場となる魚屋さんの二階で、「オロ」を観る機会があり、映画のアフタートークで代島さんが、この映画のことを紹介していた。もうひとつ、未知なる映画監督の作品を観てみようかと思ったのは、浜田真理子さんが歌で参加しているという。それも劇場に足を運ぶ動機になった。

 映画の始まりは、質素な食卓で、女性がまだ夜の明けないうちからパン生地をコネで伸ばして焼き上げる。その場面を丁寧に撮影している。両手というよりも全身を使って、でっかい、うどんを練り上げるような工程につい見入ってしまった。
 焼き上げたパンを彼女は、大きなケースいっぱい詰め込んで山岳シェルパのようにして背負い町に向かい、シャッターの降りた商店の店先を借り、路上で販売する。
 人気があるらしく、彼女のパンを求め、次々とお客さんがやってくる。雨が降ってくると客足が途絶え、それでもパンが濡れないようにビニールで覆い、自身は傘を差して、お客さんがやって来るのを待っている。すごく印象に残る場面で、「オロ」に出てくるときもそうだった。

 彼女の夫は、ドキュメンタリーの映画監督で、北京オリンピックの開催前、チベットのひとたちに、賛否の意見を問うインタビューをしたという、たったそれだけ理由で逮捕投獄され、6年間の禁固刑を言い渡され、救出を願う運動が為されている。「オロ」でも、壁に張られた彼のポスターとともにそうしたことが紹介されていた。
「オロ」は、亡命者が相次ぐチベットの置かれている政治状況を背景にしながら、ストレートに政治状況を伝えるのではなく、チベットを脱出してきた少年たちの生活を映したドキュメンタリーで、なぜこんな年端もいかない少年たちが親元を離れ、故郷を捨てなければいけなかったのか。チベット難民が多く暮らす北インドの町の寄宿舎生活を描いたもので、そこに暮らすチベット難民のひとりとして、ラモツォが映っていた。

 こんな雨の日にパンを路上で販売するのって大変だなぁと思いながら見ていた。彼女のその後を映したのが「ラモツォの亡命ノート」だ。
 撮影、監督、編集も行っている小川真利枝さんが上映後のトークショーに出てこられたときは、若くてふやふやっと明るいひとで、映画の淡々とした印象と違っていて、このひとが「亡命」の話に興味をもったんだということにびっくりするとともに、だから生活の細部に着目していて映画として面白いのかと思った。

「オロ」に通じるのは、ひとりで明け方にパンを焼いたり、山間の川べりで子供たちを遊ばせながら、ごしごしと手で洗濯する、そういう生活シーンの中から「亡命」せざるをえなかったひとたちの存在が、日本の昔を思い出させるとともに、ワタシたちとかけ離れた存在ではないということが伝わってくる。そこがこの映画の面白いところだ。

 チベットについて何も知らないから、当然映画を観ていてもわからないことがいっぱいある。
 たとえば、ラモツォが子供たちを置いて、ひとりでスイスに移住するという。学校の先生に子供をよろしくと挨拶にいく、そのときの子供とのやりとり。なぜスイスなのか? どうして子供たちを連れていくことができないのか? 買ったパンフレットには、スイスとチベット難民の関係など、その答えが少し書かれていた。ただ、わからないなりに映画を観ている間は、呑み込めないなりに事情があるんだなと思いながら見つめていた。置いてきぼりになる子供たちの目線というのか。

 一家がバラバラになるというのはどんな心境なのか。夫は獄中だし、ラモツォは四人の子供たちを残してスイスに出国し、さらにその後アメリカに向かう。米国に渡ってから3年後、カメラが映す彼女の生活は激変していた。
 
 なんと豪勢な邸宅に住んでいて、どうしたの? ナレーションのない映画で、しばらくはこれまたわからない。彼女が忙しく家事をするのを見ている。
 どうやら、彼女はそこで住み込みで雇われている家政婦で、画家だった雇い主の奥さんが彼女をすごく信頼していて、奥さんが亡くなったあとも資産家のダンナさん、彼は90歳いくつなんだけど、広い屋敷でラモツォにまるで家族の一員のようにして暮らすことを認めていて、こんなことってあるんだなぁとびっくりした。
 日本だったら、「後妻業」みたいなことになったらどうするんや、とかまわりがワイワイ言いそうな気がするが、そんな気配がない。しかし、彼女は最初から恵まれていたわけではないらしい。米国に渡り、はじめて家政婦として雇われた同じアジア人の家では、彼女の食べる分は残った古い食材しか許されず、悔しい思いをしたという。彼女は、チベットにいたときはインテリの女性で、チベットではめずらしい、クルマの運転ができる女性だった。映画では彼女の運転するシーンがよく出てきて、インタビューに答えるなかからラモツォの意識がわかって面白かった。

 やがて、離ればなれだった子供たちが彼女のもとにやってくる。邸宅の中での暮らしぶりは、難民だった頃の北インドでの暮らしとは大きく違っているものの、変わらないのは、夫であり「父親」が投獄中のままで不在なこと。興味深いのは、男性がようやく釈放され、待ち焦がれた家族とスカイプを使って会話する場面、カメラはずっとラモツォと四人の子供たちを映し、夫の顔が映らないことだ。
 家族は小さなアイホンの画像を見つめている。それを観客は見続ける。つい向こうにいる夫の表情を見たくなるところだが、じっと五人を前から映していて、切り替えしたりしない。そこがまた、いいなと思った。

 映画のラストに流れるのは、浜田真理子さんの「ハレルヤ」だ。ラモツォの夫は、釈放はされたものの現在も当局の監視下にあって、チベットを出国できず、いまもまだ家族は一緒に暮らせていないという。チベットからインド、スイス、米国と難民として流転していく人生は大変だけど、こんなすごい人生を体験するなんて、生きているからこそなんだなぁと、ハレルヤの彼女の人生を賛美するような歌声に、いいなと思った。この映画が「政治運動」を描くのではなく、ラモツォという市井のひとりの女性の暮らしを追っていたからだろう。それは、「闘争」ではなく、個人の生活にカメラを向けた「三里塚」シリーズの代島治彦監督の眼差しと通じているものだ。

 

インタビューライター・朝山実 近著 『父の戒名をつけてみました』(中央公論新社) 『アフター・ザ・レッド 連合赤軍兵士たちの40年』(角川書店) 『イッセー尾形の人生コーチング』(日経BP社)etc. 不定期連載 「日刊チェンマイ新聞」"朝山実の、という本の話" http://www.norththai.jp/