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朝山実が、読んだ本のことなど

『THE ABSENCE OF TWO』(青幻舎)が話題の 写真家・吉田亮人さんに話を聞いた(後編)


会ったこともない他人なのに、なぜか郷愁に誘われる。祖母と従弟の生活を記録した『THE ABSENCE OF TWO』(青幻舎)を出された、 写真家・吉田亮人さんのロングインタビュー(後編)をupしました。

30を前にして、小学校の教員をやめ、写真家になる。ずっと写真家になりたいと思っていたとかいうのではない。ある日、妻が言った言葉が転機になったという。吉田さんはこれまで何度もそのことを話しては「それ盛っていませんか?」と言われるそうだ。
吉田さんの話を聞くうち、面白いひとだなぁと思った。吉田さんもそうだけど、吉田さんの奥さんが。

それに、すすすっとカメラマン人生を歩んできたかのようにも見える(ゆったりとした口調で、俺が俺が感がまるでない)のだが、写真家を志していちばんにした撮影が痛恨の出来事で、前史にあたるこの一件が、このひとの核はここなんだなぁと思った。

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2018年12月 東京・墨田区のRPSギャラリーに展示されていた、『THE ABSENCE OF TWO』(青幻舎)の前に出された私家版。

 

 

吉田さん(以下、略)  高校を卒業する前に、何をしようかと考えていたら、ばあちゃんに「あんたはやさしいから、身体が悪い人だとかのためになるような仕事はどうや?」と言われたことがあって。そっちの仕事を探していたら、理学療法士というのを知ったんですよ。

 本に記されている吉田さんの経歴を見て惹かれたのが、小学校の教員をしていたこと、その前はタイで日本語教師をし、大学では障害児教育を専攻していたことだった。専門学校を卒業して写真家になったというのではない。大学の専攻が障害児教育という経歴も異色におもえた。

 宮崎の実家のちかくに理学療法士の専門学校があったので、卒業したらそこに行こうと思っていたんです。
 高校3年の担任の先生に言ったら、「おまえは大学に入っていろんな世界を知ったほうがいいぞ」。推薦してやるし、学校も俺が探してといてやるからって。推薦入試で受かったのが滋賀大学教育学部だったんです。
 入ってみたら、考えていたのと違った。まわりはみんな先生になりたいやつばっかりで。しかも、宮崎から滋賀県にひとりで出てきて、言葉もなじめない。だんだん学校に行かなくなり、部屋でゲームばっかりして、引きこもりのような状態やったんです。

──そうなんですか。

 それで「学校辞めるわ」と親に言ったら、行かなくてもいいから2年生まではやってみろ、と親父に言われた。
 それで、たまたまなんですけど、翌年の春に久しぶりに学校に行ったら、いまでも親友の三人と出会えた。「一緒にライブせえへん?」って学園祭があるからって声をかけられんですよ。
 なんで俺なんやろう? でも、やりたいこともないし。やってみようかって。友達はいろんなことを知っているヤツらで、音楽とか映画とか僕の知らないカルチャーをもっていて、すごい影響を受けたんです。

──それまでにバンドとかやったことは?

 楽器なんかやったことなかったので、ビートルズからはじめて。音楽をやるのが大学生活の目標になり、めっちゃ楽しくなっていったんです。

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RPSギャラリーで

 

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普及版の『THE ABSENCE OF TWO』(青幻舎)



以降は、noteをご覧ください👇

 

note.mu

インタビューライター・朝山実 近著 『父の戒名をつけてみました』(中央公論新社) 『アフター・ザ・レッド 連合赤軍兵士たちの40年』(角川書店) 『イッセー尾形の人生コーチング』(日経BP社)etc. 不定期連載 「日刊チェンマイ新聞」"朝山実の、という本の話" http://www.norththai.jp/