『世間のひと』『ぺるそな』の写真家・鬼海弘雄さんをお見舞いをかねインタビューしにいきました
『世間のひと』という、ちくま文庫の写真集があります。いつも身近なところに置いてある本です。
浅草にやってくるフツーのひとたちのポートレイトを集めた本で、一目見たら脳裏に焼き付いてしまう、写真家の鬼海弘雄さんが撮影。
文庫は2014年に出たもので、一冊に300人くらいは載っている。その後も撮影は続き、『PERSONA 最終章 2005-2018』(ちくま書房)という新しい本も出ています。
45年間に撮影した数は、千人に及ぶそうです。
電車を乗り継いで浅草に行き、定点ポイントでひとの流れを眺め、「このひと」というひとにだけ声をかける。一日に、ひとりか、ふたり。まったくシャッターを切らない日もあるとか。その間、何をしているんだろう?
先日、聞いてみました。
もしも、わたしが浅草を歩いていたら呼び止めますか?
ドキドキしていました。
はじめて鬼海さんの写真を見たのは「情熱大陸」で紹介された前後だったので、もう20年以上になるでしょうか。
当時は、めちゃくちゃ濃厚な市井のひとたちを撮った、すごい!!という感想でした。イッセー尾形の舞台の人物たちがここにいるとも思いました。イッセーさんの仕事に関わっていた時期でもあって。
捲るたびに圧倒されるとともに、同時にこのひとに撮られるのは嫌だ、ぜったい嫌と思ったものです。
自分のいびつな部分がセキララに映し出される、そんなふうに感じたんですね。
しかし、年齢を重ねるにつれ、撮られた写真に対する感想が変わってきて、鬼海さんが撮ったら自分はどんなふうに写るのか。コワイもの見たさもあり、逆に「撮られてみたい」と考えが変わりはじめたのはこの数か月のこと。
「声はかけないね」
はっきり言われてしまった。
理由は、たくさんのひとが行き交うなかで、あなたは目立つ存在ではない。際立つ「個性」、鬼海さんは「オーラ」といわれていたけど、そうなんですよね、際立つものが、ない。どんなところに行っても、いつも影がうすい(笑)。そのぶん、その場に溶け込んでしまって取材者なのに「スタッフさんだと思っていた」と間違われることなんてしょっちゅうだし。
でも、フォローするように、
「話したら、そうでもないかもしれない」と。
ふだんはひどく無口なんですが、インタビューのときになると、たくさんしゃべるようになったからでしょうかね。ふつうの取材者は、質問して聞くことに徹するんでしょうけど、読んでいて昔のこんなことを思い出したんですよ、と作品についてしゃべってしまう。しばらく相手は、とりとめのない私の記憶の聞き役にまわるという。
先日、大病されて退院されたばかりの鬼海さんをお見舞いも兼ねて、ご自宅でインタビューしたときも、そんな感じでした。
その日は、ご自宅ということもあり妻子同席で、ただ雑談をするうちに時間がすぎていったのですが、ずっと話したかったり聞きたいと思っていたは達成できました。
その一日の記録をnoteに載せました。長尺ですが、よかったら読んでください。