笑えるブレヒト(『セトウツミ』2) 、そしてオロマップと
【わにわに書庫】
『セトウツミ②』此元和津也(秋田書店)から、
『セトウツミ』の新刊が出ていた。オビに「手塚治虫文化賞読者賞ノミネート」とある。喜ばしい。
瀬戸と内海、詰襟の高校生ふたりが放課後に川べりで、だべっている。時間をつぶしているマンガだけど、そうか、これってブレヒトなんだな。不条理劇といえばブレヒトで、『ゴドーを待ちながら』が有名だけど、大きな出来事が訪れるまで退屈な時間をやりすごす、それ自体に意味はなさそうに見えるが、あとになって見返してみると、待っていたものはどうでもよくて、このイマという、ささいなことに価値を発見するというのは、ブレヒトだわ。
先日、インタビューした作家のひとが、読書体験でブレヒトの本をあげていたので、そうかそうかと。べつに、作者の此元さんがブレヒトを読んでいてもいなくともいいし、むしろ、「ブレヒト? ナニそれ」なほうがいいなと思う。
以前、①巻について書いたから重複するので、内容のことにはふれるのはよそうと思うけど、進化というか変化は、瀬戸と内海、それぞれの視点から同じ「事件(そんなおおげさなものじゃないけど)」はどう見えていたのかを、2話連作でやっていること(番外編の“第三の男”田中君を入れると、三視点)。小説なんかではよくある手だし、斬新というほどではないが、こんなふうにひとは誤解し、互いに腹のなかに誤解によるムカツキを溜め込んだりして関係は壊れていくわけだ……というのを例によって漫才というかコントふうに描いている。
面白いのは、上の空というか、何でいまこの場面でそういうことを考えるのか、バカバカしくなるほどナンデ?な、不思議だけど、ふだんよくやっている頭の中を見せていること。お葬式でお坊さんが読経中に、くすっと笑いそうなことを思い出す、アレです。
ブレヒトとちがうのは、シンコクに流さずどんなネタも笑いにしていこうとするところだ。誕生日にネコのミーニャンが死んで二代目を飼うかどうかという話がけっこうクル。泣いたりはせんけど。
29日発売の週刊朝日の書評頁で、『オロマップ 森林保護官 樋口孝也』(講談社)の吉村龍一さんのインタビュー記事が掲載されます。
元自衛官で、いまは学校の用務員をしながら小説を書いている作家さんです。前作の『光る牙』を、横山秀夫さんが褒めておられ、読んだら、白いヒグマが白鯨みたいに人間に立ち向かってくる長編小説で、新作はその余韻をうまく利用した短編集です。