『PERSONA(ぺるそな)』の鬼海弘雄さんのご自宅をたずねた日のこと
『PERSONA(ぺるそな)』の鬼海弘雄さんのご自宅をたずねました。の後編をnoteにupしました。
そんなもったいない、捨てるだなんて、と驚かされた、玉三郎の写真を捨てようとした一件。前編掲載の後、鬼海さんから電話をいただきました。
「アサヤマさんのは、ふつーのインタビューじゃないんだよねぇ」と笑われました。
ふつーのインタビューは、要点をまとめ、質疑応答を見せるのに、その場に居合わせたひとたちの様子を描いていて、取材を受けた側としたら新鮮だった。「でも、なんでアサヤマさんに仕事は来ないんだろうねぇ」とも(笑)。
その際、例の玉三郎の写真を撮るに至った経緯も詳しく教えてもらいました。
玉三郎のお兄さんと知り合い、「うちの弟を撮ってみないか」と誘われたのだとか。写真家ではなく、まだカメラマンとして生計をたてようとしていたときのこと。
舞台の稽古風景や楽屋の様子を会報だったかに載せる。そのための写真を一年間、各地の公演などにも同行しながら撮る。
「ひと月10万は出すように言うからって」
貧乏な若者に仕事を与えようという思いやりだったんでしょうね。「撮影用の長玉のカメラを持ってないというと、用意するからって」といたれりつくせり。しかし同情とかではなく、おそらく鬼海さんに写真家として惹きつけるものを感じたんじゃないかなぁ。きっと。玉手箱のように、モノクロの写真を見たとき、すごい写真だなぁと思ったもの。
あちこち公演にもついて行ったけど「あれだけのひとだから、嫌な思いをすることはなかった」という。でも、一年で降りさせてもらったのだとか。なんで?
「撮らされている」と思ったからだという。
「ぺるそな」のように浅草にやってくるフツーのひとたち撮るというのは、自分が「このひと」というふうにオーラーを感じて声をかける。その過程じたいが重要なのだ。作家にとっては。
でも「玉三郎」を撮るのは、どんなに頑張っても、完成した名画を複写するようなもの。そう感じてしまったんだね。「撮る」は、撮る側の存在があってこそ。複写するにも技術はもちろん必要だが、自分が撮りたいのはそういうものではない。自分以外には撮らないものを探そう。それが「表現」だ。そう気づかされた。
鬼海さんにとって写真は「仕事」でありながら「稼ぎ」のためのものではない。わたしにとっては、そこが面白いポイントだ。
話を聞いて、鬼海さんだなぁとおもった。
だからといって、捨てなくともいいだろうに、とも(笑)。あれは作品だよ。
機会があれば、今度はしっかり箱の中の写真を一枚一枚見てみたい。
取材者にとっては、とても、ぜいたくな一日だった。