嫌でしかたない。だからこそ、面白くなるもの。
『あなたを選んでくれるもの』
ミランダ・ジュライ 岸本佐和子訳 ブリジッド・サイファー写真 新潮社
ラジオのゲストで阿川佐和子さんが話している。
インタビューの名手として知られるひとだけど、「どなたか会いたいひとはいますか?」と聞かれるたび「だれにも会いたくないないです」と答えてきた。「だって、失敗したら恐いもの。仕事なんだから」という。
だから最初はびくびく、おずおず。機嫌を損ねないように気をつかう。相手の表情がやわらいだところで、あれこれ質問を重ねるのだという。
インタビューについての本がベストセラーにもなったし、同じ話は以前にも聞いた記憶があったけど、新鮮だったのはインタビューの興が乗る瞬間について、「このひとヘンだなぁ」と思ってからだという。これもすでに本に書いたりしていたかもしれないけれど、はじめて語るみたいにして話すのが、いいな。聞いていても。
たがいに初対面のときは、お行儀よくしているものだが、場が温まってくるにつれ、相手の挙動やクセとかが、目にとまる。
なんでこのひと、こうなんだろう。気になりだすのと相手への興味は重なるものだという。たしかに、そういうことあるよな。
でもって、阿川さんは、聞かれた質問を燕返しのように返していく。インタビューを受けているのに、自然と聞き手が自身のプライベートなことをしゃべっていて、「そういうボクの話をする場じゃなくて」といっているのがまた面白い。
話は異なり、『あなたを選んでくれるもの』は、何者でもないひとたちをインタビューしていくノンフィクション。ふだんワタシは翻訳ものは手をつけない。しっくりこないことが多いからだけど。
手にしたのは、岸本佐和子さんが翻訳している(『ねにもつタイプ』というエッセイ集を読んで好きになった)のと、ツイッターで歌人の松村由利子さんがこの本について書き込みをしていたからだ。
松村さんは、拙著の『父の戒名をつけてみました』を新聞に書評してくださって以来、彼女のエッセイを読んだりするようになった。なにより偶然見つけてもらえたというのがうれしかった。拙著は、書店だと置き場所に困るような本だから。まあ、そんなこともあって、このひとが面白いとススメている本だから、というのがあった。
まるで、映画を見るような話だった。ハリウッドとかのメジャーなものじゃなくて、インディーズなほうの。
作者のミランダは、映画監督で脚本家で女優でもあり、小説家でもある。その彼女が、新作の映画のシナリオづくりに行き詰って、逃避するかのようにインタビューの企画を思い立つ。彼女が申し込んでゆく相手は、フリーペーパーの「売ります」コーナーに投稿している人たちだ。
ミランダは、この雑誌の愛読者だという。そのことだけでもう「変わっている」といっていいだろう。ポストに投げ込まれ、たいていはゴミ箱に直行するような、誰が読むのだろうという無料のタウン誌だ。
目のつけどころの違いというか、彼女のそうした好奇心が結果的に、このルポをどこに向かうのかわからない、スリリングな物語に成長させていくことになる。
最初は、中古の黒革ジャケットの売主だ。
ドカンとした、いかつい男が着そうな服を10ドルで売りたいという。どういうひとがこれを投稿したのか。ミランダは知りたいと思う。
まず電話をかけ、インタビューを申し込む。1時間の取材で、謝礼は50ドルと決める。カメラマンと男性アシスタントを同行させ(レイプの危険を考え)、男性の自宅を訪問する。自宅を訪ねるまでが、とても丁寧につづられている。事件もののルポを読むかのように。
扉の向こうから現れたのは、オッパイのある年配の男性だった。黒革のジャケットが似合う。
ミランダは、彼を見て、あらかじめ準備していた質問をとりやめる。
「性転換は、いつから始めたんですか?」と質問する。やりとりからも、通り一遍の質問など吹っ飛んでしまうくらいの衝撃だったとわかる。
ノンフィクションが面白いのは、準備したものが現場で壊れてしまうことだ。ミランダは、どんどん聞いていく。
「カミングアウトする前は、どんな人生だったんですか?」「お仕事何をなさってたんですか?」
1時間でよくここまで聞きだせるなぁという濃密なやりとりだ。
「パソコンは持っていますか?」
「いえ、持ったことない。そのうち買おうとは思っているけど」
以降もミランダは、必ず取材相手にパソコンについて質問している。
インターネットの時代に、なぜ彼や彼女たちは、紙のフリーペーパーを選んで投稿したのか。登場するひとたちに共通するのは、その一点だけといってもいい。
その後もミランダは、無作為に投稿欄に記載された番号に電話をかけていったという。大半は断られている。
断られつづけているとき、ミランダは挫けたりしなかったのだろうか? 電話が苦手なワタシはどうしてもそんなつまらないことが気にかかってしまう。
50ドルの謝礼も、微妙な設定だ。円に換算すると5千円ほど。1時間のアルバイトと考えれば悪くはないが、プライベートを見知らぬ他人に話すことを躊躇するほうが一般的だろう。写真も撮られるんだし。
思い浮かんだのは、橋口譲二の写真集だ。
『17歳』『Father』などで知られる写真家の橋口さんがやってきた、ポートレイトの依頼の仕方はこうだ。
たまたま路上で出会った少年に「写真を撮らせくれませんか」と声をかけ、年齢を聞く。『17歳』のときには、17歳でなければ撮影には至らない。声をかけても断られることが多いということでは、ミランダの電話に通じる。
たまに「いいよ」という少年に出会えてインタビュー、撮影となる。
写真を撮ってもらったからといって、とくべつ何かいいことがあるわけでもない。写真集に載るといっても部数は限られている。ジミなものだ。
橋口さんもミランダも、相手を選んでいるようで、だから根本的な選択権はインタビューを承諾した彼ら彼女らにある。そこが面白い。
そして、ミランダのインタビュー集に登場するのは、濃いキャラクター揃いである。事情を知らなければどうやって選んだのか、よくぞ集めたなという人選だ。
オタマジャクシを売る高校生。縁もゆかりもない他人の写真アルバムを収集してきた女性。使い込んだドライヤーを、5ドルで売りたいという顔にピアスだらけの女……といった具合に。
サンフランシスコに暮らしている以外、年齢も境遇もバラバラ。それでも、彼らの多くが当初は口が重くとも、時間とともに語りだすと止まらなくなる。
ミランダが、そろそろおいとましようと言葉にすると、引き止める。まだいいじゃないかと。
次の約束があるので残念だけど、というやりとりが続く。なかには、こんなやりともある。
「どんなにつらかったか、あんたにわかる?」
唐突に足首につけられた、GPS装置を見せながら返してくる男のインタビューなどは、ハラハラさせられる。
視線を意識しつつ、男が「俺は性犯罪者だったわけじゃない」と繰り返すたび、読者としては、彼について、もはやそれ以外には考えられなくなる。
写真がある。大量殺人の凶悪犯を演じた、ロバート・デ・ニーロが思い浮かんだ。
「ミランダ、じゃ一つだけ質問」
出口に向かおうとするミランダが呼びとめられる。
「あなた結婚はしてる?」「子供は?」デ・ニーロは畳み掛ける。
もともとは映画が遅々として進展しなかったがゆえの気晴らしで始めたインタビューだったものが、重ねていくうちにミランダは、この奇妙な、彼ら彼女らが映画のなかに登場する物語を考えていく。この反転が本書のドラマにもなっている。
最初は奇妙だが、生活感にあふれる話を集めていくハナシなのかと思ったが、数を重ねるうちにミランダはつらくなっていく。さきほどのデ・ニーロもそうだが、彼らはミランダたちを歓迎する。ぎこちなさはあっても、とても親切だ。
家中が販売用の動物たちに占拠されてしまったある女性宅で、フルーツサラダの入った巨大なボウルを差し出される場面がある。
この日のために準備されものだとわかるが、屋内の様子(あまりにたくさんの動物たちのものらしい異臭がすごい)から、ミランダは失礼に当たらないよう言葉を選んで辞退するものの、ボウルごと持ち帰らざるをえなくなる。それも一人の一つずつ。
礼を言って、ミランダたちは辞去するのだが、さてボウルをどうするか。
悩ましい光景は、すごくインパクトがあり、この本の突出したポイントでもある。
ミランダの提案で、三人はボウルの中のパイナップルを、それぞれ一切れ食べる。おかしな味がするわけではない。残りを、立ち寄ったガソリンスタンドのゴミ箱に捨てる。新聞紙で蓋い、見えないようして。ミランダなりの精一杯の気遣いが、新聞紙にあらわれる。
読後感のわるい。ザラついた気持ちになる場面だ。それを理解した上で、ミランダは包み隠さずにその場の出来事を余さず書いている。省いていない。ノンフィクションとしての本書のよさである。
登場する彼らに、悪意はない。ただ、他人との関わりが上手じゃないのはわかる。
訪ねて行くたび、その都度逃げ出したくなる。ミランダは自己嫌悪に陥っていく。戸惑いが読者にも伝わってくる。
そうでなければ、こんな変わったひとたちがいました。でも、いいひとでしたよ。上手くコミュニケーションがとれました……と、いかにもウソっぽいものになっていただろうが。
嫌な感情を蓄積させてきたがゆえに、読者の目にも最後に出会うジョーという81才の男性が印象付けられる。
「もうインタビューはこれで最後にしよう」
そう決心していたミランダが、ジョーを企画中の映画に出演させようと思いたつ。それまで味わったことのないものを彼に感じたからだ。ここからがまさにドラマチックな展開になるのだが。まあ、それは読んでもらうのがいいだろう。