わにわに

朝山実が、読んだ本のことなど

特別ではない一家だけど、「五島のトラさん」は、

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『五島のトラさん』は、長崎県五島列島の島で暮らす一家九人のドキュメンタリーだ。

 主人公のトラさんは、「トラヤ」という五島うどんの製麺所を営む犬塚虎夫さん。ひとつ年下の妻、長男・拓郎、長女・こころ、はなえ、さくら、竜之助、末っ子・世文まで子供は7人。高校生の長男から、3歳の世文まで、うどんづくりを毎日一時間ずつ交替で手伝うのが、父親の決めた一家のルールになっている。

 トラさんは、夜中の2時にひとりで仕込みをはじめ、5時になると順番に子供たちの起こし、仕事の手伝いをさせる。3歳の末っ子も、2歳の頃には参加していたという。起こされたとき、口数すくなく子供たちはいかにも眠そうだ。
 テレビカメラに撮られながら、家の仕事だからと答える子供たちの中で、次女は「いやだ」といいながらも黙々と仕事をする。

 二男がまだ小さかったとき、器械で手のひらを何針も縫うケガをした。トラさんは、回復したら当然のようにローテーションに復帰させたという。

注意したら、いいこと。危ないから子供にさせないというのはちがう」

 ケガをきっかけに手伝いをやめさたら、それはお金を惜しんで子供たちを働かせていることになる。そうじゃないんだ。これは生きていくための教育なんだという。

 そういう気持ちに嘘はなかっただろうが、実際のところ子供たちの手伝いによって工場の経営が助かっていたことも確かだろう。ユニークなのは、世文のものも含め、子供たち全員のタイムカードが設置されていること。どこの会社にもある、あれだ。

 月一回の給料は手渡しで、子供たちの年齢に合わせた時給形式。いくらになるかは各自が自分で計算する申告制になっていて、世文は時給10円。二十年前のことだが。
 給与の支払い日に、母親の益代さんが、「貯金をするひと?」と問いかけ、はいはい、と応じる中で、輪に加わらなかったのが二女のはなえ。母親に、どうして?と問われる。近い将来使いたい計画があるらしい。

 はなえさんは、島を出て働きたいと思っている。きょうだい7人の中では、ひとり異色な存在だった。うどんの仕事は嫌だといいながら黙々と手伝いをしていたのも彼女で、のちにトラさんは、彼女が島を離れるときに、
もう帰ってこなくていい」と背を向ける。出ていく娘と顔を合わそうともしない。
「行ってくるね」と元気に声をかけるはなえさんを見送りもせず、家でふて寝をするトラさん。カメラが寄ると、トラさんは「こんなとこ撮らんでええやろう」と顔を隠し、涙をぬぐっている。
 劇場のあちこちで鼻をすする音がした。あたたかな笑い声もした。わかる、その気持ちという相槌みたいなものか。トラさんは、厳しい父親であり、それは自分の子供だけではなく、島でも悪さをする子供がいたら、「トラさんが来るで!!」といえば泣き止むという存在らしい。

 長男の拓郎(トラさんは、吉田拓郎が好きだったらしい)を筆頭に、子供たちが、成長し、結婚し、独立していく様子をテレビカメラは、まるで隣人のように映していく。にぎやかだった家から、ひとり、またひとり、子供たちは巣立っていく。トラさんは、そのたび、目を真っ赤にして泣く。劇場ももらい泣き、笑い声。

 トラさんは、偉業のようなことを成し遂げた男ではない。一家でうどんの製麺所を営むだけの、ちょっとコワそうなただのおじさんだ。
 製麺所の「トラヤ」は、トラさんが自分で起こした工場。映画のパンフレットの年譜を読むと、高校時代は軟式野球のピッチャーで国体で優勝し、愛知工業大学に進学したものの、父親が病気で倒れ、長男のトラさんは中退して帰郷。ガソリンスタンドで働き、スポーツ店を経営し、32歳のとき「トラヤ」を起業させている。テレビ長崎のチームが、トラさん一家を撮影しはじめたのは1993年、トラさん37歳のときだった。

 トラさんが瞼をおさえるたび、子沢山の旧友の顔が思い浮かんだ。宮城県の生まれなのに、ネイティブな関西弁で、彼も酒を飲んではよく泣く男だ。トラさんを見ていて、旧友の心境をすこし理解した。そして、おそまきながら、あまり会話しなかった父のことの姿が思い浮かんだ。
 ワタシは、トラさんとは4歳ちがい。親になったことはないから想像するだけだが、トラさんの妻の益代さんが、娘が結婚して家を出ていくという日に身体が小さくなっているトラさんを見て、「結婚するというとき自分の父親がどんな思いだったか、はじめて理解した」という。視線の先には、畳に突っ伏しているトラさんがいる。そのシーンがやけに印象に残る。

 家を出ていった二女が、写真集を出したといえば、ケータイ電話を耳にあて、

どうしたらいい? お金」とぶっきらぼうに言葉少なで、怒っているのかと思わすほど。後日、トラさんの元に、百冊の本が届けられる。
 あちこち配るのだというトラさんの顔は、ほくほく破顔していた。親バカぶりに、劇場は笑い、洟をすすりあげる。『作務衣のある風景』。何枚かがスクリーンに映される。寺の修行僧たちの日々を撮影した、島でうどんづくりをする一家の風景とも重なる、いい写真だ。

 カメラが追ったのは、22年間。末っ子は大学を卒業、教員になっていた。晩年のトラさんは、糖尿病を患い、満足に働けなくなる。妻や子供たちがその穴を補うことになるのだが、酒に逃げるようなったトラさん。一家の先頭にたっていたトラさんの残酷なほど、急激に老け込んでいく姿がなんとも寂しい。

 還暦祝いの年、孫たちをともない一家が勢ぞろいした宴席で、トラさん、顔のケガが痛々しい。酒に酔っての失態らしい。映画のパンフレットに、長男・拓郎が、トラさんについて厳しい一文を寄せていた。これは、泣けた。
 晩年のトラさんを、カメラはケガの顔しかとらえていないが、酒がもとでいろいろあったらしい。働くのが好きだった男が、働けなくなった。そのときの心情を思い、さらに、その男を見つづける家族のことを思うと。

 トラさんがのこした「トラヤ」は、現在は長女のこころが社長となり、トラさんが製麺とともに手掛けていた天然塩の工場を、こころの夫が引き継いでいる。面白いのは、こころもまたトラさんのように、娘たちにうどん打ちの手伝いをさせていることだ。親の働く背中を見せるというか、背中だけでなく、全身を見せ、子供たちにも体験をさせていく。

 トラさんが亡くなったのは、61歳。葬儀も場面、さらに一周忌もカメラは、一家を映す。過疎が進む島で、夏祭りの列のなかにトラさんの孫たちが11人、ひときわ存在感をみせていた。
 少子化対策をうんぬんするなら、まずこのドキュメンタリーを見ることからはじめたらどうだろうか。子供を育てる喜びをこんなにも生き生きと写した映画はそうそうないだろう。

 

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『伯爵夫人』の著者インタビューをして思ったこと。

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週刊現代」誌の取材で、『伯爵夫人』(新潮社)で三島由紀夫賞を受賞した蓮實重彦さんを取材したのは、ひと月ほど前のこと。取材は編集者からの、問い合わせの電話があったとき、作品は未読だったが受賞の記者会見が話題になっていたのは知っていた。

「答えません」
「くだらない質問はやめてください」

 会見場に集まった新聞記者たちの「受賞された、いまのお気持ちを聞かせてください」という定型の質問に、いきなり、うっちゃりをかますような返答を繰り返すのを見て、大笑いするとともに、ジブンが記者席にいて質問する側だとしたら冷や汗もんだなぁなどと思いながらネットの動画をチェックしたのは、取材を引き受けてからのことだった。笑ってばかりもいられない。

 何がそんなに不機嫌にさせているのだろう。受賞じたいを嬉しくは思っていないというのは独特のポーズととるか、言葉どおりなのか。予想に反して紳士的な振る舞いで、笑顔ではないが、声をあらげたりするわけではない。表情からはどちらとも解釈も可能に思えた。まあ、切り出しの「いまのお気持ちを」の問いかけが、蓮實さんならずとも気になった。記者さんたちにとっては、いつもどおりの質問、ダンドリだったに違ないだろうが。

 いつごろからなのか。
「いまのお気持ち聞かせてください」お立ち台の野球選手にインタビューするような質問を、誰彼かまわずテレビのアナウンサー?たちがするのを目にするようになったのは。「とりあえずビール」みたいなものというか。とにかく「お気持ちを」といえばすむというか、聞き手が何の準備もしないでも相手から話を聞きだせる魔法のような質問方式である。

 週刊現代(8/20・27号)誌面「書いたのは私です」欄のソデにある恒例「私のいちばん」の蓮實さんの「10の質問」の答が面白いのだが、たとえば「いちばん好きな音楽は?」に対して、「音楽が好きになったことなどない」と返している。
 山下和美の漫画に登場する「天才教授」のようでもあり、記者会見の席での「答えません」も、蓮實さんにとって氏なりの良識とウィットを交えた対応だったのかも。

 週刊現代のインタビューは、夕刻を過ぎた頃に行われた。
 都内のご自宅を訪問した。閑静な住宅街の中の、樹の茂った趣のある家。応接間と書斎を兼ねた部屋に通されると、「まあ、どうぞ」。まず一服してからにしましょうと、ご用意いただいた珈琲とペリエの大瓶、ひとり一人にカップとコップを運んでこられた。おかまいできないので、あとはご自分で注いでください。「カメラマンさんの分はこちら置いておきます」と、離れたテーブルに置かれる。
 奥さんはご不在らしかった。詳しいことは聞かなかったが、部屋は奇麗に整頓され、面白げな小物などが本棚の各所に置かれ、言われたように「一服」、部屋をぐるっと見回すだけで落ち着いてくる。
 威厳のある長机の後ろの壁に飾られた、少女の絵に目をひかれ尋ねると、「家内です。彼女の父親が画家だったもので」との説明。きれいなひとですねというと、軽く頷かれる。インタビューのテーマとは無関係だが、いいひとだなぁと思った。

 取材の日まで、一週間ほどの猶予があった。
 蓮實さんの映画評論は読んだりしたことはあったが、その他の著書は代表作を含め読んではない。読んでもわからないから。とはいえ、ここは付け焼刃は承知で、対談や評論など10数冊ちかい本を図書館から借りて読んでみた。評論はすこしページを繰ると瞼が落ちる…。こんなことで大丈夫かオレ。文学について書かれた本は早々に降参してしまった。

「答えません」と言われたらどうしょう…。

 頼りとしたのは、インタビューの対象である『伯爵夫人』だ。おそるおそる手にした。

 あらま(笑)、出てくる女性たちが隠語を連発。ポルノチックな場面が満載にして、大笑いしてしまう。猥褻なんだが、べたついてなくて、おかしい。合間にスパイ小説のパロディのような軽妙さもあり、唐十郎の芝居のような場面、石井隆のエティックバイオレンスを想わすシーンもあり、主人公の置かれている情況が夢か現か混然としているのも面白い。付箋を貼っていくと、モヒカン頭のようになる。

 聞きたいと思うことは付箋の数だけはあるから、問いには不自由しない。まあ「答えません」はないだろう。そう願いたいし、そんな事態に陥ることがあれば、それはそれとハラを決めながら、分厚く純白の『論集 蓮實重彦』工藤庸子編(羽鳥書店)を念のためと買って読んだのがまずかった。

 蓮實さんの業績について、いろんな人が語っているのだが、吉本隆明の本を間違って手にしたときを思い出すくらい、これが難解だった。自分の不勉強さを痛感し、ああ、となる。

 そんなこんなで、ペリエを目にしたときは、ほっとした。

 インタビューの中でも答えられていたが、蓮實さんのフィクションを書く際の姿勢として、登場人物の「心理」は書かない。「心理なんてものは犬に食われてしまえと思っている。読者のみなさんがご自由に解釈なさればいいことなのです」と話されたのが印象に残っている。

 記者会見のときに蓮實さんが不機嫌だったのは、「あなたは読んでどう思ったのか」。蓮實さんがいちばん聞きたかったのは、そこだったはずだ。

 けれども、自身の感想を語る記者はひとりもないまま、「お気持ちは?」に始まり、作品の意味を問われるばかりの一方通行で、立場を置き換えれば、もやっとするのも当然だ。

 記者たちの中には、作品をまったく読んでないひともいたようだが、読んでいる記者もいて、そうした記者からの細部の描写についての質問には蓮實さんも丁寧にこたえられていた。週刊現代の取材でも質問した、擬音に関する問いは、張り詰めた場を一瞬なごやませていた。

 お立ち台の野球選手にたとえるなら、「7回の、あの打席の球はスライダーでしたね」と具体的な場面を出して質問するのにちかいだろう。いうまでもないことだが、「受賞のいまのお気持ちを」の質問はザツすぎる。

 週刊現代の誌面では容量が限られていることもあり、印象に残ったものの割愛してしまったのが、「作中の登場人物のことばを鵜のみにしてはいけない」というハナシ。主人公が真実を語っているとは限らない。心理を書かないかわりに、その場の細部を描き込んでいく。そのような説明があった。
 心理なんてものは一つではないし、本人がどう答えようが、心理は数学のようなものではない。「答えません」「バカな質問はしないでください」には、そんな意味も込められていたのだろう。

『伯爵夫人』の冒頭に、主人公がなくなった兄の三つ揃いを着て、映画館に出かける場面がある。主人公は、二朗という。兄の名前は最後まで出てこないし、亡くなった事情にふれられることはない。ただ、読むにしたがい、兄の「三つ揃い」がワタシの脳裏で膨らんでいき、二朗と兄との関係について自分なりに感じたことをインタビューの冒頭、蓮實さんに述てみた。じっと耳を傾けられたあと、
「それは意図していません」
 決め球と思った質問は、いきなりキャッチーの頭上を越えていった。しかし、そのあと、
「でも、読まれたあなたがそう思われたのなら、それはご自由です」と答えられた。

 そこから、小説のあの場面この場面について質問をすると、蓮實さんは丁寧にひとつひとつ答えられた。二朗が親友とキャッチボールをする、そのボールにルー・ゲーリックのサインが入っているのだが、なぜゲーリックなのか。ベーブ・ルースではないのかなど。返答はどれも具体的だった。

 耳にしながら、ある映画監督にインタビューしたときのことを思い出した。たとえば、机の上に筆記具があるとシナリオのト書きにあったら、それはボールペンなのか、万年筆なのか、鉛筆なのか。小さなことだけど決まっていないといけない。それは監督の仕事だと。そんなハナシだった。

「ゲーリックには瀟洒な印象があり、そこにサインの入ったボールが置かれていることで、その友人の家の様子が伝わる」。蓮實さんの説明だった。

 インタビューは60分間。頓珍漢な質問をいくつもしたが、断らないでよかったと思っている。

 

インタビューライター・朝山実 近著 『父の戒名をつけてみました』(中央公論新社) 『アフター・ザ・レッド 連合赤軍兵士たちの40年』(角川書店) 『イッセー尾形の人生コーチング』(日経BP社)etc. 不定期連載 「日刊チェンマイ新聞」"朝山実の、という本の話" http://www.norththai.jp/