わにわに

朝山実が、読んだ本のことなど

若い女性が、火葬場で働いた体験記『煙が目にしみる』が面白い。

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「食人族」
というと何とも恐ろしい。私たちとは異なる世界に生きている蛮族と考えがちだし、この本を読むまではそうだった。60年生きてきて、知ってはじめて視界がひらけたというと少々大げさだけど、いまはそんな感じだ。


『煙が目にしみる 火葬場が教えてくれたことの著者ケイトリン・ドーティ(翻訳・池田真紀子、国書刊行会)は、シカゴ大学で中世史を学び、卒業後にサンフランシスコの葬儀社に就職、火葬炉の担当を一年ほど務めた。1984年生まれ。大学を出て何でまた葬儀屋で働きたいんだい、と周囲から不思議がられもしたそうだ。

 米国はキリスト教が基礎をなす社会で、大多数の人たちが土葬を選んでいる。しかしながら63年にローマ教皇パウロ6世が火葬を容認すると見解を示して以降は、火葬が増加する傾向にありるそうだ。
 南北戦争を発祥とするエンバーミング(薬液によって防腐処理をし、生前の自然な状態に見えるように施術する)が一般にまでひろまり、遺体は棺に納め、死に顔を葬儀の列席者に披露したうえで墓地に土葬する流れが定着するなかで、火葬の増加はシンプルでより低価格であることが理由らしい。とはいえ、まだまだ数のうえでは土葬が多数で、大学を出た女性が選ぶ職種としては、二重の負荷がかかっている。


 ケイトリンは、最初に担当した遺体のことはよく記憶している。
 目を見開いた裸体の70代の男性で、上司から髯を剃るように言われ、切り傷をつけてはいけないと「シェービングクリームはありますか」と聞いた。自分に務まるのだろうかと不安だったから、一部始終を忘れようがないのだろう。


 火葬炉は全自動にはなっているものの、ときおり焼き加減を調整しなければならず、ムラなく焼き上げるコツみたいなものが綴られている。おおまかな炉のシステムは日本のものとそんなに変わらないようだ。
 ちなみに、なかなか取材者が立ち入ることのできない日本の火葬場を取材記としては『葬送の仕事師たち』(井上理津子著・新潮社)が参考になる。

 ちがいといえば、日本だと火葬場の職員さんが立会い、「これが喉仏で、これが……」といったふうに、お骨を箸でつまんで骨壷に入れる「骨揚げ」の儀式にあたるものが米国の火葬場ではなく、そもそも遺族が立ち会うケースじたいがすくないらしい。

 焼きあがったお骨は「粉骨機」にかけられ、パウダー状の灰にしたうえで骨壷に入れて遺族に引き渡される。

《粉骨機でさらさらの灰に変わったミスター・マルティネスをポリ袋に移し、パンの紙袋を閉じるのに使うビニタイを巻きつけて密封した。そのポリ袋を今度は茶色いプラスチックの骨壷に納める。》という具合だ。

 骨壷に金箔をきかせるオプションもあるらしいしいが、たいていの家族は、そうした高価なものは購入しないらしい。
 火葬に遺族が立ち会うという習慣が一般的でないのも、火葬と土葬との大きなちがいみたいだ。ただ、なかには立会いを要望されることがあり、いつもどおり、普段着で出勤した著者が落ち込んだエピソードが紹介されている。

 その日のご遺体は中国系のひとで、火葬場に大勢の親族が集まり、伝統的な弔いの儀式をしようとしている。ケイトリンは、そこに赤いワンピースを着て出勤する。
「そこのあなた!!」
 遺族の女性がと怒鳴りつけ、彼女は呆然。いつもなら、その職場にいるのは、ケイトリンひとりきり。この日も事前に、立会いがあるとは知らされてはいなかった。
 とはいえ、「そりゃアンタ、怒られるやろう」と思うのは私たちが日本人だからだろう。弔いの場に「赤い服」だものね。しかし、彼女は激怒されるほどのことだとは思っていなかった。育った文化のちがいは、葬儀の場面に端的にあらわれるものだとわかる逸話だ。

 そんな具合に、火葬ひとつとっても大きな文化のちがいが見えてきて面白い体験記だ。ほかにもエンバーミングの商業的な要素について、著者なりの違和感を綴っているのも興味をひくところだが、一番インパクトがあったのはやはり、本書のなかでは枝葉にあたる「食人族」の話である。

 ケイトリンは、自分の人とは異なる関心の持ちようについて詳しく語っている。
 葬儀社に就職する動機についても、8歳のときにショッピングモールで小さな女の子が墜落する事故現場を目にしたのがトラウマとなり、「死」が意識にこびりついているという。シカゴ大学で中世史を学ぶとともに、民俗学的な勉強もしている。


 ところで「食人」という言葉から、あなたはどんなイメージを抱きますか?

 本書によると、食欲を満たすための行為ではなく、弔いの儀式の中の行為として続けられてきた部族があったという。
 ブラジルのアマゾンのジャングルにすむ
「ワリ族」はいわゆる「人肉食(カニバリズム)」を生活習慣にもっていた。と、聞くとおどろおどろしげだが、内実は、亡くなった身内を悼み、みんなでその肉を焼いたりしながら食することで、死者の魂を自分のなかに受け入れていく。厳かな儀式にあたる。

《ワリ族は死者を食べる習慣を持つ。つまり、彼らの食人の風習は死者を弔うために行われる行事の一つだ。身内が息を引き取った瞬間から、その死体のそばから人がいなくなることは決してない。遺族は甲高い声で単調な歌を歌いながら、死者を抱いてそっと揺すり続ける。この歌やむせび泣く声が集落に死者が出たことをほかの住人に知らせ、まもなく集落全の全員がその催眠効果のありそうな歌声に加わる。(後略)》

 ワリ族にとって、死者の肉を食するのは「弔い」であって、嗜好や残虐な感情からではない。嘔吐しながら食する人もい、空腹を満たすものでもない。「供養」だと信じての行為にあたる。

《肉を食べ尽くすと、残った骨は荼毘に付された。こうして死体が完全消えて初めて、遺族や集落の住民の心から不安も消える。》

 しかし、こうした伝統的な弔いの風習だったものを、1960年代になってブラジル政府は禁止し、土葬を強制した。わわわれの社会に加わるのなら、野蛮な儀式はやめろというわけだ。
 結果、精神を病むものが続出したそうだ。その後「ワリ族」はどうなったのか。詳しいことを知りたいと思ったが、レポートの出典が明記されていないのが残念だ。
 一見「野蛮」に映る行為も、調査してみると異なる意味合いをもつものだという一例だろうか。

売られていったアカと、名もないウチのアンドロイドたちのハナシ

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 最近読んだ本で、印象に濃いのは、写真家の鬼海弘雄さん『靴底の減りかた』(筑摩書房)という随想集に、バングラデシュの村で目にした光景を綴った一文だ。

 朝、露店の男がひとりでやっている肉屋の前を通り過ぎようとすると、向こうから山羊を引いた親子があらわれる。店といっても、
〈傍らの木の枝に皮を剥かれた山羊が吊るされ、地べたに敷いた板に内蔵が並べられいるだけだ。まだ肝臓からは湯気が立っていた。〉

 親子が連れていた〈山羊は「異変」に気がつき、立ち止まり、泣き喚いて進もうとしない。父親が角を掴んで、男の子が泣きべそをかきながら山羊の尻を押している。〉

 一文は、旅の異国で見たその場の光景から、鬼海さんの回想に移る。中学1年の春、自身の生家で飼っていた牛の「アカ」について。
 耕耘機を購入し、それまで耕作に使役されていたアカが売られることになった。

 その日、〈馬喰(ばくろう)に鼻面をとられたアカは、自分の運命を予知してかトラックに乗るまいと蹄で地面を噛んで長く逆らい抵抗をした。見かねた父は、アカの耳元で話しかけるように、いままでご苦労だったことや事情で飼えなくなったことをあやすように謝った。するとアカは大きな眸をゆっくりと瞬きながら、荷台に渡された板を登ったのだった。〉といったことが書かれてあった。

 アカがいなくなってから、家族でアカに関する話は避けられていたという。

 

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岩岡ヒサエ孤食ロボット⑶』(集英社)から

孤食ロボット 3 (ヤングジャンプコミックス)

 話はがらりとかわり、岩岡ヒサエ孤食ロボット』(集英社、現在③巻まで刊行)は、「独身者限定」で、居酒屋チェーンのお得意さんにプレゼントされる森の妖精のような小さなロボットと、ご主人さんたちが織りなす物語。短編読み切りで始まったのが、連載となり、何話か続いていくものもある。ちなみにロボットと呼ぶと、彼らは「アンドロイド」とすぐに訂正する。プライドが高いのだ。

 というのも、たしかに一体ずつ、髪型や顔つきも性格も異なる。性別は「ボク」といったりするから男の子のようだが、ちょっと曖昧、まあ、ロボットだし。とにかく愛らしい。

 ご主人さんの健康のため食生活を管理するのが彼らの仕事で、自炊の食材を発注する先が居酒屋チェーンの系列会社ということもあり、つまり無料のプレゼントだが、彼らにはある種の売上ノルマも課せられているらしく、営業マンのようでもあり、ギブアンドテイクの関係でもある。そういうリアルな設定も面白い。

 実用ということでいうと、簡単につくれる料理の詳しいレシピが物語とともに描かれていて、おいしそうで、ためしてみたくなる。たとえば、「サバの南蛮漬け」とか。

 

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孤食ロボット⑴』の第2話から。お肉料理のときは、みりんは最後。先に入れると硬くなるから。逆に、お魚の時は身が締まるから先がいいとかいう初心者にはアドバイスがすごく役立つ



 ロボットたちは、キッチン台に立ち、ご主人にあれこれレシピの指示をする。身体が小さいなので、重たいフライパンをもったりすることはできない。つまり、指図以外は何もしない。できない。実作業は、ご主人さんがする。
 さらに、ロボットだから出来上がったものを食べたりもしない。ご主人が自分で作って、自分で食べるというわけだ。
 しかし、会話をしながらつくる過程が見ていて、なんともいえず、いい感じで、そうか、料理の楽しみは、こういう具合に、だれかと会話しながらするところにもあるんだなぁと再発見したりする。ワタシは引っ越しをするたび、当初はよく料理にはまったりするのだけど長続きしないのも、そのせいなんだろうな。テレビのクッキング番組が、料理本を読む以上においしそうに感じるのも、会話の楽しさの効果なのだろう。

 で、『孤食ロボット』の中でも、棚から引っ張り出してよく読み返すのが、「中島さんのマタギ(第3巻収録)だ。
 30代の頃に離婚して以来ひとり暮らしの51歳(境遇がすこしだけ似ている)、とある食品会社の部長さん(ロボットのサービスをしている居酒屋チェーンはライバル会社)と、あるロボットの話である。
マタギ」というのは、ご主人の中島さんが、ロボットの頭上をまたごうとすると、ビクッと固まり、しばらく動かなくなる。故障だと思い、中島さんは供給先の居酒屋さんに相談すると(※ここからネタバレあり)、このロボットは過去に一度返品されたことがあり、修理されて再出荷されたものだった。
 以前の持ち主に虐待にちかい扱いを受けていたらしく、身に危険を感じるとフリーズすることで、自己逃避を図っていたらしい。本来は、そうした記憶は除去されているはすがそうならなかったらしい。
 店長の説明によるとう、ロボットは、人間に悪意を抱くことがないように作られていて、フリーズするのは悪感情を抱かないように、自身で覚えた対処法らしい。人が多重人格になったりする原理にちかいのかもしれない。
 すこし脱線するが、子供の頃のワタシは鉄腕アトムと同じころにテレビアニメで人気を二分していた鉄人28号のほうが好きだった。
 大人になるにつれ、「鉄人」は人型をしているものの、リモコン装置で動かされる巨大な機械に過ぎず、リモコンを悪人に奪われたら悪人のためにすんなりと動く、それに較べアトムには「正義」という概念を埋め込められていて、自身のアタマで考えて行動する。アトムのほうがダントツに利口で人間に近いのだけど、当時は優等生っぽいアトムより、ときに愚鈍にうつる鉄人が断然に好きだった。モンスターの中では、フランケンシュタインも好きだった。

 何度か読み直して気づいたことがある。ちょっと遅いけど。『孤食ロボット』のご主人たちは、ロボットたちを「ウチの子」といって大切にしている。しかしながら、彼らに「名前」をつけて、呼んだりしない。ときにはなでたりして可愛がりはするんだけど、なぜなんだろうか。
 名前を付けないということには、ロボットと呼ばれると「アンドロイド」と訂正を迫るのと同様、作者の深い考えがありそうに思えたりする。いわゆる「ペット」とはちがうという捉え方なのか。鬼海さんの「アカ」の話を読んだあとだから、よけいに気にかかってしまった。
 なかには、親友たちが集まって「ウチの子」の自慢をし、料理対決するハナシもあったりするが、その彼女たちもまた愛称で呼んだりはしないのだ。服装や髪形、口調にいたるまで、一体ごとに「個性」がそなわっているにもかかわらず、まるで親密な友人のような関係に映るのに、彼らは名無しのままである。

 さて。話を戻すと、中島さんはメンテナンスを頼んでみた。しかし、修理は不可能。別のロボットとの交換をいわれる。

「あの子はどうなるの?」
 不安げな中島さんに、店長の回答は「廃棄」だった。

いや! 返して下さい

 この場面、何度読んでも身体がぶるぶるっとなる。
 中島さんは、最初はなんとなく傍に置いていただけの、「欠陥」のある、このアンドロイド以外じゃダメだと思う。

 そこからまだ何ページがハナシは続くのだけど、読み返すたびに、このあとがあったのを忘れていて、新鮮に、そうか、そういう展開だったんだよねと初見のように読んでしまうのは、「返して下さい」というときの中島さんのインパクトが強いからだろう。

 そういえば、中島さんは、若い部下たちに慕われる「理想の管理職」なのだが、家庭人としてはその利点が欠陥につながり、家庭を壊していた。ほかにも、出てくるひとり生活の長いご主人さんたちは、それぞれに長所でもあり短所でもある「欠陥」をもっていて、それを補てんしたり、気づかせたりする役割をアンドロイドたちがになっていたりする。これはそういうハナシでもある。
 彼らは、「ご主人さんに喜ばれること」に自身の存在を見出す存在で、ご主人さんが感情的になっても、反乱をおこしたりしない。自分はアンドロイドなのだからと、黙ってこらえる。そこは、ちょっと魔物というか。現実にこういうロボットがいたりすると、結婚なんかしなくたっていいやと思う人間が増殖しそうに思えもする。

 

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 ☝第1巻から。ロボットの使用は「単身者」限定。単身赴任が終わり、家族と暮らせることになり、返品しなければいけなくなったご主人さまとの別れにはこんなシーンも。彼らの記憶は消されてしまう。感情がないとは思えず、ついシミジミしてしまう。

 

インタビューライター・朝山実 近著 『父の戒名をつけてみました』(中央公論新社) 『アフター・ザ・レッド 連合赤軍兵士たちの40年』(角川書店) 『イッセー尾形の人生コーチング』(日経BP社)etc. 不定期連載 「日刊チェンマイ新聞」"朝山実の、という本の話" http://www.norththai.jp/