わにわに

朝山実が、読んだ本のことなど

『三の隣は五号室』に残された3センチのゴムホースのこととか

 ぶーん、ぶーん

 我慢できずエアコンのスイッチを入れたら、壁に据え付けられている室内機が身震いしているではないか。リモコンを操作し、静穏モードにするとさらに振動はひどくなる。
 バタバタバタ
 ヘリコプターが旋回しているような音で、翌日、大家さんに連絡したら、買い替えてまだ半年くらいだという。
「おかしいわねぇ。前の人は、何も言ってなかったし」

 エアコンは、大家さんが様子を見に来たとき、しばらく、ふーん、ふーん、くらいに音も控えめで、あれ大丈夫なのかなぁと、大家さんと見上げていたら、突然、

ブフーン、パラバラバラと激音を発した。歯医者をいやがって、ボクなんともないですよっていうコドモみたいじゃないか。

「もしかして、壁の張替えのときに外したときになんかしたのかしらねぇ」と大家さん。電気屋さんに修理に来てもらうことになった。
「でも、いまはすぐに来てもらえるかどうかねぇ」

 数日後、修理のオジサンが来宅。
 事前に、どういう音がしますかと聞かれ、
「ヘリコプターが旋回するようなパタパタという音がして、室内機じたいが振動するのが止まらない」と説明した。
「わかりました」とオジサン。聞かれたのはその一点だけ。お医者さんの問診を受けているみたいだった。

三の隣は五号室


 ここからは前週に続き長嶋有の『三の隣は五号室』(中央公論新社)のハナシ。築50年。木造モルタルの二階建てアパートが主人公の長編小説の中に、ガスの元栓に先端がささった、3センチくらいのゴムホースをめぐる逸話が出てくる。
 
〈五分、いや、十分くらいは苦闘した。久美子は最初、腹を立てた。先代の住人に対してだ。〉

 五号室の転居したての九重久美子は、先代が、なぜきちんと外していかなかったのかを考える。引っ越しの荷物を片付けしたりしながら。なぜ、3センチだけが栓につながっているのか。いってみれば、ただそれだけのことだけど、なんかそういうのあるなぁと思ってしまう。

 それに、ひとつのことが気になるとそれにかかりきりになる性格のワタシなんか、ずっとこのホースの切れっ端を引き抜こうとして、九重さんみたいに何時間も悪戦するにちがいない。

 結局、ガスの開通作業にやってきたガス会社の男によって、あっけなく問題は解決するのだが、そのあっけなさ、彼女が「なんだ、それなら早くそうすりゃよかった」というのも、あるなぁそういうの。
 しかも、後の別の章で、その3センチのゴムホースを残していった前住人の事情も明かされるのだが、それが時間差もあいまってミステリー小説の謎解きのようで、そのあまりの些事すぎることはともかく、ああだこうだと時間をとられ結果脱力するという、その徒労がこと細かに描かれていて、なんとも安堵してしまうのだ。そういう、ひとに話したところでどうにもならない、本当につまらないことに時間をとられて憔悴するのはワタシだけじゃなかったんだなあ、と。

 そういえば、いまの部屋に引っ越してしばらくして、テレビのアンテナに接続しようとしたら、差し込みの端子が見当たらない。
  かわりに 白いボタンみたいものがそれらしき場所にある。ネットで調べてみたら、接続の線を巻きつける、20年ほど前に使われていた旧式のものだった。記憶をたどって、そういえば昔そういうのがあったなぁ、とぼんやり思い出したりした。
 ということは、このマンションは、20年も時間が停止したままだったということになる。前の住人は、いったいどうしていたのだろうか? やはりテレビを見ない生活だったのだろうか。

 とりあえず電器屋さんに尋ねたら、「何それ?」と逆に問い返され、写真に撮ったものを見せると、??? 遺跡を見るような眼をされ、ベテランの係りのひとが呼ばれ、
「かなり昔のものですよね。もう使われてないです。新しいものと交換しないといけませんよ。大家さんに言われたらどうですか?」

 そこで大家さんに相談すると、
「おかしいなぁ。うちはみんなそれでやっていますよ」
「ほかの部屋も同じものを?」「ええ」
「電器屋さんに訊いたら、ずいぶん昔のタイプのものなんですが」「そうなの?」
「はい。交換しないといけないそうです」「うちは、問題なく見られいるんだけど。でも、まあ必要だということなら、工事のひとに言いますよ」

 まあ特別にやってあげますよ、という感じ。大家さんとハナシが噛み合わないなぁと思っていたら、翌日、大家さんの奥さんから、「昨日はすみませんでした。主人が勘違いしてみたいで。じつは、地デジの変換のときに全室交換しようしたんですが、あのお部屋だけ、できなかったんですよ」

 個人情報のこともあるから詳しいことは話されなかったけど、工事で入らせてほしいといっても前の住人から返事をもらえず、そのままになっていたという。子供もいて、テレビは見ていたはずだという。「ああ、ヘンなひとじゃなかったんですけどね」。

 どうやってテレビを見ていたのかはナゾだが、数日後に工事の若者が現れ、あっという取り換え工事は完了した。だもので、五号室の九重さんが、ガス会社のオジサンから取り外したばかりの3センチのゴムホースを渡され、
ハハ、と一人で笑い声をあげていたのがよくわかる。
 
 さてさて。ヘリコプターのような爆音をあげるエアコンだ。
 オジサンは分解して、中にあった筒状のプロペラみたいなものを取り出し、
「やっぱり、ここでした」と指をさす。
 小さな羽根が破損している。
「たぶん、入居前にクリーニングをされたときに、何かされたのかもしれませんね」
「やっぱりというのは、ここが悪いという見当がついていたということですか?」
パタパタという音がすると言われていたので、だいたいは」
「音でわかるんですか?」
「そうですね。パタパタだと、ここかなと。シュルシュルとかいう音だと、ここというくらいには、ほぼ見当はつきますね」
「へえー」
「ですから、電話を受けたら、先ずどんな音がしているか聞くんですよ」
 それによって交換する部品も持参していくらしい。

 修理の作業をするのは、腰に道具をたくさんぶら下げたオジサンひとり。40代かなぁ。ベテランという風情。後ろから眺めていると、頭頂部がきれいに地肌になって汗が吹き出していた。

「ああ、ありがとうございます」
 オジサンがこちらに対するのと同様、丁寧語で話しかけていたのは、同行しているメガネ青年に対してだった。
 助手かなと思っていたら、その後も、オジサンの若者に対する態度は丁寧というか、丁寧すぎる。
 オジサンの作業着は使い込んだ感じなのに、青年のは、いちおう作業着ではあるのだけど、シワひとつない。ズボンの裾もサイズが合っていない。ぜんたいに借り物っぽさが漂い、ズボンの裾も巻き込むように折ってある。そういえば、道具類も持っていない。手ぶらだ。
 青年は、オジサンの作業をじっと見つめているだけ。たまに送風のとこに手をかざしてみるくらい。

 唯一、オジサンが筒状の部品を取り外したときに、下から支えようとしていた。そのとき「ありがとうございます」とオジサンが言ったので、あれ⁉と思ったのだった。

 気の利かない新人に仕事を教えているのだと思っていたけど、どうもそういう関係ではないらしい。いや、もしかしたら、あの物腰、丁寧さ、若者のほうはメーカーの社員で、オジサンは外の人間で、彼はお得意さんで、仕事をもらっているほうなのかなぁ。
 聞いてみたいな、そのあたりと思いつつも、若者があまりに無表情で(「セトウツミ』の眼鏡のシュッとしたほうに似ている)、なんか聞きそびれてしまう。

「今回みたいな修理って、わりとあるんですか?」
「多いですね。部屋のクリーニングのときに、エアコンを取り外したときに壊すというのは。あと、お客さんがご自分で掃除していて、割り箸を突っ込んで汚れを取ろうとして羽根を折ったりされるケースですね」
「へえー」

 修理の代金について問うと、
「今回は、大家さんが保険に入られているので、無料ですが、そうでないと2万円くらいですね」
 そうか、賃貸の場合にはそういう保険もあるのね。でも、結局、聞きそびれてしまった。オジサンが脚立に上っても、押さえたりするでもない、あの若者はなんのためにいたのか。

「205号室」の六原豊子さんが残していった雑巾のこととか

長嶋有『三の隣は五号室』中央公論新社)は、築50年の木造モルタルの二階建てアパートに居住した13組の住人たちの物語。
のようで、じつは、彼らの暮らしを観つづけたアパートそのものが主人公のように思えてしまう長編小説だ。

 

三の隣は五号室

 

 1966年から、2016年まで。登場する二階の真ん中の「205号室」の歴代住人たちの人物リスト(学生、OL、夫婦もの、単身赴任など)を読後につい作らずにはいられない構成が面白い。つまり、歴代の住人が順を追って語るというのではない。
 ひとりを除いて、それぞれ平凡なひとたちなのだが、ちょっとだけ変わった間取りのアパートであったということが奇妙な連帯感を漂わせている。
 もちろん、住人同士は前にどんな人間が住んでいたのか、後に誰か入居したのかも知りはしないのだけど。それでも、部屋に残された痕跡から、彼ら彼女なりに前の住人のことをほんの一瞬、想像したりする。
 
 たとえば、6代目の六原睦郎・豊子(1985-88年居住)のあとに入居した、七瀬奈々は、掃除道具とともに置き忘れられた雑巾を、手縫いの縫製が丁寧なことから、愛用する。

 その雑巾を縫ったのは、妻の豊子で、彼女は末期がんでなくなった。
 豊子さんは、大きな物音は迷惑だと気遣い、ミシンを使う時間もなるべく短くしようとしていた。まあ、どこにでもいそうな人のいいオバチャンなのだが、入居中に亡くなった唯一の住人でもある。
 夫の睦郎さんは、妻に病気のことを告げるべきかどうかで迷っていた。ふたりの老後がない、と知ったときの動揺が手に取るように伝わってくる。

 雑巾は豊子さんの遺品ともいえるのだが、家族ではなく、あかの他人の後の入居者に受け継がれていく。そういうふうにして、かすかなつながりを人は人ともつことで、この世の中は出来上がっているのではないか。
 そんなふうに思わされるエピソードが、ほかにもいくつか出てくる。といって、押し付けがましさもない。読み返すたび、発見のある、とてもいい小説だ。

 豊子さんのことを考えていると、この頃は忘れてしまっている母のことを思い出した。
 母がなくなったのは、8年付き合った彼女と結婚して3ヶ月ばかりの頃だった。
 長患いで、とかいうこともない。突然の訃報だったけど、予知?らしきものがないこともなかった。
 一週間くらい、毎日のように、いやな夢で目が覚めていた。歯が抜ける夢だった。ぐらぐらして。夢とは知らずにもがくのだ。

 夏の暑い盛りのことだったこともあり、この季節になると思い出す。
 父が生きていた頃は、墓参りをかね、実家の父の様子を見に帰省していたものだが、その父も東北の震災があった年に逝ってしまい、年々、足も遠のいてしまう。あの墓参は、母のためというよりも、父のためだったのかもしれない。

 独居老人だと思いこんでいた父が、通いの家政婦さんとそういう仲になっていたと知ったのは、神戸の震災があった年のことで、いつもは前日に電話をして実家を訪ねていたのが、その日は仕事の終わりに、宿泊代を浮かそうとして立ち寄ったら、父親がそわそわし、もごもご。家政婦さんの具合がわるく、二階の部屋で寝ているのだとか。

 結局、入籍はせずにそのまま事実婚のかたちをとるのだが、毎年、母の命日にきちんきちんと帰省していたのは、父へのあてつけのような気持ちも半分はあったように思う。
 母の葬式のときに、喪主としての挨拶もろくにできないくらい憔悴しきっていた父が、喪もあけないうちに後妻の斡旋を、こっそり親戚のひとにしていたと知ったのもその頃だった。

 年齢を経て、当時の父の年齢に近づいてくると、父の内面もわからなくはない。いや、つぶさにわかってしまう。でも、当時のわたしはわかろうとはしなかったし、老いとともに短気になっていく父のことを疎んじていた。

 そういえば、母が亡くなった日のことを、父はこう話していた。
 異変に気づいて、かかりつけの医師のところまで自転車の後ろに乗せて走った。徒歩5,6分の距離だ。
 しかし、自転車は、あるときは「背負って走った」になったりする。「リヤカーに乗せて」のバージョンもあった。リヤカーなんて、とっくに家から消えていたのに。

 とくにかく、父は、母と走ったことを強調する。
 当時、父は60代後半。健康体とはいえ、さすがに走るのは無理やろうと思う。それに母が息をひきとったのは、実家の仏壇があった部屋だから、急変で病院に運んだのなら話としてもかみ合わない。

そんなん、あるわけない!!
 当時、実家の離れに暮らしていた兄は、病人を後ろに乗せての自転車で走る元気なんて、あの父である、キミも、ちょっと考えたらわかるやろう。愚弟に対して、一笑に付していた。
 いっぽう、父はというと、兄が何か話そうとするだけで激高する。そして、義姉の対応が、どんなに冷淡なものだったか。涙混じりの口舌はとまらなくなる。

「医者を呼んだのは、僕や。おやじは、もううろたえて。なんもできへんかったんやから」と兄。たぶん、公平にみて兄の話のほうが事実にちかいのだろう。

 ではなぜ、そんなすぐに嘘とわかる話を父はつくりださないといけなかったのか。

 最近ようやくにして、あのとき自身で電話ひとつすることができなかった父が、「妻を背負って走りたかった」と後悔を抱いていたのだろう、ということはわかってきた。そうでないと、やっていられなかったのだろう。

 不甲斐ないがゆえ、それを自覚するがゆえ、せめてフィクションででも全力で走っていたかったのだろう。
 ただ、父はそのフィクションを語り続けることで、体験と取り違えていった。

 たぶん、そんなところなのだろうが、フィクションを嘲笑し否定する兄と父の関係は、その日を境にこじれにこじれていった。
 その後のことは『父の戒名をつけて見ました』という本に書いたので割愛するが、「走りたかった」だろう父の狼狽ぶりから、わたしの頭の中では、豊子さんをなくした六原睦郎さんの、断片的にしか語れない「その後」が気になったりするのだ。

インタビューライター・朝山実 近著 『父の戒名をつけてみました』(中央公論新社) 『アフター・ザ・レッド 連合赤軍兵士たちの40年』(角川書店) 『イッセー尾形の人生コーチング』(日経BP社)etc. 不定期連載 「日刊チェンマイ新聞」"朝山実の、という本の話" http://www.norththai.jp/