漱石と床屋。
前話『東海道中床屋ざめき』からの、床屋つながり
夏目漱石の『草枕』に、山間の村の理髪店に、旅の男がふらりと入るくだりがある。床屋「髪結床」と表してある。
話し好きな親方で、どこからやって来たのかと訊かれ、東京だというと、「私(わっち)も江戸っ子だからね」という。
こんなやりとりだ。
「失礼ですが旦那、矢っ張り東京ですか」
「東京と見えるかい」
「見えるかいって、一目見りゃあ、第一言葉でわかりまさあ」
なんでこんな片田舎に用事でもと詮索するやりとりに始まり、ダンナが泊まっているあの宿のお嬢さんには気をつけなさいよと忠告する。
嫁ぎ先が破産したとたん、離縁して実家に戻ってきたらしい。寺に日参し、お坊さんをたぶらかしたりした女だという。
むろんダンナさんは大丈夫だろうけど、気をつけるにこしたことはない。とまあ、真偽のはっきりしない村の噂を主人公に吹き込む、オバサンのような床屋の親父である。
そういえば、20年ほど前にワタシが初めて人物ルポを書こうというときに思いついたのが、対象者の郷里を訪ねることだった。
神奈川県の金沢文庫の近辺の、生家があったと思しきあたりをぐるりと散策し、エッセイなどで記されていた「家族で潮干狩りにいった」という海岸にまで足をのばした。
海岸はずいぶん前に埋め立てられ、工場と大きな団地が海が遠くにみえた。
寡黙で人見知りで、そのクセひとを驚かして注意をひく。そんな子供だったらしい。彼が過ごした少年時代を、歩きながら、あれこれと想像した。
駅から生家までの道筋に理容店を目にしたとき、入ろうかどうしようかと迷った。
「○○さんは、ここの出身なんですよね」
「そうそう、昔はそこの椅子にちょこんと腰掛けて、漫画を読んでいたもんだ」
とかなんとか話を聞けたらいいルポになると思いつつ、店の前を二度三度。結局、入らず仕舞いだった。おいおい、アカタレだなぁオマエさん。
躊躇したのは、ワタシと彼とが似ていたならば、熱心な取材者だなぁと関心するとともに、いい気がしないだろうなと腰がひけたからだ。
それはさておき、「江戸っ子」だった髪結床の親方は、口ほどにもなくヘボらしい。
主人公が幾度となく、「石鹸(シャボン)をつけとくれ」と頼んでも、しれっと聞き流す。湯もシャボンをつかわずに髭を剃るのが職人てぇもんだ、とタンカをきる。
「痛い」といえば、そんなはずはないんだが、お客さんの髭は剛毛で、延びすぎだから毎日剃らないといけないよ、と意見する。
まいったなぁという顔の主人公が目にうかぶ。
何度めかに、しょうがなしにシャボンをつけるのだが、それも顔に直接石鹸をこすりつける。
〈然もそれを濡らした水は、幾日前に汲んだ、溜め置きかと考えると、余りぞっとしない〉。
床屋でのふたりの掛け合いは、ドリフや志村けんのコントを見るようだ。
「頭あ洗いましょうか」と問われ、「頭はよそう」と主人公。それじゃあと親方に「頭垢だけでも落として置くかね」と爪でひっかきまわされる。
「どうです、好い心地でしょう」
「非常な辣腕だ」
「え? こうやると誰でもさっぱりするからね」
「首が抜けそうだよ」
と会話が進展する。その合間に、例の出戻りのお嬢さんの噂話となるわけだ。
漱石といえば、気難しい窮屈な男という印象があったが、彼のつくりだす主人公たちはかわいそうなくらい世間と折り合い、融通をきかしている。エライものだ。
ここで、ちょっと宣伝。
映画のアクションシーンには欠かない「スタントマン」のひとのロングインタビューの連載を始めました。お読みいただけたら嬉しいです。